イフ
「あれ、こんなとこに喫茶店あったっけ」
駅近くの閑散とした道に喫茶店が建っていた。チェーン店でもなく、小さなスペースにこっそりとあるような喫茶店。
外から中は伺えず、わかるのは緑色のモダンな扉と白いペンキを塗りたくったような木造の壁くらいなものである。
ドアノブには開店を知らせる札がかけられており、看板には、
『喫茶店風喫茶店』
と意味不明なことが書かれている。
美奈子はお腹が空いているのもあり、入ってみることにした。扉を開けるとチリンとベルの音がする。目の前にカウンター席があり、カウンターの向こうには恐らく厨房につながるであろう扉がある。
「いらっしゃいませ」
店員は銀髪の小柄な女性だった。猫耳のような黒いカチューシャに白いワイシャツ、ロングの黒いカフェエプロン。落ち着いた雰囲気の女性で、猫のような三白眼と八重歯が特徴的だった。
「おやおや、随分珍しいお客様で。神様を連れていらっしゃる」
美奈子はとんでもない悪霊に憑かれている。この世の誰にも美奈子の憑き物は祓えないだろう。それほどまでに強力な霊だ。
今まで恐れられたり、驚かれることは多かったが、神様と言われたのは初めてだった。
「私の憑き物、見えるんです」
「えぇ。そういう仕事ですので」
すました顔で店員は答える。ピクリとカチューシャが動いた気がした。
「喫茶店では?」
「正しくそうです」
「同業者ではないんですよね。除霊とか」
「請け負ったことはございませんね、除霊は」
美奈子は店員の物言いを怪しく思ったが、とりあえずカウンター席に座った。
「私の仕事は落ち着けることですよ」
「落ち着ける?」
「はい、ここで美味しいハーブティーを飲んでくつろいで頂く。それだけです」
「えと、申し訳ないんですけど食べ物ありますか」
くすり、と。
店員は手を口元に当てて笑った。
「ラーメン、いかがでしょう」
内心疑問符が浮かんだ。おしゃれなラーメンを出す喫茶店がないわけではない。ただ初っ端おすすめされるのがラーメンとは思わなかった。
「お腹空いてますし、食べれるなら」
「醤油でいいですかね」
「はい。気分的には醤油ですね」
「では、つくってまいります」
店員は扉を開けてその奥に消えた。
メニュー表もなく、カウンター席から得られる情報は何もない。スマホを取り出すと電波は絶好調だ。
スマートフォンでここを調べてみると出てきた。知らないだけでここには前から喫茶店があるようだ。
「おまたせしました」
普通の醤油ラーメンがテーブルに置かれる。箸とレンゲとお茶が入っているであろうコップ、おしぼりがラーメンののったおぼんに並べられている。
「いただきます」
醤油の香りに刺激され、美奈子はラーメンを食べ始めた。
音を立ててラーメンをすする。程よいハーブの香りが醤油の旨味を引き立て、胡椒が味に緩急をつける。
ラーメン店として売っても売れるだろう。
「美味しいです」
「ハーブティーもどうぞ」
促されてハーブティーを飲む。冷たいそれは口の中をすっきりとさせ、ラーメンの味をリセットしてくれた。味に飽きが来ないように色々と試行錯誤されているのがわかる。
「デザートはパフェにします? それともパンケーキ? もちろん普通のケーキもありますよ」
まるでデザートも食べることが決まっているかのように店員が問う。美奈子は当然食べるつもりだった。
「ケーキ、ケーキでお願いします」
「かしこまりました」
また店員が扉の奥に消える。
美奈子がラーメンを食べきった頃、店員は戻ってきた。
「おさげしますね」
ラーメンと入れ替わるようにケーキが置かれた。チョコレートケーキだった。フォークを使って美奈子は食べ始める。濃厚で上質な甘みが美奈子の舌をとろけさせた。
「あま〜い」
「お気に召しましたか」
「はい、もうとっても」
美奈子の返答に店員は満足げに目を細めた。
ケーキを食べ終え、美奈子はひと息ついた。
「ごちそうさまでした。いくらですかこれ」
「五百円です」
「安いですね」
ぽんと五百円玉を置く。
「ありがとうございました」
いい昼食だったと、美奈子が喫茶店を出ようとしたとき、
「お客様」
店員に呼び止められた。
「良い夢を」
「は、はぁ」
不思議なことを言われつつ、美奈子は喫茶店をあとにした。
お香の匂いで目が覚めた。
「うん?」
眠い目をこすりながらどこか煙たい、花の香りに疑問を抱く。
ウチにお香なんてあったっけ。
「もし」
「……え」
声をかけられて、ビクリと肩が跳ねた。美奈子は一人暮らしで誰かといるなんてほぼありえない。昨日は特に知り合いを呼んだわけでもないので一人でいつものように寝たはずだ。
それに。
美奈子は目を開ける。
「鏡?」
自分の顔が目の前にあった。
「違うわよ」
自分の声がした。
「私は神崎美奈子。あなたは?」
問われて、美奈子は首をかしげる。
「私も神崎美奈子だけど」
目の前に自分がいた。
……理解が全く追いつかない。
「ええと、ドッペルゲンガー?」
美奈子の問いに目の前の美奈子は笑った。
「ドッペルゲンガーだったら祓ってるわよ」
もうひとりの美奈子は十字を切るマネをする。なんだか、自分よりも雰囲気が明るい気がする。
「なんか心当たりない? 昨日とか、いつもと違うことがあったとか」
「昨日と違うこと、かぁ」
美奈子は喫茶店のことを思い出して、もうひとりの美奈子に話をした。
もうひとりの美奈子は、話を聞いていくうちに、呆れたような顔になった。
「あなた、憑き物のせいか私と随分違う人生歩んできたみたいね」
「憑き物見えるんです?」
「見えるわよ」
当たり前と言わんばかりに胸を張る。
「喫茶店が原因であなたは夢の中、ってわけね。そのうち目覚めるでしょ」
「はぁ。夢の中、なんだやけにリアル」
何となく頬をつねる。
痛かった。
「痛い」
「私からしたら現実だし。パラレルワールドに一時的に来てるって思って」
「そんなSFじゃないんだから」
「オカルトの塊みたいな存在引き連れて言う?」
「突拍子なさすぎるものは信じられないでしょう」
「まぁ、そうか。そんなバンバンパラレルワールド行き来できたら苦労ないか。でも異界って言われて心当たりない?」
「行ったこと、ありますけど」
「性質が違うだけで同じようなものよ、っと」
ぴたっと額に札を貼られる。
一瞬で額から札が落ちて真っ黒になった。
「家にあるやつじゃ祓えなさそうね」
「あのそっちの私は憑かれてないので」
「全然。むしろ祓う側」
おかしなこともあったものだ。
「何をどうしたら祓う側に……?」
「そっちこそ、何をどうしたらそんなやばいのに憑かれるのよ」
「気がついたら」
「よく生きてられるわね」
「でも、憑き物のおかげで心霊相談事務所で働けてるし」
「はぁん、魅入られた系か」
納得したようにもうひとりの美奈子は頷いた。
「無理に祓わないほうが良さそうね」
「祓えるんですか。姐さんでも無理なのに」
「ちゃんと場所整えれば祓えるわよ」
とんでもないことをサラリと言われた。
「ということは私もできる……?」
「修行もしないでできるわけ無いでしょ。憑き物で霊力なんてパーよパー」
首を振られた。
「無理かぁ」
「その子味方ならいいんじゃない? 正邪の沙汰も使い道次第ってね」
他人事のようにもうひとりの美奈子は言う。まぁ、同じ存在なだけで他人事なのは違いないが。
「……そうですね。いなくなったら困りますし」
仕事も生活も、憑き物のおかげだ。
「振るう力は違くてもやること一緒って感じね」
もうひとりの美奈子はお香を焚いていた箱を持ってくると、開いた。そこへもうひとつ、お香を持ってくる。
「なんでお香焚いてるんです」
「今焚いてるのは霊の力を抑えるお香。霊自身の怒りを鎮めて、対話するのに使ったりするの」
でこっちは、ともうひとりの美奈子はお香に火をつけて箱を入れて蓋を閉める。そして互いの間に置いた。
「目覚めのお香。悪夢に囚われてる人を助けたりするのに使うわ」
「私に効果ありってことですね」
「本当に夢ならね。迷い込んだだけならお手上げ」
もし夢じゃないのなら帰れない、という話だったが美奈子には実感がわかなかった。
「異世界から帰る手段ってないんですね」
「行き来できたら世界の法則が乱れるしね」
「知り合いに異世界から来たって人がいるんだけど帰れます?」
「誰」
「榊覚さん」
占い師の名前を出すが、もうひとりの美奈子は首をかしげる。
「知らない。憑き物がいるから出来た人の縁じゃない? 姐さんは一緒だけど。宮根静留所長よね」
「はい。宜保葵さんは?」
「私の弟子。下の階で独り暮らし」
「弟子ぃ!?」
美奈子は驚かずにいられなかった。宜保葵は、静留が日本一と太鼓判を押すほどの天才中学生だ。気軽に弟子と呼べるものではない。
「うん、弟子。めっちゃ強いから教えることないけど」
「デスヨネ。日本一ですもん」
「なのに姐さんとか私尊敬してるんだから偉いし謙虚で良い子よねぇ」
二人で頷く。
「あ、オタクくんとか詩研くんは」
「いるわよ。
「彩さんって誰です?」
「霊感だけ強くて霊に憑かれるのよ。気弱で可愛い女の子」
言われて、美奈子が仕事場にいたとき、泡を吹いて倒れた喫茶店のスタッフがいたのを思い出した。
「あー、もしかしたら一階の喫茶店で仕事してるかも」
「そっちの私が憑かれてるからか。視えるんだろうなぁ。優秀だし、喫茶店でも問題ないか。働く代わりに給料にプラスして除霊タダとかにしてるでしょう、たぶん」
「喫茶店の方は行かないようにしてるんですよね」
「そうなの、勿体無いなぁ美味しいのに」
「話聞く限り彩さんいますし。なるべく姐さんも入るなって」
「それもそうか」
互いの世界とのギャップが楽しく思えた。
そんなやり取りを繰り返していると、眠気が強くなってきた。
「眠い? 寝て起きたら元の世界だから寝ちゃいな」
「なんか勿体無い気がして」
「新鮮な体験だしねー、二度と会えないだろうし」
「そう聞くとなんだか寂しいですね」
「寂しくないわよ。私だもの」
明るく胸を張るもうひとりの美奈子。その姿を羨ましく思いながら、美奈子の意識はまどろみにとけていった。
「ま、そのままだと不幸な未来しかないだろうけど、頑張ってね」
意識が途切れる瞬間、そんな声を聞いた気がした。
肉の焼ける匂いで目が覚める。
「めっちゃいい匂い」
美奈子は体を起こすと、匂いを辿って歩いていく。
宜保葵が、キッチンにいた。
「葵さん、どうしてここに」
「センパイに変な気配がまとわりついていたので様子を見に来たんです」
美奈子を一瞥してから、フライパンの中の特大ハンバーグに目を向ける。
「夢に囚われてたみたいでしたけど眠気覚ましのお香の匂いしましたし、お夕飯でも作っておいて食べてもらおうかと」
「やだ、良い子」
「好きなものの匂いも引き戻すきっかけになりますから」
ハンバーグをひっくり返す。いい感じの焦げ目がついて食欲をそそる。
「鍵ですが、開いてました」
「あれ、鍵閉めてたはずなのに」
「よくあることです。憑き物が開けてくれたのでしょう」
よくあっては困るのだが。
美奈子はその言葉を呑み込んで、苦笑いを浮かべるしかできなかった。
「できました」
両手に収まらないであろうハンバーグを、大きな紙皿の上にどかっとのせる。そこに玉ねぎドレッシングを軽くかけた。
「ドレッシングなんだ」
「万能です」
その隣に通常サイズの皿の上に通常サイズのハンバーグをのせる。
「お肉を焼きたいだけだったのでサラダはコンビニのものです。お米は炊きました」
葵は何度か美奈子の家で夕飯を食べたことがあるし、一緒に料理をすることもあったのである程度の勝手はわかっていた。
「ありがとう!」
用意してもらった夕飯によだれを我慢しつつ、美奈子は箸や飲み物を準備することにした。
もうすっかり先ほどの夢よりもハンバーグに魅了されていた。
後日同じ道を歩いてみたが、喫茶店はあった。あったが、普通の喫茶店で、入ってすぐのカウンター席も、銀髪の店員も、ラーメンも、濃厚な甘みのケーキもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます