あやかし

 神崎美奈子はとある小学校に来ていた。心霊相談事務所の所長、宮根静留に舞い込んだ依頼のためだ。

 今回は美奈子だけではなく、静留をはじめ、相談事務所のメンバー総出となっている。

 校舎裏にある駐車場、その木々が並んでいる端の方で、依頼主から全員が話を聞いている。

 そこはどことなく、果実の腐ったような、きつい臭いがする気がした。


「ある日、うちで世話していたうさぎがいなくなったんです。それでみんなであちこち探し回ったところ……」


 依頼主である校長が木の一本を指差した。校長は初老の男性で眉間に苦労を刻みつけたような人相であった。


「あそこに刺さってたんです、モズの早贄のように」


 指差したところには枝が折れたような跡が見られた。


「ちなみに当日の写真です」


 校長が取り出したスマートフォンの画面を見ると、確かにうさぎの死体に枝が突き刺さっていた。


「……あのモズの早贄って」


 美奈子がこっそり、隣にいる奥山拓也、通称オタクに聞く。


「モズ類が獲物を捕らえて枝に刺しとくことをそう言うんです。生贄に見えるからというのが由来っス」

「はえー」


 オタクの知識に感心する美奈子に、「でも」とオタクは首を振った。


「モズ類じゃうさぎは無理ですね。虫やトカゲが精一杯です」

「じゃあ、真似した人の仕業とか」

「まぁ無くはないわね」


 美奈子の言葉に静留は同意する。


「ただちょっと痕跡があるわね。臭いがする」

「——え、何かします?」


 最近バイトで入ってきた花寄詩研が聞いてくる。美奈子が以前助けた依頼主なのだがいつの間にか面接を合格し、バイトに採用されていた。


「いいえ、何も。美奈子さんは?」


 オタクに聞かれ、美奈子は戸惑いつつも答える。


「果物が腐ったみたいな臭いしません?」


 静留は美奈子の答えに首肯した。


「するわ。アンタとアタシにしかわからないみたいね」


 聞いても、オタクと詩研にはわからないらしい。二人で顔を見合わせ、オタクは首を振り、詩研は首を傾げた。


「あの、それでですね、うさぎだけではないんです。その日にいなくなったのは」


 校長が震えた声で衝撃の事実を口にした。


「飼育委員の子がひとり行方不明なんです」


 一同の顔つきが変わった。やや弛緩していた空気が一気に引き締まる。


「何があったのかわかりますか」


 静留が尋ねると、校長は力なく首を振った。


「いえ、それが全く。警察にも捜索して頂いてますが......」

「失踪ですか」

「あなたたちにはこの現象の究明と、その飼育委員の子を探してほしいのです」


 静留はため息を吐くと、重々しく告げた。


「その子については、残念ですが手遅れと考えたほうがいいでしょう」

「そんな」


 校長は泣きそうな顔になる。


「ですが、まだ生きているかもしれません!」


 すがるような校長の視線にも静留は冷静に返答した。


「可能性は低いかと」

「それでもお願いします! どうか探して下さい! どうか」


 校長は頭を下げた。


「我々としてもできる限りのことをさせていただきます」


 静留は悲しげな表情で校長の手を握る。


「よろしくお願い致します」


 そう言って校長は去っていった。

 美奈子たちはその場で沈黙してしまう。     

 校長の必死な姿を思い返すと心が痛んだ。

 静留に視線を向けると、彼女も同じ気持ちだったようで、小さくため息を漏らしていた。


「どうするんですか、所長」


 オタクがぼやくように言った。


「相手の見当はついてるわ。骨が折れるけどこれ以上の犠牲は出さないようにしましょう」

「相手って」


 詩研の問いに、まるで教え諭すように静留はその名を告げた。


 鵺、と。




 鵺。顔は猿、胴体はたぬき、脚は虎、尻尾が蛇の妖怪の名前である。

 とはいえ、姿以外の特徴はあまり知られていない。平家物語で退治された話があるが、モズの早贄のような行為はない。


「鵺は山の化身と考えてちょうだい」


 貸し切り状態となった図書室で、静留は地図を広げる。


「山にいる動物の生態なら何を持っていても不思議じゃないわ。食物連鎖の中で蓄積された怨念が動物に憑依してあり方を捻じ曲げる。伝承のように虎の脚を持つことはほとんどないわ」


 地図上に印をつけながら静留は説明を続けた。


「現状確認できてる被害は、この小学校と近くの保育園で鶏が惨殺されていた二件。アタシとオタクくんは現地の調べもの。このへんの伝承とか、山の神社とか鵺がいる可能性がありそうな場所を絞り込むわ」

「了解です」


 オタクは敬礼で返す。


「詩研くんはこの小学校で飼育委員の子について聞き込みして。失踪する前の様子とか何でもいいわ」

「わかりました。早速いきますね」

「任せたわ」


 詩研は図書室をすぐの出て聞き込みを開始する。


「美奈子」

「はい」


 姿勢を正す。自分はどんなことをすればいいのかと思いながら指示を待っていると。


「アンタは寝る」


 予想外の指示が飛んできた。


「保健室のベッド使っていいらしいから寝てきなさい。アンタは夜にこのへんパトロールしてもらうわ。ついでにマークした場所にも行ってもらう」


 つまり夜勤ということらしかった。


「わかりました」


 美奈子は頷くと、保健室へ向かうことにした。




 紫煙をくゆらせる。


 美奈子は夜の町を歩いていた。

 昼間のうちに集められた情報がまとめられた紙に目を通しながら夜風に目を細める。

 失踪したのは身久根ヒサ、小学四年生の女の子。髪型はツインテール。最近買ってもらった桃色のワンピースを好んできており、失踪した日もそれを着ていた。

 失踪する前日に高熱を出し、一日中うなされていたのだそう。その夜にいつの間にか部屋の窓が開いており、忽然と姿を消している。

 うさぎの死体を見つけたのもこの子でひどく怯えていたのだという。大人たちは誰もが死体を見つけた故だと思っていた。

 鵺の居場所については、わからなかった。ただ、小学校と保育園の近くに祠のある山があることがわかった。美奈子はとりあえずそこに向かっている。


「——で、なんで詩研くんまで?」


 隣に視線を向けると詩研が歩いている。白に青いラインの入ったルームウェアでスポーツシューズを履いていた。


「好奇心です」


 とびっきりの笑顔で返された。


「ストレートぉ」

「山って広いでしょうし、ね?」

「まぁ、私は構わないんですが」


 ただの依頼主だったのに、仕事を共にするとは思わなかった。


「美奈子さんは妖怪見たことあります」

「どこから妖怪なのかわかりませんけど、まぁそれっぽいのとは」

「私は河童を一度だけ見たことあります」


 ほへぇ、と相槌を打つ。心霊スポットに行くことが趣味な彼のことだろう。きっとどこかの心霊スポットで出会ったに違いない。

 河童のエピソードについて詳しく聞こうとして口を開き、そして足を止めた。


「ねえ、詩研くん」


 ぴたりと詩研が立ち止まり、振り返る。


「どうしました?」

「臭いがするんです」


 果物が腐ったような臭い。鼻孔から頭を刺激して、くらっとしてしまいそうだった。


「こっち、かな」


 鼻がいいわけでもないのになぜか方向がわかった。


「美奈子さん、道案内よろしくお願いします」


 美奈子の前を詩研が歩き始める。


「え、なんで」

「臭いがする方向に鵺がいるかもしれないんでしょう? いきなり襲われるかも」

「漢だ」

「男です」


 美奈子が臭いのする方向を教えながら、詩研を先頭に歩いていく。

 やがてたどり着いたのは公園だった。しかし、公園には入らず、足を止めた。


 何か、いる。


 美奈子は詩研と顔を見合わせ、ごくりと唾を呑み込んだ。


「ライトで照らします」


 スマホの懐中電灯をつけて詩研が言う。美奈子は頷いた。

 そしてそれを、見た。

 人の姿ではなかった。

 猿だった。

 否、よく見れば猿ではない。

 顔は猿だが、身体はたぬきで、蛇の尻尾を持った奇妙な生物がいた。


「鵺……!」


 詩研は呟いた。

 鵺は美奈子たちを見つけると、笑った。 その姿を見た瞬間、美奈子の全身が粟立った。


 あれはまずい。


「……は?」


 動こうとして、しかし足に力が入らず、へたり込んでしまった。蛇に睨まれたカエルのように。


「美奈子さん!?」


 詩研がこちらに振り返る。

 すると鵺がこちらに走ってきた。


「えと、あっ」


 混乱した頭が腰が抜けたという現状報告と、後ろから鵺が迫っている危機を同時に伝えようとし、絡まってしまう。

 そして、鵺が跳躍した。

 まるで鳥のように、空を舞ったのだ。そして詩研のうなじへ向けて牙を剥く。

 だが、その喉元へ詩研の裏拳が飛んだ。裏拳は正確に喉を殴り、鵺を後退させる。


「すぅ」


 残心とともに鵺に向き直りながら構えをとる詩研。

 頭の前で小さく拳を構え、右足の踵を軽く浮かせる。


「ヒョー、ヒョー」


 闇夜に目を光らせながら、鵺は鳥のように鳴く。


 静かに、詩研が鵺を睨んだ。

 沈黙が流れる。鵺も詩研も様子見といった感じで、いつまでも攻めることはしなかった。

  しばらく睨み合った後、鵺は詩研に背を向けて跳び去った。

 その姿を見送って、詩研は体を向ける。


「美奈子さん、怪我は」

「えと、ないです。詩研くんのおかげで。ありがとうございます」

「前にいてよかったでしょう?」


 ニコリと笑って、詩研が手を差し出す。美奈子は手を取って立たせてもらった。


「逃げた先的に私たちが行こうとした山とは反対ですね」

「ですね。私のせいで逃げられましたけど」

「それはまぁ美奈子さんの安全が一番で」


 鼻にまとわりついていた臭いは消え、力もうまく入るようになっていた。

 美奈子はスマートフォンを取り出し、静留に電話をかける。


『はぁい、どうしたのー』


 眠たげな声で静留が聞いてくる。


「鵺と出くわしました。一緒にいた詩研くんが追い返してくれましたけど」


 電話の向こうで疑問の声が漏れる。


『……え。待って、詩研くんが追い返せたの』

「裏拳で喉叩いて睨み合いしたら鵺が撤退しました」

『……思ったより良いバイトくん雇えたかも。いやそれより、鵺に人の部位なかった? 手とか、髪の毛とか』


 美奈子は思い返すが、全て獣の部位に思えた。


「詩研くん、鵺に人間ぽい部分ありました?」


 顎に手を当てて、詩研は考え込む。


「……喉ですかね。喉仏、ありました」

「男性みたいに、ですか」


 詩研は頷く。


『わかったわ。一度戻ってきなさい。お疲れ様』

「はい、わかりました。それでは失礼します」


 電話を切り、詩研を見る。


「どうでしたか?」

「帰ってきて、とのことです」

「承知しました」


 二人並んで来た道を戻る。

 道中、美奈子は口を開いた。


「鵺ってどうして人里に来たんでしょう」


 詩研は首をかしげて、当たり前のように答えた。


「熊やイノシシと同じじゃないですか?」

 



 翌日。

 集められた服やランドセル。行方不明の飼育委員の女の子のものだった。

 静留はそれらに触れ、そして詩研の手を握りながら霊視を行う。

 霊視というのはものや人の精神的な繋がり、霊的な繋がりを見て、辿る術のことを言う。幽霊や怪異の類を見るときは霊視より狭義の見鬼という術を使う。

 静留は図書室の中で女の子を探す霊視と、鵺と接触した詩研を縁とし、見鬼を同時に行っていた。

 鵺が女の子と関わっていれば霊視は見鬼によって強化され、より確実なものになる。

 目を瞑ったまま、静留の眉間や眉がピクピクと動く。どちらか片方でも、一人前の霊能者がかなり集中して行える高度な術だ。しかし、静留は同時に行っている。少しでも気を抜けば失敗するだろう。

 美奈子はあまり静留の術を行使する場面を見ない。


 美奈子にはとんでもない悪霊が憑いている。どんな霊も霊能者も太刀打ちできないほど強力なものだ。美奈子に害をなす霊は大体この悪霊に返り討ちにされる。

 そんな悪霊が静留の除霊や浄霊の儀式に邪魔になることが多い。霊的な配置というのに邪魔となる。

 ゆえに美奈子は静留の手に負えない相手の対処となることが多い。静留の実力はあまり見る機会はない。

 ただ見る度に思うのは静留が相当な実力者であるということだ。


「見つけた」

「本当です?」


 詩研の言葉に静留は頷く。


「オタクくん」

「はい」


 オタクが地図を広げる。その地図にはいくつか赤ペンで番号や英字が振ってあった。


「五番のcね」


 言われた番号とアルファベットに丸がつけられる。


「ふぅ、技術の進歩と使いこなせるオタクくんに感謝だわ」

「場所を特定するのに、地図アプリのストリートビューは良い情報になりますからね」


 昨日のうちに静留とオタクであたりをつけていたのだろう。霊視してすぐ場所がどこか特定できるように、オタクの情報網で調べ尽くしていたのだ。


「さて美奈子」

「はい」

「この地図の場所に行って。たぶんまだ間に合う」

「了解です」


 美奈子は強く頷いた。




 山の麓にある神社に美奈子はたどり着いた。鳥居を美奈子はくぐり、石でできた階段を登る。

 腐った果実の臭いが、神社にも関わらず空間に充満していた。鼻をつまみたいほどだ。

 遭遇する前にどうにかしなければ。

 美奈子は本殿までたどり着くと賽銭箱を避けて、入り口の扉に手をかけた。

 開ける。

 中の開けた空間に祭壇と太鼓と、女の子がいた。

 女の子は眠っており、蹲って呼吸で肩を動かしている。


 行方不明になった女の子だ。


 美奈子は女の子を背負うと早々に本殿から出た。

 急いで帰ろうと階段を降りると、鳥居の真ん中にそれがいた。


「……鵺」


 ヒョー、ヒョー、と。笛のような、鳥の声が鳴り響く。

 美奈子は後ずさる。

 歯茎をむき出しにして鵺は嗤う。その途端、美奈子は脚の力が抜けて座り込んでしまった。


「やっぱり体が」


 どんな理屈だろうか。臭いに酔わされたように、美奈子は身動きがまともにできなくなった。

 嗤いが近づいてくる。

 今回、美奈子以外誰もついてきていない。

 鵺は怪異だ。性質は獣に近いといっていい。人間では襲われるか、対抗できても逃げられるのが常だ。

 完全に滅するには危険な長期戦が必須となる。

 だが、それを短期決戦とするために美奈子は一人で助けにきたのだ。

 鵺が飛びかかる。美奈子の首を喰いちぎるように牙をむき出しにして。


 そして空中で静止した。


「……ヒョ?」


 鵺が己の状態について理解する前に、それは起こった。

 鵺の目がぐるりと白目を剥いたかと思うとぼとりと落ちた。

 目玉が石畳の上に転がる。


「……ひ」


 美奈子は小さく悲鳴をもらした。


「がァ! ギャアア」


 ぽろり、と。鵺の牙が落ちた。

 一本、一本とどんどん抜け落ちて行く。鵺は慌ててもがくが、宙に浮かんでる状態で何もできない。

 そしてもがけばもがくほど落ちる牙が増え、牙が抜けるたび、血が流れ落ちる。

 どろりと。

 歯茎もくっついて歯が全部落ちた。


「ごぼっ、ぼぼ」


 まともに声を出せなくなった鵺。

 しかし、それだけではなかった。

 べちゃりと。

 耳がちぎれて落ちた。

 目玉に、耳に、牙。

 見えず、聞こえず、言えず。


 最期にぐるりと鵺の顔が回転し、全てが地に落ちた。


 ——美奈子の憑き物だ。

 美奈子は心臓がバクバク胸を叩くのを感じながら立ち上がった。

 力がちゃんと入る。


「うえ」


 吐き気を抑えながら、美奈子は急いでその場を去った。




 飼育委員の女の子は鵺の記憶もなく、無事だった。

 静留曰く土地の神が守ってくれたのだそう。


「ここの土地が生きてて信仰が整ってるのが幸運だったね。鵺に狙われたときに神社に誘い込んで保護したんだろうさ」


 安堵した表情でそう語った。


「鵺って結局何なんです?」


 焼けた肉を食べながら、美奈子は静留に聞いた。

 依頼解決記念の打ち上げである。


「山に溜まった怨念が一つに固まって猿とかに憑依するのよ。そうして凶暴化した猿が死骸を食べて、死骸の残留思念、無念を取り込んで体を変えていくの」


 静留はビールを飲む。

 各々が食べたい肉を適当に焼いて取ったり他人に譲ったりしていた。


「へぇ、ヒサルキの話も結構眉唾ものじゃなかったんですね」

「そうなるわね」


 詩研の言に静留が笑う。


「案外都市伝説とかも単なる創作だけじゃないのかも」


 オタクの呟きに美奈子も同意した。

 静留が肉を焼きながら口を開く。


「まぁ、設定ていうのは筋が通ってることが大事じゃない? だから世の摂理とも偶然重なることもあるし、それも珍しくないわ。噂が怪異をつくることもあるしね」


 創作が実在する。

 現実は小説よりも奇なり、ということだろうか。


「美奈子、食べ放題なんだからグイグイ行って店員さん泣かせてやりなさい」

「イエッサー!」


 かくして鵺の一件は解決したのである。

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