うつす

 夢を見た。

 山を分かつように続く階段。その先に鳥居が見える。赤くはなく、木を加工して建てただけのような、そんな鳥居だ。

 夜だった。暗闇の中、自分は階段を上がる。

 神崎美奈子の背丈はやたら低かった。足元を見ると、白に黒いラインの入った、子ども靴を履いていた。


 上る。


 怖くはなかった。吸い込まれるように、そこへ向かう。


 上る。


 なんだか懐かしい。


 上る。


 実家に帰る感覚に近かった。どこか遠くに思えて、心に強く根付いている。


 上る。


 鳥居の前までたどり着いた。

 古びた神社だった。

 荒れ果て、進むべき石畳の道はところどころ石が外れ、雑草にまみれている。その先の正殿もぼろぼろだった。


「美奈子ちゃん」


 声が聞こえた。

 否。

 名前を呼ばれたと思ったというのが正しい。

 頭が日本語として認識できたのが恐ろしいくらいに、その声は様々な動物の声が混じっていたからだ。

 後ろを振り返る。

 そこには――




「美奈子! ほら起きなさい」


 肩を叩かれて起こされる。


「着いたわよ」


 運転席から、心霊相談事務所の所長、宮根静留が声をかけてくる。

 美奈子はぼやけた頭を覚醒させながら体をひねったりして、体をほぐす。倒した助手席を元に戻して、あくびをした。


「ここ、どこです?」

「目的地」


 周りを見る。

 思い切り山の中だった。車は狭い駐車場の中にあるらしく、後ろを見ると真新しい一軒家があった。


 二階建てで、白い壁に黄緑の屋根と、開発されたばかりの住宅街にあっても違和感のない家だった。


「へえ、綺麗な家ですね」

「依頼者は三人家族。子どもが病弱で空気が綺麗なところのほうがいいってここにきたそうよ」

「素敵ですね」

「そうね。行くわよ」


 車から出て玄関に向かう。

 表札には「繰縫」とあった。くぬい、と読むらしい。珍しい名字だ。

 静留がチャイムを押す。するとすぐに親子が出てきた。


「はい」


 母親らしき、茶髪の女性と、玄関で心配そうにこちらを覗く女の子がいた。


「どうも心霊相談事務所の宮根静留です、こっちは手伝いの神崎美奈子」

「どうも」

「あぁ、晶文あきふみから聞いてます。妻の真海まみです、この子は娘の布衣ぬいです」


 互いに頭を下げる。


「どうぞ中へ」

「失礼します」

「しまーす」


 中に入って廊下を抜けるとリビングがあった。右にキッチン、正面には階段がある。リビングは葉のデザインのカーペットの上に、背の低いガラステーブルが置いてあった。

 カーテンが全開になっており、日の光がよく入ってきていた。


「いい家ですね。ところで晶文さんは?」

「二階で仕事中です。在宅ワークなので」

「そうですか。勝手にあちこち見てまわっても?」

「大丈夫です」

「外が問題何ですよね?」

「はい」

「では外を確認してきます。美奈子、アンタはここにいて安全確保ね」

「は、はぁ」


 特にやることなし、ということだろう。まぁいつも通りだ。手伝えば邪魔になる。

 何せ美奈子には静留にも手に負えない、悪霊が憑いているのだから。札を持とうものなら弾けるだろう。


「じゃ、あとで」


 そういって静留は外に出た。


「とりあえずお茶でもどうぞ」


 真海がリビングを手で示す。美奈子は頭を下げ、ガラステーブルのそばに座った。

 隣に布衣がちょこんと座る。こうして近くで見ると小学生くらいだろうか。布衣はこちらを見ると、美奈子の袖を引っ張った。


「おねえちゃんって夜のヒトとお友だち?」

「夜の人?」

「夜に出てくるナニカのことだと思います」

「あぁ」


 今回の依頼はこうだ。

 タダで譲ってもらった空き家がどうもおかしい。深夜になるとナニカ得体の知れないものがやってきて、時には窓を叩いたり、気色の悪い音を立てたりする。

 それの調査と除霊をお願いされたのだ。


「おねえちゃんはどこに連れて行ってもらったの?」

「どこって」


 頭をかく。悪霊との出会いなんて美奈子には覚えがない。いつの間にかいて、いつの間にか取り憑かれてるだけだ。


「夜のヒト、窓から私を呼ぶときがあるの。怖くて、いけないけど」

「窓ってどこの」

「そこの」


 布衣がリビングの窓を指差す。

 日当たりがいいはずなのに、ふっと暗くなった気がした。

 目を、向ける。


「……ひ」


 窓に覆いかぶさるように、黒い大きな人影がいた。屈んで、両手を窓につけ、巨大な目でこちらを見ている。


「布衣ちゃん」

「なに、おねえちゃん」


 布衣を見る。

 再び部屋が明るくなった。窓を確認するが、何もない。


「将来の夢ってある?」

「お母さんみたいな、お嫁さんになりたい」

「布衣、恥ずかしいでしょ」


 照れ笑いを浮かべながら、真海がガラステーブルの上に菓子と紅茶を置く。

 美奈子は布衣の手を握る。


「なら絶対ついていかないでね」

 



 静留が帰ってくると窓に札を貼りカーテンを閉めた。


「トイレとここ以外の窓、全部教えてもらえます?」

「はい」


 静留と真海は二階へ向かう。美奈子は電気を点けて、布衣と待つことにした。

 しばらくして静留と真海が帰ってくる。


「美奈子、遷座するわよ」


 遷座とは神体や仏像を移動することだ。おそらく外で何かしら見つけたんだろう。


「あなたは家の中に絶対いな。晶文さんと真海さんには説明したけど何があっても誰か招き入れたりしないこと。いいわね」

「はい」

「夜までに即席で準備済ませて決行するわ。あ、あとオタクくん呼んどいて! 日付変わるまでに」


 慌ただしく静留は言うとすぐに外に出ていってしまった。

 ため息を吐く。オタクというのは事務所の従業員のひとりである。

 奥山拓也おくやまたくや、縮めてオタクだ。

 とりあえずスマホを出して電話をかける。


『もしもし』

「あ、オタクくん。今暇?」

『所長に頼まれた調べものの途中ッス』

「中断してこっち来れたり……」

『へ?』


 電話越しに間抜けな声が響く。そりゃいきなり来いと言われて戸惑わないほうが珍しいだろう。


『今どこッス?』

「えと」


 ここの住所を伝える。


『うへぇ、片道四時間はかかるじゃないすか』

「日付変わるまでにどうにか」


 内心拝みながら美奈子は言う。


『はぁ。なんとかしますよ』


 渋々といった感じで了承してもらえた。


「あざっす。じゃ、あとで」

『ウス』


 電話を切る。とりあえず、やれることはやった。




 遷座というのは滅多にやらない。こと心霊関係においてはほぼ出番がない手段だ。

 手に負えない、または手を出してはいけない相手に使う。祀るものの多い日本では、時に排除してはいけないものも存在する。

 今回はそういう類だったのだろう。


「申し訳ないですが、シャワー借りますよ」


 挨拶もほどほどに天然パーマの青年、オタクはそういった。片手にスプレータイプの消臭剤を持っている。

 ちなみに玄関の鍵は開けっ放しだ。人なら問題なく入れる。人かそのナニカの判断はそれでつけるのだ。


「あのこれから一体何を」

「遷座をします。神様のお引越しですね」


 シャワーを浴びに行くオタクを見送りながら、美奈子は真海に説明する。


「家のどこかに祠ぽいのとかありません?」


 すると仕事を終わらせてリビングに来ていた晶文が答えた。


「あぁ、契約するときに絶対に触るなって言われたやつがありますよ。檻に囲まれた子犬の家みたいな。家の裏手に」

「姐さ……所長から詳しいことは聞いてないので憶測ですが、まぁそれがGPSみたいな役割も兼ねているのかと。夜になったら来るべき場所、みたいな。御神体みたいなものですから遷座をやって、来るべき場所を変更してもらうってことだと思います」

「どうしてここにそんなのが」

「さぁ。土地関係の何かか、この家を使っていた血族の何かか、わかりません」


 玄関から静留が入ってくる。エコバッグを肩にかけて、疲れた様子でリビングまで来る。


「ふぅ、何とか間に合わせたわ。奥さんお茶あります? 冷たいものでもいいので頂ければ」

「は、はい」


 真海がキッチンからお茶を持ってくる。


「ありがとうございます」

「所長、私ここでいいんです?」


 遷座をすると、相手によっては遷座を妨害してくることがある。相手の質が悪いと遷座する前に呪い殺されることもある。


「御神体そのものじゃないから遷座に抵抗はないはずよ。危険なのは家の方ね。布衣ちゃん、美奈子みたいに魅入られてるわよ」


 布衣を見る。美奈子の膝の上で寝ていた。しばらく一緒に遊んでいたら遊び疲れたのだ。


「まぁやつが長くここと結びつきすぎたのもあるわ、しっかり教えなきゃね。もうここはアンタの場所じゃない、ってね」

「私のでやれと」

「相手が強硬手段に出れば、ね。多分出るわ。実はそこの窓の結界だけ、弱めにしてあるの。だからもしものときは壁役よろしく。大丈夫、邪魔するだけで敵意がアンタに向くから」


 扉が開いて、シャワーを終えたオタクが帰ってきた。消臭除菌スプレーで軽く服を消臭除菌する。


「じゃ、あと所長で」

「はーい。オタクくん、今月の給料期待しといてね。奥さん、私もシャワー借りますね。体を清めてやらなきゃなので」

「えぇ、どうぞ」


 オタクと入れ替わる形で、静留がシャワーを浴びに行く。


「んじゃ、遷座先のルートとかもう一度調べてルート決めたりするんで失礼します」


 オタクは頭を下げると玄関から出ていった。


「神崎さんって凄い霊媒師だったりするんです?」

「え? まさか」


 真海の質問に首を振る。


「ど初心者ですよ。うちの事務所で所長が一番です。所長ですし」

「でもその霊の相手は神崎さんがするんですよね」

「私は取り憑かれてる側なんです」

「取り憑かれてる?」

「はい、とんでもない悪霊に、です。ま、所長のおかげでうまく付き合えてますけど」


 静留に出会わなければ、美奈子は今頃死んでたかもしれない。それくらい、昔の美奈子の精神は死に引き込まれていたのだ。

 悪霊を有効活用し、美奈子をいつも気遣い声をかける、静留には一生感謝してもしきれない。


「えっと、悪霊って大丈夫なんです?」

「えぇ。言っちゃ変ですが、害はないんです。それに、私の唯一の商売道具みたいなもんですからね。むしろ悪霊が憑いてないと困るくらいです」


 乾いた笑みを浮かべる美奈子を、真海はどこか悲しそうに見ていた。




 遷座が始まる。

 静留が儀式をして、オタクがサポートと運搬といったところだろう。

 美奈子はリビングで待機だ。

 繰縫夫婦は二階の寝室で休んでいる。布衣は、美奈子と一緒にリビングで寝ることになった。

 敷かれた布団に布衣を寝かせて、美奈子は閉じられたカーテンに体を向け、スマホのゲームをしていた。


 現在深夜二時。丑三つ時だ。遷座は始まったころだろう。


 オレンジ灯とスマホの光だけが部屋にあった。

 十分ほど経っただろうか、やがて外で車のエンジン音が聞こえた。これから、祠とやらを移動するのだろう。まるごとなのか、中にある御神体的な置物だけなのかはわからないが。


 まぁ静留とオタクなら大丈夫だろう。静留は言うまでもなくプロであるし、オタクは判断が早い。不測の事態でも冷静に行動できるだろう。PC、スマホ関連の知識と調査能力、土壇場での迅速な対応力、オタクはいろいろな面で頼られている。


 かくいう美奈子が使ってるスマホもオタクのおすすめだ。ほしい機能やスペックを言えばぱぱっと三つくらいに選択肢を絞ってくれる。なんなら取り寄せまでしてくれる。


 オタクサマサマだ。

 フッと、オレンジ灯が消える。

 美奈子はスマホをスリープモードにしてガラステーブルに置く。そしてカーテンを見た。


『美奈子、開けて!』


 静留の声だった。


『遷座は失敗よ、一刻も早くここを出るわよ!』


 美奈子は布衣を一瞥し、立ち上がる。


「所長」

『美奈子! 早く布衣ちゃんを連れて出てきて! 早く』

「玄関、鍵開けてありますよね?」

『早く出るのよ! 早く!』

「……所長、玄関が開いてます」

『はやくハヤクハヤクハヤクハヤク』


 カーテンが揺れる。

 間違いない。家に来るというナニカだ。

 静留の声はすっかり崩れ、低くくぐもったものに変わる。


「布衣ちゃんは連れて行かせないから」


 窓から覗く巨大な影を思い出す。震える腕を抑えて、布衣を守るように立ちふさがった。

 紙の剥がれる音が響く。

 ガタガタと、部屋が揺れる。


「大丈夫、大丈夫……平気。私は平気……あの子がいるから、守ってくれるから、大丈夫」


 あの子。あの子って誰だっけ。

 どこか遠くの記憶が思い出しそうになったところで。

 ドン、と。一際大きな音が鳴った。

 窓が乱暴に開けられた音だった。ふわりとカーテンが風で開かれ、闇を招く。

 生温い風だった。

 美奈子はガラステーブルに置いていた紙たばことライターを取る。たばこを咥え、火を点ける。

 気持ちを落ち着けて、目を凝らす。

 煙は風とは反対に窓へと向かった。


 ベチャ。


 嫌な音が響く。

 足跡だった。べっとりと床に、泥の足跡が出来る。

 逃げ出したい。そんな気持ちを隠すようにライターを握っている手を、ズボンのポケットに入れる。

 ゆっくりと、着実に、その音が近付いて来る。足跡も同じだった。

 それが美奈子の目の前に来たところで、止まった。


 一瞬の沈黙。


 美奈子は空いた手でタバコを持つと口から離す。


「ふぅ」


 煙を吐いた。

 と。

 まるで逆再生のように音が遠ざかった。風は闇に帰るように吹き、そして窓がとじた。カーテンが覆いかぶさり、闇を閉じ込める。オレンジ灯がついて、美奈子は携帯灰皿を取り出し、たばこを捨てる。

 座り込んで、ガラステーブルにたばことライターを置いた。

 今になってどっと汗が噴き出してきた。

 布衣を見る。

 寝息を立てて眠っていた。


「あ、窓の鍵」


 ふらふら立ち上がって、窓まで歩いていく。先程まであった足跡はなかったかのように消えていた。

 カーテンを少しだけ開けて、窓の鍵を閉める。

 と。


「……あ」


 カーテンの隙間から目が覗いていた。鏡のような巨大な目玉。

 瞳の中に怯える美奈子の顔が写る。

 ずるり、と。

 引き摺られるようにして目玉が窓から離れていく。

 悪霊は今回も勝ってくれたのだろう。


 ただ。


「うぷ」


 吐き気を催して、美奈子はトイレへ駆け出す。なんとか扉を開けてトイレに入ると、思い切り吐いた。

 美奈子はてっきりご馳走になった夕食を吐いたのかと思った。

 だが、違った。

 トイレにぶちまけられていたのは大量の血と髪の毛だった。


「うぇ」


 血の臭いでまた吐いた。


「あ、だめ」


 吐いた反動で頭が後ろへ向くと、そのまま気絶した。




 気がつくと、車の中だった。

 ひどく熱っぽい。頭が痛いし、気持ちが悪い。

 視線を動かすと静留がいた。


「姐さん」

「起きた? 今帰ってるから」

「依頼は?」

「二日くらい様子見。オタクくんが依頼者のとこ滞在して問題なければ解決」

「そうですか」

「あんたは呪い受けたから帰って療養」

「私が、ですか?」

「相当強い相手だったみたいね。ま、呪いももう悪霊が消し去ったし、体調不良と変わらないわ」

「そう、ですか」


 巨大な目玉と、吐いた髪の毛と血。それらを思い出し、美奈子は気分が落ち込んだ。


「今度焼肉でもなんでも好きなだけ奢ってあげるわ」

「オタクくんみたいに給料アップじゃないんですか」

「何言ってんの、奢るほうが高くつくわよ」

「姐さんさいこー」


 棒読みで静留を称える。体調のせいで喜べないが、心の底から最高だと思った。

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