ルーツ

 夢を見た。

 田舎を歩く夢だ。母方の実家の近くだったと思う。小学生の夏休みによく帰っていた。田畑に囲まれながら、整備された細い道路を歩いている。

 古びたブランコしかない、小さな公園の入り口で足を止めた。

 ふと掲示板が目に止まった。ポスターが貼られており、色あせたポスターには指名手配犯の名前と写真が貼られている。


『連続殺人犯 坂木悟』


 思わず、手を伸ばす。

 占い師の知り合いと、同音の名前だったからだ。顔立ちもどこかに似ている。

 ただ、占い師本人だとは思わなかった。顔は占い師より老けているし、十八年前のポスターだ。今なら四十後半か五十代だろう。年齢がどう考えても合わない。

 それに。


「知ってる」


 神崎美奈子はこの坂木悟を知っていた。

 美奈子の言葉に反応するように、右手を強く掴まれた感覚がした。不可解な現象に、しかし美奈子は恐怖を抱かなかった。

 自分の右腕に成人男性くらいの大きな手のくぼみができている。

 グイ、と。

 腕が引っ張られ、公園と逆方向に引っ張られる。


「ちょっとまっ」


 ――それで目が覚めた。

 スマートフォンを取って検索をかける。無論、先程の男についてだ。

 検索にかかった事件は一つのみ。


『坂木悟、恋人の両親を殺害して行方不明』




 雨の中びしょ濡れになりながら歩く。ジャージを着て、夜の住宅街をフラフラと。


「ねえ、あなたって結局なんなの?」


 虚空に向けて美奈子は問いかける。答えは返ってこない。

 道に人はいなかった。休日に、しかも雨の日に外に出る人は少ない。車は別だが、いつもに比べれば見かける数は減っていた。

 いつもは子どもで賑わっている公園も空き地のようにがらんとしていた。そこに入って、イスに座る。正面に見えるブランコがひとりでに揺れていた。

 風のせいだろう。ああいうものは霊に関係無くよくあることだと、心霊相談事務所の宮根静留は言っていた。だいたいは物理現象だし、霊がいたとしても遊んでるだけだから害はない、と。

 ぼうっとブランコを眺めながら、雨に心を溶かす。

 このまま、消えてしまえればいいのに。


「陰に触れまくってるねぇ」

「うひゃぁ!」


 頭上で声が響く。美奈子は肩を飛び上がらせて立った。

 振り返ると占い師……榊覚がいた。和風の傘をさして、立っている。


「榊、さん」

「やぁ」


 手を上げて、あいさつをしてくる。美奈子は小さく会釈をして返した。


「……見えるなぁ」


 顎に手を当てながら、瞳の中を覗き込むように見られる。


「サングラス越しって感じだけど、うっすら見える。最近お祓いでも受けた?」

「よくわかりませんけど下の階に巫女さんが引っ越してきて」

「あぁ、場を清めて崇めてるのか。年下で、同性、間柄は友達かな」

「なんでわかるんですか」

「ミえるからね」


 傘の影で笑う。


「ところで傘使わないの」

「たまに濡れたくなるときがあって。ここ数年なかったんですけどね」

「ちょっと霊が強くなってる。数が増えたね」

「座敷わらしを取り込んだらしくて」

「たち悪い」


 うんざりしたような顔で覚はため息を吐く。


「榊さんはリュック背負ってないですけど」

「部屋借りて、ご飯買いに来たとこ」

「部屋、ですか」

「事故物件」


 記憶を掘り起こして、以前事故物件の説明義務を無くすために住むことがあると言っていたのを思い出す。


「平気なんですか」

「だいたいは。今回は無理そうかな。ま、近くの心霊相談事務所に連絡したからそこがどうにもならなければお手上げかな。悪評聞かないとこだし」


 ここらで心霊相談事務所と言えば美奈子が所属しているところしか覚えがない。

 美奈子はおそるおそる尋ねた。


「心霊相談事務所って、宮根って人が所長じゃありません?」

「あぁ、うんそうだけど」


 ビンゴだった。


「ウチですそこ」

「ふーん、じゃ君でもいいわけだ」

「いや良いってわけじゃ」


 所長宮根静留にとって、美奈子を呼び出す判断基準というものがある。手に負えない悪霊、未知数の相手といった類だ。悪霊でなければ浄霊して成仏してもらうのが筋であるし、敵意がなければ美奈子に取り付いている凶悪な憑き物は反応しない。


「許可もらえばいいわけね」


 ポケットからスマートフォンを取り出し、電話をかけ始める。


「あぁ、もしもし。先程かけた榊覚です。どうも。実は公園で偶然おたくの従業員と出会いましてね。えぇ、茶髪にロングヘアーの女子大生くらいの子……この子借りていいですかねぇ。えぇ、わかりました。失礼します」


 電話を切って、ポケットにスマートフォンを仕舞う。


「オッケーもらったから行くよ」

「え。待ってください、服びちゃびちゃだし、着替えもないし」

「適当なジャージと下着買えばいいでしょ。君のウチまで行くの面倒だし」

「いやこんなに濡れてると買えないんですけど」

「僕が適当に買うさ」

「あの……さすがに恥ずかしいというか」


 美奈子も女性だ。男性に着替えを買われるというのはさすがに抵抗があった。


「ならそんな楽しくない儀式はやめることだ」

「えぇ……えぇ……」


 にべもなく返されて、美奈子は唖然とするしかなかった。




 事故物件について、美奈子はシャワーを浴びて着替えを済ませた。

 サイズがピッタリでなくいいように、黒に赤いラインの入ったジャージと、ストレッチタイプのスポーツ用の下着を覚が買っていたため、着心地は悪くなかった。濡れた衣類は購入した服屋のビニール袋に入れて、持ち帰ることにした。


 ボロボロのドライヤーで髪を乾かし、覚の待つ部屋に行く。


「あの、ありがとうございました」

「どういたしまして。気にしといてね」


 部屋にはいつも背負っているリュックと膨らませた状態のエアベッドがあった。

 他は何もない。


「電気とか水道とか通ってるんですね」

「三ヶ月で契約してるからねー、そのうち残り期間で他のホームレスに住んでもらうし」

「そうなんですか」


 てっきり自分だけで住むのかと思いこんでいたが、慈善事業に近いことをしているようだった。


「座りなよ、立ってるよりはマシでしょ」

「はい。失礼します」


 促されて近くに座る。


「今日はエアベッドで泊まりね」

「えっ、榊さんは?」

「床。慣れてるし」

「そんな私が床でいいですよ」

「君はエアベッド。いい?」


 強めの口調で言われ、頷くしかなかった。


「は、はい」

「よし」


 覚は廊下に消えると、お茶とビールを持ってきて座り直した。


「どうぞ」


 目の前でお茶のペットボトルとビール缶のセットが置かれる。覚は自分の目の前にも置くと、ビールを飲み始めた。


「あのここの霊はどういう」

「夜に首を締めてくる女の霊」

「ありがちですね」

「人間だからね。霊になろうとパターンは変わらないさ」


 淡々と覚は告げる。


「なんというか怖いものなさそうですね、榊さんって」


 覚は目を細めた。


「怖いものならあるよ」

「なんですか」

「お酒が怖い」


 そう言って喉を鳴らして飲んだ。無論、ビールを。


「君は何かなくしたのかい」

「え」

「失せ物……は違いそうだね。人かな……いや、近いけど違う、情報、記憶? うん、必要なのは情報かな」


 美奈子は唖然とするしかなかった。


「なんでそんなポンポン当てるんですか」

「全人類共通なのは表情さ。そこの微細な変化は嘘をつかない。嘘の表情はタイムラグがあるから、その前段階の一瞬を見たりする」

「なんか精密機械みたいですね」

「慣らせばそうでもないさ。それで、何が気になってるんだい」

「榊さんの、漢字は違うんですけど同じ音の名前の人が出てきたんです」

「夢かい」

「はい、十八年前で。ポスターなんですけど連続殺人犯って紹介されてました」


 ピクリと榊の眉が動く。


「でも、調べても連続殺人犯なんて情報なかったんです」

「未解決事件は」

「はい?」

「君はその人のことを連続殺人犯だと思った、もしくは知っていた。なら、ヒットした事件の前後に未解決事件があれば、それがその人の犯行かもしれない」

「なるほど。今手元にスマホないんで帰ったら調べてみます」

「十八年前、ねえ」


 覚はスマホを出して何かを調べだす。


「同音の名前。他人とは思えないな」


 スマホの画面をこちらに向ける。


「黒狼事件。未解決の連続殺人事件。ネグレクトをしていた人ばかりが殺された事件だ。そしてネグレクトは全て事件後の調査で判明してる。事件現場にいあわせた者の証言の共通点は"窓から黒い狼が襲ってきた"だ」


 事件の詳細を確認する。

 覚の言う通りの詳細だった。美奈子はいいようのない確信がわいてくる。


「これだ」

「君がそう思うなら確定だろう。どうやら夢の人も僕と同様に何かミえていたぽいね」


 片手だけ指眼鏡をつくってそれごしで美奈子を見る。


「坂木悟の起こした事件の動機ははっきりしている。恋人の両親が、恋人に対して虐待を行っていたから、だ」 

「行方不明になったあとも同じような家族を殺してまわってた、ってことですか」

「たぶんね。そして逃走の果てに恐らく、君の憑き物に、いや、憑き物の一部になった」


 それが坂木悟という男。


「どうやら、僕はその人の代わりとしてこの世界に来たみたいだ」

「どういうことですか」


 美奈子の問いに覚は驚くべきことを口にした。


「僕がこの世界に来たのも十八年前だからだよ」




 浮遊感で目が覚める。


「うぅ」


 目を開けると下が黒い奈落になっていた。


「えっ」


 周りを見る。周りも真っ暗で何も見えない。


「お嬢ちゃん、しっかり掴まりな」


 見上げる。ポカリとあいた光の穴に、男が腕を差し出して、美奈子の右腕を掴んでいた。

 知っている顔に、知っている声。


「坂木、さん」

「行くよー? せーのっ」


 グイっと腕を引っ張られ、暗闇から出る。

 地に足をつけられた美奈子は安心感に満たされた。


「ありがとうございます」


 振り返ると、古びた井戸と坂木悟がいた。自分が落ちそうになっていたのは井戸だった。そして坂木の足に井戸からのびた髪の毛がまとわりついている。


「あの、それ」

「気にしなくていい。どうせ生きてたって死刑だ」


 髪の毛に坂木が引っ張られ、今度は坂木が井戸に落ちる。

 それでも坂木は井戸を掴んで、一度顔を出した。


「いいかい、君はこのことをなんでとかどうしてとか考えるな。忘れること、それが縁を薄れさせ、切ることに繋がる。いいね?」


 コクリと体が勝手に頷く。


「これからのことは僕次第でもあるが君次第でもある。僕はコイツを抑え込む。君は忘れる。いいかい、忘れることのコツは疑問に思わないことと、幸せに過ごすことだ。それじゃ」


 坂木はそこで深呼吸をして、叫んだ。


「逃げろ!」


 坂木が井戸に落ちる。

 弾けたように美奈子は走り出す。井戸を一度も振り返らず、走って鳥居を抜けた。




 そして今度こそ目が覚めた。

 ゆっくり体を起こし、額を拭う。ひどく汗をかいていた。


「うなされてたね」


 覚が話しかけてくる。


「起こしちゃいましたか?」

「いいや? 女の霊が君の霊にボコボコにされてるのを見てた」

「倒しました?」

「完全にね。それと、君の夢を見た」

「私の、ですか」


 霊の事などどうでも良かったかのように覚の表情が真剣になる。


「夢の内容を伝えてもいい。ただ、君にとっては知らない方がいいのかもしれない、そんな夢だった」


 夢の中の悟の言葉が思い起こされる。

 確かに知らないほうが幸せなのかもしれない。難しいこと考えなくて済むし、面倒くさいのは嫌いだ。

 きっと、憑き物の一部である彼は忠告してくれたのだろう。


「君は呪われてる。その悪霊に、人生をまるごと左右されてる。それは、呪いと同義だ」


 頬を汗が伝う。


「解呪は理解することから始まる。だから知ることも決して間違いじゃない」

「ちなみにおすすめはどちらですか」

「どっちも」 


 美奈子の一番嫌いな返答が来た。


「君がそれとどう向き合うか次第さ。決心がついたら聞いてくれればいいさ」


 そう言って覚は笑った。

 知らないうちに彼の両目が充血していることに、今、気付いた。




 布団に倒れ込む。

 帰宅した美奈子はシャワーも、洗濯物も後回しにして、ただ惰眠を貪ることにした。

 なんだかひどく疲れを感じていた。

 頭の中で夢の出来事と覚の言葉がぐるぐる巡っている。


「私は、どうしたいんだろう」


 すがるように出た独り言は、虚しく部屋に響くのみであった。

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