天災

 心霊相談事務所に入ると知らない人がいた。普通は相談者だと、神崎美奈子も思うのだが、今回は様子が違った。

 所長の宮根静留と、意見を言い合っている。

 美奈子がはいってくるなり、その人物はこちらを見て、絶句した。


「あのぉ、はじめまして。神崎美奈子です」


 何となく、頭を下げて自己紹介をした。するとその人物は怪訝そうな顔になり、美奈子の顔を覗き込む。

 見た目だけで言うのなら中学生に見えた。前髪を額あたりで切りそろえ、後ろ髪はおさげにしている。鏡のように透き通った瞳は美奈子の顔を映していた。

 体は小柄で、リス等の小動物の印象を受ける。

 若葉色のブラウスワンピースを身にまとい、肩から白いポーチを下げていた。


宜保ぎぼあおいです」

 柔らかさのない、平坦な声だった。女の子にしては低めだろうか。


「静留さんから、聞いてます。実際、目にすると異様ですね」

「アンタの憑き物のことよ」


 美奈子には恐ろしく強い悪霊が取り憑いている。だが、悪霊は美奈子を襲わず、美奈子に害をなすものに牙を剥く。


「葵はね、天才中学生なの。巫女として実力は日本一といって差し支えないわ」

「いえ、静留さんほどでは……」


 困り顔で葵は目をそらす。


「その日本一位さんがいったい何をしに?」

「あなたの、調査です」

「調査?」


 葵は頷いた。


「私たちにとってその憑き物が有用なのかどうか、その調査です。いわば試験官、といいましょうか」

「なるほど」


 試験と言われても美奈子が何かするわけではない。


「北海道へ仕事に行きます。あなたは保護者としても同行してもらいます。私未成年なので」

「え!?」


 あまりに突拍子のない言葉に美奈子は静留を見た。


「旅行代多めに出すわよ。美味しいもの、たくさんあるし行ってきな」

「マジですか!」


 ――そう言われてしまっては仕方ない。美奈子は仕事を受けることにした。決して、食べ物に釣られたわけではない。




 数日後。

 飛行機と電車を使って美奈子たちは北海道に着いた。

 そこからバスで目的地である旅館に着くまでに丸一日使い、体力を使い切っていた。


「疲れ、ましたね」

「そうですねぇ」


 夜。闇の中で灯りの点いた旅館は温かみを感じるものだった。いかにも屋敷といった和風の旅館は、疲れてもなお美奈子の心を躍らせた。


「お待ちしておりました」


 美人なおかみに連れられ、美奈子たちは部屋に案内される。畳の敷き詰められた、広い部屋だった。窓の手前に障子があり、閉めれば外から見られる心配はない。布団が二つ並べられていた。事前に、初日は食事をせず、早々に温泉に入って寝ることを伝えていたからだ。美味しい食事は明日からになる。


 二人で荷物を置き、顔を見合わせる。


「温泉、入ってきます。気を抜いたら寝ちゃいそうですし」

「なら、私も行きます」


 二人で風呂の準備を済ませると、女風呂へ向かった。

 脱衣所には誰もいなかった。棚の籠に着替えとタオル類を入れる。美奈子は服を脱いで、ちらりと葵を見た。

 葵はこちらに目を向けている。


「大人ですね、やっぱり」

「え? まあ一応」


 遅れて、葵も脱いだ。


「初めて遠出したので不安でしたけど、あっという間でした」

「緊張しますよねぇ。私修学旅行とか嫌でした」

「私はこれからですけど気は進まないです」


 二人並んで外に出る。木材で組み立てられた六角屋根の下に露天風呂がある。スーパー銭湯のように種類があるわけではなく、それだけがあった。

 洗い場で体を洗って温泉に入る。熱めのお湯が体の芯に響いた。ジワジワと指先が温まるのを感じる。


「ほっ」


 隣で細めになりながら葵が息を吐く。


「気持ちいいですね」

「えぇ」

「来れて良かったぁ」

「神崎センパイは、怖くないんですか?」

「何が。というか先輩って?」

「憑き物、です。仕事上のセンパイなので、駄目ですか?」


 今まで最低限の会話しかしなかった葵が、気が抜けたのかそんな質問をしてきた。


「いいですけど。憑き物に関してですがあまり怖くないですね」

「何で、ですか」

「助けてくれますし、何となく、敵じゃないって思うんです。というか今まで気にしてませんでしたけど葵さんのほうが怖いのでは?」


 葵は美奈子と違い見えている。化物が見えて怖くない子どもはいないだろう。


「大丈夫です。慣れてますから」

「慣れって凄い……」

「神崎センパイは多分巫女の才能あると思うんです」

「私が?」

「はい。見たところその憑き物はどこかで祀られていたものっぽいですし、何かがきっかけで神崎センパイに取り憑いた、というのを考えると神崎センパイが元々そういう才能があったのかと」

「でも私見えないですし」

「見えないから才能がない、とは限りません。憑き物がそういったものを封じ込めている可能性もあります」

「何の意味があるんですか、それ」


 美奈子の問いに、葵は顎に手を当てて考え込む。

 ぼうっと美奈子の顔を見て、呟くように答えた。


「嫌われない為、とか」


 その言葉が、何故か妙に腑に落ちた。


「一つ、アドバイスしていいですか」

「はい」

「いざというときには深呼吸して、目を閉じて身を任せてください。体を空け渡すイメージで。憑き物に体を貸すんです」

「それって大丈夫なんです」


 葵は頷く。


「神崎センパイが憑き物を信じている限り。あり方が歪んでいようと、全ては人次第です」

「そっか。ありがとうございます葵さん」

「いえ」


 前を見る葵を眺める。

 人形のように整った顔が、温泉のためにほんのり赤くなっていた。


「……葵さんってモテます?」

「藪から棒に、なんですか」

「こうして顔見てると可愛いなぁと思って」

「……告白は何度かされました」

「おおー。付き合いました?」

「してません。あまり知らない人でしたし」

「気になる男の子とかいないんです?」

「……いま、せん」

「本当に?」


 心なしか顔の赤みが増していた。


「……はい」


 消え入りそうな声で答えが返ってきた。謎の間があったが、追求しないことにした。




 寝る準備を済ませて布団に入る。二人で、だ。


「私こういうお泊り初めてです」

「え、いいんです初めてのお泊りが私とで。というか仕事ですよ。法律的に結構ギリギリ」

「いいんです。名目上、仕事をするのはセンパイで、私は旅行ついでにセンパイを見るだけなので。それに」


 葵は美奈子の方を向いた。


「普段関わる人は距離を感じるんです。センパイは大丈夫そうです」


 日本一の天才。

 優れた能力に負い目を感じる人がいるのだろう。自分の学生時代だって全国大会出場とか、コンクール優勝とか、そういうことができる人間と親しくなった覚えがない。


「まぁ競い合いの世界からとっくに脱落しちゃってるし」


 同じ学生の身分で比べられるからそういうものを身近に感じるだけであって、美奈子は比べられる立場ではない。悪霊頼りの堕落した毎日を過ごす美奈子にとって雲の上のことなんて忌避すべき問題ではないのだ。


「仕事が終わったら甘いものとか食べたいです」

「いいですね、海鮮も食べましょう。姐さんからお金貰ったし」


 タダほど美味いものはない。


「センパイは何が好きなんですか?」

「私はですねー」


 何も変哲もない世間話を始める。

 それはお互いに、足りないものを補強するように、夜明け近くまで続いた。




 目の前に、あからさまに札で封印されている部屋があった。

 他でもない、仕事でこの中の霊をどうにかするのである。

 場所としては旅館二階、隅の方の部屋だ。


「私の祖母が封印して、去年私が新しく封印し直しました」

「ということは葵さんも手に負えないものがこちらに」

「はい、私未熟ですから」


 そう言いながら細い指が札を剥がす。


「あれらを浄霊するにはリスクが高すぎました。ですのでセンパイにお願いします」


 扉の先にはたくさんの子供の遊び道具があった。人形やボールや、絵本に、おままごとセット。

 ゴクリとつばを呑み込む。

 一歩踏み出す。


「危なくなれば私が助けます」


 真剣な眼差しで葵が言う。美奈子は頷くと部屋に入った。

 ストンと襖が閉まる。


「――お姉ちゃん、遊ぼ」


 美奈子が視線を向けると子どもがいた。ひとりだけではない、何人もの子どもが美奈子を囲むようにいた。

 唐突に現れた子どもたちに何故か美奈子は驚かなかった。

 さもここにいるのが当たり前だと知っているかのように、美奈子の心に受け入れられた。

 この場にいる誰一人として生きている子どもはいないのだとよく知っていたし、理解していなかった。


「うん、遊ぼうか」


 美奈子は子どもたちと遊ぶことにした。 恐怖心よりも、懐かしさが強く、なんだか遊んであげたいという気持ちが強かった。


「何がしたい?」

「おままごと!」

「ボール遊び!」

「じゃあ順番ね。グループ決めてそれぞれ遊ぼうか」

「はーい」


 男の子とはボール遊び。女の子とはおままごと。

 美奈子は数十分ごとにグループを変えて子どもたちの相手をした。


「美奈子ちゃん」

「なぁに」

「久しぶりに遊んだけどやっぱり楽しいね」

「……え?」


 振り返る。

 男の子の声だと思ったが、誰のかまではわからなかった。

 というか子どもたちの顔は誰一人モザイクがかかったように顔が認識できない。顔だけピントが合わないように、ぼやけている。


「もしかして今の」


 パン、と。手を叩く音が響く。


「ね、みんな! そろそろ帰ろう! 日が暮れちゃうよ」


 美奈子の名を呼んだ子どもが、子どもたちにそう呼びかける。


「はーい!」

「お姉ちゃんまたねー」

「また遊ぼー」


 すると皆口々に別れの言葉を告げて、消えていく。

 すうっと、窓の方に向けて走っていき、姿を消していった。

 襖が開く音がして、振り返る。

 葵がいた。


「う……そ」

「どうしたんです? 葵さん」

「全部、取り込んだんですか」

「へ」

「ここにいた霊。全部、センパイの憑き物に取り込まれてます」

「えっと、私大丈夫なんです?」

「体、重たくないですか」


 肩を回し、体調を確認する。


「むしろスッキリしてるというか、温泉のおかげかな」

「……ならいいですけど。私はここの浄化をします。センパイは部屋に戻ってください。事情は後でゆっくり説明します」

「は、はい」




 座椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合う。おかみが運んできてくれた豪華そうな茶菓子とお茶がテーブルの上に丁寧に置かれていた。目の前には羊羹がある。


「どうぞ、食べてください」


 深々とお辞儀して、葵は茶をすすめた。


「では、失礼して」


 羊羹をフォークを使って食べる。上品な甘さが口の中でとろけて、美奈子は思わず笑顔になった。


「私も失礼して、食べてもよろしいですか」

「もちろん」


 葵は一礼してからゆっくりお茶を飲むと、羊羹を食べ始めた。


「では食べながらでありますが封じていたものに関して、説明させていただきます」

「はい」

「あの子らはわかりやすく言うと座敷わらしです」

「座敷わらしっていうと幸運をもたらしてくるっていう」

「はい。ただ、ここの座敷わらしは壊れていました」

「壊れる」

「人間でもありますよね。過度な期待、重荷。精神的な重圧の中で、焦って結果の出ない人とか」


 美奈子はそれを聞いて、以前の自分を思い出した。過度、と呼べるほどではないが美奈子も高校で将来について期待されていた時期がある。美奈子にとっては息苦しい以外の何物でもなかった。


「座敷わらしがなぜ壊れてしまったのか、私も詳細にはわかりません。ただ、座敷わらしは無理難題をこなさければならない、けど自分たちにはどうしようもできないという状況に陥ったのです。幸運にする、富を運ぶと言っても、子どもです。それほど大きな力を持っているわけではありません。ところが人々は捧げものを持ってきてはそれに見合わぬ大きな幸福を望む。捧げものを貰った以上、座敷わらしも叶えてあげたいと思うのですが、どうにもできない」

「なんかひどい話ですね」


 美奈子の言葉に葵は同意した。


「勝手、だと思います。それで、座敷わらしは幸せの形を変えました。死ぬのが気にならないほど遊びが楽しくて、そして何も気にせず遊んでいられる多幸感を与えること。それがここの座敷わらしにとってのもたらす幸福の形となったのです」


 美奈子は先程の出来事を思い出す。遊んだ子どもたちのことを。


「入る人々は発狂し、まるで子どもの頃に戻ったかのように退行する。あそこはそういう場所だったのです。浄霊するにはまず遊ぶこと。そして遊びで呑まれないこと。祖母には力が及ばず、私は子どもとの接し方がわからなかった。悪霊を払うことはあっても悪意のない子どもをどうするか、未熟な身ではわからなかったのです」


 そして封印することにした。


「発狂した女性の中には座敷わらしの母親であろうとする者も多くいました。浄霊とは成仏させ、行くべき場所へ還って頂く、ということです。私が母親の代わりを求められれば、身を持って連れてくしかない。除霊なら犠牲はないですが、無邪気なあの子たちを除霊したくない」

「つまり、葵さんも座敷わらしたちと同じだったんですね」


 葵はピクリと肩が上がったかと思うと、固まった。不思議そうな顔でこちらを見る。


「除霊じゃなくて浄霊がしたい。あの子たちにちゃんと責任を果たそうとしたんですよね」

「でも私はあなたに頼りました。その憑き物は敵対すれば相手を滅すると」

「話を聞く限り座敷わらしは敵対しませんよね」

「はい、だから敵対しない相手ならどうなるか、試そうという話になったんです。善意で人を狂わせる、そんな霊は稀ですし」


 話になった、というのは静留とということだろう。


「除霊と変わらない結果も十分ありえました。だから」

「あーだから危なくなれば助けるって言ったんだ」


 美奈子は言葉の続きを待つつもりだった。だが、そんな言葉が滑り出た。


「え」

「え」


 二人して呆けた顔をする。

 葵はすぐに鋭い視線で美奈子を見た。


「今まで、思ってないことを口にしたことは」

「ない、かも」

「……今はセンパイに説明させてください」


 葵は深々と頭を下げる。そして顔を上げた。


「話を戻します」


 頷く。


「結果は除霊でも、浄霊でもない。センパイの憑き物が取り込み、より強くなったと言えます」

「それは大丈夫なんですかね」

「センパイが生きている限り大丈夫です」


 葵は断言する。


「でも私たちはいつか決着をつけなければなりません。でなければ憑き物は人々にとって脅威になるでしょう」

「どうすればいいんです」

「静留がある方法を数年かけて実行しようとしています。多くのものを巻き込んだ、危険な方法です。そして私がその方法を行っていいか判断を任されました。結論を言えば、するべきです。時間はかかりますが、その方法でどうにかします。今ではないですが、いつか来ます。なので心に留めておいてください」


 とても少女とは思えない決意に満ちた瞳で葵が言った。

 美奈子は戸惑いながらも頷いた。




 数日後、美奈子はビールを飲んで部屋で寛いでいた。

 葵と北海道を堪能した後、帰ってきたのだ。


「ふぃー」


 酒がうまい。ビールは、北海道で買ったものだ。美奈子は頬を綻ばせて息を吐く。


「しふくぅ」


 酒は百害あって一利なしと聞くが酔い始めのなんとも言えない浮遊感というか心地良さはそんなことどうでも良くなる。

 嫌なことも良いことも、全て忘れていられる。

 それが美奈子にとって救いだった。

 ふと、チャイムが鳴る。

 美奈子は時刻を確認した。そして、静かに立ち上がる。


「はーい」


 玄関まで行き、美奈子が扉を開けるとそこには見知った顔がいた。


「一〇一号室に越してきました、宜保葵です」

「どうも、お久しぶりです」


 美奈子が笑顔で出迎えると、葵は恥ずかしそうにお辞儀をした。

 葵は最近、色々あって中学を転校したらしい。ここから通ったほうが早いらしく、静留が手回ししてこの下の階に引っ越して来ることになったのだ。

 葵は場を清めることができる。美奈子の憑き物にとってこの場を清めることは意味があるのだという。静留にはできないことらしい。

 同じ霊能力者でも系統が全く異なるそうだ。できることは全く違う。簡単に言えば、静留は除霊特化。葵は浄霊特化なのだそうだ。


『高校生になったらバイトで雇うんだけどねぇ。めんど……難しい浄霊任せられるし。アタシ、アンタ、葵で布陣も完璧』


 意地悪い笑みを浮かべながらそう言っていた静留の顔を思い出し、苦笑いした。


「とりあえず、これからデリバリー頼むんだけど、一緒にご飯どう?」


 美奈子が提案すると葵は静かに頷いた。

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