思ひ出

 所持金がなかった。


「しまった……」


 開いた財布には一〇ニ円しかない。買おうと思った酒は三六〇円……足りない。

 何も考えずレジに置いてしまったことを、神崎美奈子は恥ずかしく思った。金がないわけではない、財布に入れてなかったのだ。クレジットカードは自制のために家においてある。


「あの、すみません……」


 冷や汗を流しながら、恐る恐る店員に言う。


「はい、いかがされました?」


 バイトであろう、真面目そうで可愛らしい女性店員の笑顔が痛かった。


「お金が、その」


 足りないんです。そう言おうとしたところで隣からすっと缶ビールが追加された。


「へ?」

「すみません、会計これも一緒で」

「かしこまりました」


 小銭の受け皿に千円札が置かれる。

 隣を見ると、見慣れた顔があった。


「う、占い師さん」

「ツケね」

「はい?」

「ツケ。君の分」

「あ、はい。ありがとうございます」


 どうしているのか、なぜお金がないことがわかったのか、疑問が湧いたが、まぁ占い師だし。で打ち消した。


「この後ヒマ?」

「えぇ、まぁ」

「酒付き合ってよ、そこらの公園で」

「……はい?」




 なぜこうなった。

 期間限定と書かれていただけで買った(実際買ってもらった)酒を手に、視線を向ける。

 公園のベンチで占い師の男と並んで座っていた。


「あの占い師さん」

「サトリ」

「え?」

さかき さとり。僕の名前だ」

「はぁ……覚っていうと妖怪思い出しますね」


 覚。人の心を見透かす、妖怪の名前だ。占い師の力を考えても、妖怪の覚を連想してしまった。


「ま、僕人間じゃないからね」


 サラリと、覚がとんでもないことを言う。


「ホントに妖怪だったり」

「ヒトはヒトだよ。僕みたいなのがヨウカイ扱いされるのかもしれないけどね」


 プシュっと、缶を開ける音が響く。片手で持ち上げたビールを覚は飲む。


「あの、どういうことです」

「僕はね、異世界から来たんだ」


 言われて、以前覚と共に解決した出来事を思い出す。悪霊のいる異界、と所長の宮根静留が言っていた。


「流行りの異世界転生です?」

「チート能力者に見えるかい」

「まぁそこそこ」

「あぁそう」


 心理学を学んだところで人の心は読めない。海外の文化でも、人の性格によっても心の動きやしぐさは変わる。だというのに心情を読み取れる、霊は見える、占い師としてはチートに見えなくもない。


「トンネルをくぐるとそこは日本だった……って口でね。子供の頃にね」

「よく生きてこれましたね」

「警察に見つかって孤児院に入れられて、言語習得さ」

「言語共通じゃないんですね」

「そうだったらどんなに楽か。試しに異世界語使おうか? あwf*g#yhふぇhjygって感じだよ」


 異世界語はさっぱり理解できない音の羅列にしか聞こえなかった。


「グリーンチルドレンって都市伝説があるくらいだから、異世界から誰かしら迷い込むっていうのはあるにはあるみたいだ。ところで飲まないの」

「あ、いただきます」


 缶を開けて、飲む。


「こんな話、酒無しで聞いてられないでしょ」

「いえ。そんなことは」

「今まで試しに死にそうな人に話したんだけど誰も信じなかった」

「死にそうな人っていうのは」

「シキが近い人さ。ちなみに全員しっかり死んだよ」

「え、なんです私死ぬんですか?」

「いや。君は全然ミえないし、仕事オカルト関係でしょ?」

「まぁ心霊相談事務所で働いてますが」

「なら慣れてるでしょ」

「異世界は初耳です」

「嘘だと思うかい」

「全然」

「そ。助かるよ」


 ぐび。

 喉をならしてビールを飲む。


「たまに話をするんだ、昔の自分を思い出すように」

「それはどうして」

「ホームレスなんでね、たまに自分が何がなんだかわからなくなる。家族は存在してない、自分の故郷も存在してない、自分はどこに存在してたのか、ルーツの痕跡がない。意外と慣れないもんさ」

「はぁ、それで私に。というかホームレスなんです? 占いで稼げそうですけど」

「趣味さ、趣味。ま、不動産から事故物件に住むように依頼されたりするよ」

「事故物件じゃなくするためですか」

「僕が追い払える場合もあるし、追い払えなくても説明義務は消えるからね」


 つまり居場所がないんだ、と。

 覚は静かに笑った。

 寂しいことだと思った。美奈子には事務所があるし、何より――がある。

 ……あれ?


「どうしたの」

「居場所と聞いて思い出せそうで思い出せないところがありまして」

「思い出さなくていいんじゃない。キオクにないなら、それはないのと同じだ」


 それもそうか。

 美奈子は思い出そうとするのをやめた。


「うちの事務所で働いたりしません?」

「気ままな今の生活が気に入ってるんだ、お断りしとくよ」


 覚はふっと立ち上がり、缶をゴミ箱に投げる。見事に入った。


「いやぁスッキリした。助かったよ、君がいて」

「役に立てたなら良かったですけど、どうして私に?」

「そろそろ誰かに覚えてほしかったのさ、僕はちゃんと異世界から来て、今はニホンジンやってるってのを」

「はぁ」

「誰にも認知されてないっていうのはないのと同じだからね」


 それじゃ、と。

 覚は歩き出す。

 遠くなる背中をぼんやり見送る。

 いきなり知らない世界に放り出される。それはどんなに寂しく、心細いのだろう。


「そういえば、私ってずっと……」


 酒を飲み切って、立ち上がる。

 ゴミ箱へ投げてみるも、上手く入らなかった。

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