怪物
神崎美奈子は夕飯を作っていた。普段は面倒くさがって適当に作るのだが、今日はレタスチャーハンをレシピとにらめっこしながら作っている。
理由はテレビで動画サイトの音楽を垂れ流し、テーブルで真剣に紙とにらめっこしている二人の少女にあった。
ひとりは神崎美香子、美奈子の妹だ。花の高校生である。
もうひとりはこのアパートの下の階の住人で日本一の巫女らしい宜保葵だ。正真正銘の天才霊能者で中学生である。
二人とも期末試験の勉強だ。美香子は友達と勉強会だと嘘をついて泊まりに来ていた。そこへ葵がやってきて、奇妙な勉強会が始まったのだ。
葵の方は勉強まで天才ではないのか、先ほどから美香子に質問する姿が見えた。きっかけは美香子の方から悩んでいる葵に声をかけたことであった。
特に英語が葵にはわからず、美香子も復習になると乗る気であった。
美奈子は意外と仲良くなれそうなことにほっとして、二人の希望によりチャーハンを作ることになったのである。
チャーハンを強火で炒めている途中に、レシピを表示していたスマートフォンが通話画面に切り替わる。姐さんの文字が表示されていた。
美奈子は急いで通話ボタンを押す。
『もしもし美奈子? って何その音』
「チャーハン炒めてるもので!」
火を消して出来上がったチャーハンを皿に盛り付け始める。
「で、なんですか」
『ヤバイ依頼が来たの。すぐ出れる?』
珍しく真剣な声音だった。美奈子はただならぬものを感じた。
「行きます」
『よろしく』
通話が切れると美奈子はスマートフォンをポケットに入れ、チャーハンを二つ持つ。そして美香子たちの元へ向かった。
「よし、じゃ二人とも休憩。夜ご飯ですよ!」
「やった、いただきます!」
「いただきます」
チャーハンをおいて、美奈子は笑う。
「悪いけど私急な仕事入ったから行ってくるね」
「仕事って心霊関係の? 急とかあるの」
「うん、結構あるよ」
財布などが入ったリュックを背負う。質問してきた美香子とは違い、葵は深刻そうな面持ちでいた。
「センパイ、私も行きます」
「大丈夫大丈夫。勉強で疲れてるんだからチャーハン食べてお風呂入って寝なさい」
じゃ、行ってきます、と。美奈子は返事を待たず部屋を出た。
心霊相談事務所に入ると所長である宮根静留がホッとしたような顔で出迎えた。
静留の向かい側には住職と思われる袈裟姿で坊主頭の男性と、スーツ姿でかなり疲れた顔の男性がいた。
「はじめまして、神崎美奈子です」
「はじめまして。私は宮根さんの知り合いで
「
どことなく重苦しい雰囲気の中、挨拶を済ませる。
正雄は美奈子を睨みつけるように見たあと、ボソリと呟いた。
「本当にこの人なら大丈夫なんですか」
「あはは、よく言われます」
自分自身には何の力もないし、という言葉は呑み込んでおく。
「美奈子。進藤さんからお守り受け取って」
「はい」
美奈子は正雄の前に立つ。正雄は戸惑いがちにソファから立ち上がると胸ポケットからお守りを取り出した。
真っ黒い、まるで火で焼かれて焦げたような色のお守りだった。それを両手で受け取る。
「はい、このハサミで口を切って」
「はぁ」
「待ってください、宮根さんそんなことをしては」
「わかってます。喧嘩を売るには乱暴なほうがいいんです」
慌てる優の言葉を遮り、静留が言い放つ。いまいち状況を呑み込めない美奈子だったが、言われるがままお守りの口を切った。
次の瞬間、お守りはボロボロと原型がなくなっていった。親指で触ってみると、完全にパウダー状になっていき、美奈子はゴミ箱の方へ行き、それを捨てた。
「えと、所長。説明していただけると」
「そこの進藤さん悪霊に呪われてるの。それでお守りに呪いを閉じ込めて、アンタがその呪いを解放して、潰したの」
それはつまり。
「呪詛返しさせたってことですか」
「いえ、宣戦布告ね」
静留はライターを取り出すと美奈子に投げた。
美奈子は慌ててキャッチする。
「通常使われる呪いはキャッチボールみたいなものです。無意識にキャッチしてしまってそれが呪いだと気づかない。そして気づけば投げ返せる」
美奈子は静留に促され、ライターを返す。
「返されると自分で持ってるしかない。投げた相手はもう呪いだとわかっているからキャッチしない。でも悪霊が投げるのはボールじゃなくて爆弾」
静留は今度、小さな人形を投げてきた。反射的にそれを受け取る。てるてる坊主に体がついたような簡素な人形だった。美奈子はそれを受け取ると自分の未来を悟った。
「投げたら即死。耐えられたら死ぬまで投げ続ける。そんな理不尽なものです」
静留はライターをしまわず、火をつけた。
「ほら、よくある体験談で生きている人間には呪いが返っていくのに、悪霊はどれだけ呪いを理解しても理不尽に襲い掛かってくるだけなの、疑問におもいませんでした? 仕組みから違うんですよ。死んでるものに呪いは返らない」
突如、部屋の電気が消える。誰が消したのではない。勝手に消えたのだ。
「でも、爆弾を防いでくれる存在がいればそこから消そうとする。進藤さんの場合、最初は守護霊、今はいなくなったけど。次に死んだ彼女さん、次にお祓いしてくれた住職、最後に私と美奈子のセット。で、私は力があるし、呪いの発動を延長できるけど打ち消すことはできない。一方で美奈子は何の力もないけど呪いを打ち消せるという、一見無防備だけど一番厄介な存在」
静留が語っているうちに足元からどんどん冷えていき、鳥肌が立ってきた。美奈子は自分の腕を擦る。
「スペシャリストとド素人。この場で潰すとしたら……」
ライターの火が消える。
「美奈子、ですよね」
次の瞬間、美奈子は顎のあたりを強く引っ張られる感触がした。美奈子の体は宙を浮き、首を吊るされる。
ギギギ、と軋むような音と低い男の笑い声が響く。
「まさか、今神崎さんは」
正雄の声に、静留は答えた。
「えぇ、死んだあなたの彼女と同じ目にあってます。首、折られたんですよね? 」
「宮根さん、あなたという人は!」
怒気のはらんだ声が響き渡る。優のものであった。
「ちなみにさっき美奈子に投げたのはほう子と言いまして、美奈子の身代わりじゃなくてあなたの身代わりです。あなたを殺すには身代わりから壊さなきゃならない。確実に美奈子を襲うようにしたんです」
ほう子というのは雛人形と共に飾られることもある、人形のことだ。美奈子が今持っているものは派生のさるぼぼという赤子のお守りに使われるものに近い形をしている。要は静留の説明通り、身代わり人形だ。
「神崎さん大丈夫ですか!」
叫ぶように問う優に、美奈子は答えた。
「大丈夫ですよ」
美奈子は首を吊るされていたが首はしまっていなかった。透明な土台の上に乗っているかのように、浮遊感はないし、呼吸も可能だった。全くもって美奈子の体に害はない。
そのうちギチギチと、首のあたりから何かを引きちぎるような音が響き始める。
ブチッ、と。
音がしたとともに美奈子の足は床についた。響いていた男の笑い声がうめき声に変わる。
やがて何かが目の前を落ちる音がした。
灯りがつく。
全員無事で立っていた。
美奈子は何となく視線を床に落とす。
「うわ」
美奈子の足元には大量の髪の毛が散らばっていた。
「はい、除霊完了です。美奈子おつかれ」
「どうも」
静留は箒と塵取りを持ってくると、美奈子の周りにある髪の毛をささっと片付けていく。
「え、終わりですか」
おそるおそるといったふうに、正雄が尋ねる。優のほうは唖然としていた。
「ま、待ってください。化物なんですよ、お祓い全然効かなくて。それで」
「はい、なので最終兵器で終わらせました」
塵取りに集められた髪の毛を、紙袋の中に入れる。
それを優に差し出した。
「念の為お焚き上げお願いします」
「え、あぁはい」
優が受け取る。
「さ、臨時で仕事させられてこっちは疲れてるんです。帰った帰った」
鬱陶しげに静留は事務所の出入り口を指差す。
正雄は戸惑ったが、優は頷いて頭を下げた。
「進藤さん帰りましょう」
「え、でも」
「大丈夫です、彼女が除霊できたというのならそうなのでしょう」
優に促され、正雄も頭を下げて事務所から出ていった。
「……はぁ疲れたわー」
静留は項垂れながらソファに座り込んだ。
「あんな化物つれてくるんじゃないわよ全く」
額の汗を拭いながら、静留はため息を吐いた。
「アンタも急に呼び出して悪かったわね。ほう子は一応持っといて。一週間経ったらしたら捨てていいから」
「わかりました」
「助かったわ、生きた心地しなかったもの。ありがとうね」
「いえ。そんなにやばかったんですか?」
美奈子の問いに静留は強く頷いた。
「葵に億積んで土下座するかもねー」
頼む相手と積まれる金額だけで察しがついた。
「分割払いでもがっぽり貰わないとね」
「そうですね」
「はぁーアタシここで休んでから帰るわ。美奈子は帰んな」
「はい、おつかれ様でした」
手を上に挙げ、ひらひらと振る静留に頭を下げ、美奈子は帰ることにした。
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