始点

 雨の中、渡された名刺を見て、女子高生神崎美奈子は眉をひそめた。


「心霊相談事務所、ですか」

「えぇ。あなた、とんでもない悪霊に取り憑かれています」


 宮根静留、と。名刺に書かれた名前と目の前の女性を交互に見る。静留は傘の下に美奈子もいれてくれているが、雨でびしょ濡れの美奈子に意味はない。


「あの、間に合ってます」

「どうして」


 静留が首を傾げる。


「今まで何人かいたんです。町中で声かけてくる人。泡吹いて倒れたり、めっちゃ高い御札売ってきたり、迷惑でしかないんです」


 美奈子の言葉に、静留は嗤った。


「その人たちは、無能ですね」

「は、はぁ」

「えぇ。自分の力を過信しすぎた哀れな霊能力者だと思います」

「あなたは違うんです」


 問いかけると静留は困ったように首を振った。


「同じようなものかしら」

「じゃあ私をどうしたいんです」

「うーん、助けてもらおうかなと」

「助けて、もらうですか」


 静留は頷いた。


「こうみえてもうすぐ死ぬんですアタシ」


 とんでもないカミングアウトをされた。


「呪われてしまってですね、ついこの間師匠的な人もそれに殺されまして。次はアタシというわけです」

「は、はぁ。それで私はどうすればいいんです」


 人さし指を立てて、静留は笑顔で言った。


「あなたも呪われちゃってください」




 その週の日曜日。友だちの家に遊びに行くと嘘をつき、美奈子は静留の車に乗せられてそこにたどり着いた。

 山奥の廃ホテルのような場所だった。荒れ果てた駐車場に、置き去りにされた工事スペース。

 見上げても全貌のわからない、山の斜面から生えてきたような廃ホテルがそこに佇んでいた。


「ここが呪われた山荘です」

「はぁ、山荘……え、山荘?」


 驚く美奈子をよそに静留はトランクから使い捨てマスクと軍手、それとリュックを取り出した。


「増改築を繰り返しすぎて迷路になってます。普通に危ないからマスクと手袋は必須です」


 手渡されて、マスクと軍手を身につける。


「リュックには側面に懐中電灯、外側ポケットにはトランシーバーとスマートフォン。何かあれば私と連絡がとれます」

「あの、その感じだと私がひとりで行くみたいなんですけど」

「ひとりで行ってもらいます」

「マジです?」

「はい。私入ったら死ぬので」

「そもそも呪われるってどうすればいいんです?」

「地下に水没した部屋があるのでそれを探してください。そうしたらヤツが呪ってくると思うので。あとはもうあなたの悪霊が勝つか呪いが勝つかの勝負ですよ」

「わからないけどわかりました」

「よろしくお願いしますね」


 リュックを受けとり、背負う。


「ところで」


 準備を済ませた美奈子が廃墟に向かおうとすると静留に呼び止められる。


「どうしてこんなにすんなりお願いを聞いてくださったんです? 死ぬかもしれないんですよ」


 聞かれて、考え込む。確かに、これから命をかけに行くのと変わらないのだ。なのにどうして自分はこんなに平気なのだろう。


「……多分現実味がないからじゃないですかね」

「現実味、ね」

「いきなり悪霊とか呪いとか言われてもいまいち実感ないですし、それに私は死んでも居場所がありますから」


 美奈子の言葉に、静留の眉がピクリと上がった。


「美奈子さん」

「はい」

「この件がどうにかなれば、あなたはアタシの命の恩人になります」


 拳を握りしめ、何かを決心したように、美奈子の背後を睨む。


「約束しましょう。あなたの人生を保障し、アタシの人生をかけてあなたを正常にすると。なので、死後の居場所などありません」


 美奈子はその言葉の意味すること全く理解できなかった。ただ、静留が心の底から美奈子の身を案じてることだけは伝わった。きっとこの場所に美奈子を来させたのも、自分が生きるか死ぬかの瀬戸際だったから藁にもすがっただけで、根は善人なのだろう。

 美奈子は静留に頭を下げ、そして廃墟に入った。


「うわぁ、くら」


 先程の明るい外とはうってかわって薄暗い廃墟内を美奈子は恐る恐る進む。


「とりあえず地下を目指せばいいわけだよね」


 独り言をこぼしながら、先の見えない廊下を進む。廊下は入り組んでおり、どこに階段があるのか、全く見当がつかなかった。開きそうな扉を片っ端から開け続ける。


「埃とか凄いなぁ」


 マスクをしっかりつけ直し、階段を探す。

 突然、背後で扉の閉まる音が響いた。


「うひっ」


 美奈子は後ろを振り返る。開けた扉は閉めていたし、通った場所にある扉は閉まっていたはずだ。建物内に風はない。

 足を止めた美奈子の耳に足音が響く。コツ、コツとゆっくり近づいてくる。


「す、すいませーん! 誰かいますかぁ!」


 美奈子は、自分の他に肝試しか何かで人がいるのかと思った。というかその可能性に縋りたい気持ちで大声を出した。

 だが廊下には虚しく美奈子の声が響き渡るだけだった。足音はなかったかのように止んだ。


 リュックに懐中電灯があるのを思い出し、取り出す。

 スイッチを押して灯りをつけた。

 美奈子は眉をひそめ、目をこすった。視界の奥で黒い人影が動くのが見えたからだ。灯りをつけた一瞬だけで、今はもう見えない。


「あっち、かな」


 黒い人影を追って進んでいく。


「すいませーん」


 声をかけながら、廊下を歩く。

 黒い人影はもうどこにも見当たらなかった。曲がり角を曲がると木造の部屋が続いていた。今までは普通のホテルにあるような部屋だったが、今度は小さな旅館風だった。

 まるで建物ごと変わったかのようだ。


 ――フフフ。


 笑い声が響く。

 美奈子は周りを見渡すが誰もいない。思わず息をのんだ。


「気のせい、気のせい」


 寒気を感じ、腕を擦る。

 それでも美奈子は地下室を探して廃墟を探索することにした。




 扉を開け放つと、風が吹いた。驚くほど冷たく、できればこのまま見なかったことにして帰りたいくらいだった。


「下り階段……」


 石段の下は暗闇だった。風に乗って、マスク越しでもわかるほどの鉄の臭いが鼻を突いた。


「地下、だよね」


 三十分ほどさまよった美奈子は疲弊しきっていた。

 ころころ変わる建物の構造に加え、視界の奥に見える黒い人影や鳴り響く不可解な音に精神的な疲れがきていた。

 建物が迷路のようになっていて、洋風であったり、和風であったり、中には坂やちょっとした階段などあったりして方向感覚も狂っている。


「マジ無理。帰りたい」


 ぐったり、猫背になりながら階段を降りる。

 微かな水音が聞こえた。

 美奈子は階段を降りきった。そして足を止めた。

 少しの足場と水没した広場のような場所。


「水没した、へや」


 急に呼吸が苦しくなり、座り込む。胸が踏まれているかと思うほどの圧迫感に、マスクを外そうとするが、臭いがひどくて外せなかった。

 水面を照らす。

 いくつもの椅子が積み重なってできた、オブジェのようなものが水面から顔を出していた。他にもテレビやパイプなどが沈んでいる。

 ぽちゃん、と響く水音。

 美奈子はそこで人生初めてソレを認識した。


「――あ、あ、あぁ」


 尻もちをつき、恐怖に震える。

 水にソレは浮かんでいた。骸と見間違うほどやせ細った顔は真っ赤に染まっており、目の部分はほぼ剥き出しになっている。そんな、椅子のオブジェを覆い隠すほどの醜悪な顔が現れたかと思えば、ずらりと鋭利な歯が喜びに打ち震え、カチカチと音を鳴らした。

 ソレは波を起こしながら巨体をゆっくり動かして、美奈子に近づいてくる。

 体が思うように動かない。ガクガク足が震えて立ち上がれなかった。


「あぅ、た、たす」


 ゆらりと、ソレの手が姿を現す。美奈子の体を握りつぶせそうな巨大な手が、頭上まで迫る。


「……たす、けて。助けて――くん……!」


 無意識に、記憶にない名前を呼んでいた。名前を呼んだのにその名前を脳が認識していない。ゆえに何を呼んだのか美奈子自身にもわからなかった。

 だがそれが合図だったのか、巨大な手が退いて行った。ぐるんとソレの頭が逆さまになり、水に沈む。

 あとは水中で争うように飛沫が上がったり、巨大な手が暴れたりしだした。


「ひ、ひぐっ。げほっ」


 半泣きになりながら、酷い鉄の臭いに喘ぐ。

 パニックで呼吸もままならず、視界がぐにゃりと歪む。


「かはっ、ひぃ、ひぃ」


 いくら大きく呼吸をしても、酸素が足りず、酸素を求めて荒く浅い呼吸を繰り返す。


「美奈子さん」


 静留の声がした。


「いい? 息を止めなさい。下手に呼吸をしようとせずに、一旦止めて、ゆっくり呼吸を始めるの」


 隣に座り、背中を擦られる。


「焦るからダメなの。ゆっくりしなさい。大丈夫、アタシがいるから。死んでも守るわ。誇りと命にかけて」


 言われた通り、深呼吸を繰り返す。隣に人がいるからか、徐々に気持ちが落ち着いてくる。


「アンタの憑き物、凄いわね。まるで世界の喰いあいを見てるようだわ」


 美奈子には何も見えないが、静留には何か見えているようだった。何も見えてなくて良かったと、心底思う。


「しずるさんは、どうしてここに」

「呪いが弱まったからね。情けないけど勝算が見えたから来たのよ。全く、ド素人に任せる、なんて霊能者失格だわ」


 グキリ、と。

 嫌な音が響いた。骨を力づくで捻じ曲げて折ったらこんな音であろうか。


「アンタの憑き物、勝ったわね」


 先程までしていた鉄の臭いも、水音も消える。

 いつの間にか大量の汗をかいていたようで、美奈子はそれを袖で拭った。


「さて、帰りましょうか。立てる?」


 手を差し出され、掴まる。それで何とか立ち上がった。

 目を合わせて、静留がはっとする。


「あぁ、ごめん。敬語忘れてたわ」

「いらないです。だって歳上ですし」

「そう? じゃあついでに美奈子って呼んでもいいかしら。長い付き合いになるだろうし」


 髪をかきあげて、快活な笑みを浮かべる静留。その姿は美奈子にとって憧れの女性として目にうつった。


「はい、よろしくお願いします」





 美奈子と静留が現在の関係に至る、約六年前の梅雨の出来事である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る