それは、神崎美奈子が酒を飲んだ後のことだった。酔いで強まった眠気に至福を感じながら、テレビを眺めているとインターホンが鳴った。


「ひょ?」


 美奈子は重い体を起こし、曖昧な思考のまま、扉を開ける。


「ふぁい」


 扉を開けると、見知った顔があった。少年のような短めの髪型……セシルカットだったか……をしている女性だった。目は眠たそうで、目元には隈があり、疲れた表情をしている。今が夜中というのもあるだろうが、美奈子が見る顔はいつもこうであった。黒くゆるいシャツに、白いチノパンを履いており、シンプルな格好であった。


「どうも」


 深々と頭を下げられてから、覇気のない声がする。


深谷しんたにさんじゃないですか。どうしたんです?」

 同じアパートの住人であった。というか隣の部屋の住人だった。名前は……思い出せない。


「あの、優也。ここに来てないですか?」


 優也、というのは深谷さんの息子であった。主に同じゲームをしているという安直な理由で遊び相手になることも少なくない。家に上げることも何度かあった。


「来てないですねぇ。帰ってきてないんですか?」


 答えはイエスであった。深谷さんに頷かれ、美奈子は時間を思い出す。

 今は、夜中の九時になるかならないかあたりだったはずだ。優也は小学生であるから、帰ってきてないのはおかしい。塾を通っていれば別だが、塾に通っている話は聞いていない。


「連絡もないんです」


 そういって、項垂れてしまう。


「ちゃんとスマホを持たせましたし、友達の家とかなら連絡来ると思うんです。でも、来なくて」

「心配ですねぇ」

「いそうな場所に心当たりとかありますか」

「うーん、ないですねぇ」


 拳を握りしめて、深谷さんは唇を震わせた。


「警察に言ったほうがいいんでしょうか。わからなくて」

「言ったほうがいいんじゃないですかね」


 もしかしたら連絡を忘れて遊び続けてるかもしれないが、時間が遅すぎる。警察に通報したほうがいいのは間違いないだろう。


 後で笑い話になれば良し。万が一を考えて早めに行動しておくに越したことはない。


「ですよね。じゃあ、警察の方にお願いします。お騒がせしてすみませんでした」


 深谷さんはまたも頭を深く下げた。美奈子は慌てて首を振る。


「こちらこそお役に立てなくて。あの、もしよかったら今から探しに行きますよ」

「……本当ですか」

「はい。あ、人に聞いたりするので、写真とかいただければなぁと」

「……ありがとうございます」


 泣きそうな顔で、深谷さんは美奈子の手を握ってきた。

 それから美奈子は、一度深谷さんと別れ、出かける身支度をすませた。スマートフォンには、深谷さんからメッセージアプリで送られてきた写真が保存されている。

 深谷さんも警察へ事情を話してから探しに行くと言っていたが、美奈子は先に探すことにした。


 手遅れになったら洒落にならない。




 ……とは言ったものの、酔っ払いが人をまともに探せるはずがなかった。

 小学校の通学路になっている道を歩いているものの、それで見つかるのなら苦労しないのである。


 かれこれ三十分経つが、進展なしだ。


 とりあえず、タバコを吸う。


「ふいぃー」


 紫煙をくゆらせ、一息つく。

 仕事で行方不明者を探すことはあまりない。霊がらみのものであれば、なくもないのだが、そのときはほとんど所長の宮根静留頼りである。


 今回はどちらかわからない。


「こんなとき、超能力者とか、占い師とかいたら一発なんだろう……なぁ……?」


 思ったことを口にしただけなのだが、美奈子はタバコを手元から落としてしまった。

 無論、意図的ではない。


「あぁ、もったいないなぁ」


 目の前に人がいたからである。

 十字路。その右横の道から、現れた人物。それに、美奈子は驚くしかなかった。


「う、占い師さん」

「やぁ」


 軽く手を上げる占い師の男。髪はぼさぼさで服もくたびれており、パンパンにふくれたリュックを背負っていた。

 男とは最近、一度だけ占ってもらったことがあるだけの関係だ。


「この辺に住んでるんですか」


 美奈子は落としたタバコを急いで拾い、携帯灰皿に突っ込む。


「いや。勘で来た」

「勘?」

「困ってる人がいそうだなって。あなたのことだったぽいね」

「わかりますか」

「そりゃ、まぁ」


 はぁん、と。美奈子は曖昧な反応しかできなかった。

 現実に思考が追いついていなかった。思った瞬間現れるだなんて、まるで。


「漫画みたい?」

「えっ、あっはい」


 思考の先を言われて口元を抑える。知らず知らずのうちに口にしてしまっていたのだろうか。


「ま、僕がどうしてとかは今はどうでもいいんじゃないのかな」

「そーですねぇ。おたく、行方不明の人って探せます」

「できるよ」


 にべもなく、返された。

 都合が良すぎて怖くなるくらいだった。


「じゃあ、この子。探せますか」


 スマートフォンの画面をつけて、見せる。先ほどもらった優也の写真データだった。


「ふむ。シングルマザーの子かな」

「なんでもわかるんすね占い師って」

「何でもは知らないよ。ミえるものだけ」


 聞いたことあるようなないようなフレーズだった。


「あなたと縁があるね。ま、当然か。物理的距離が近い。マンションの隣人か何かかい」

「あ、アパートっす」

「ふぅん。ちょっと悪い気が溜まって……いや、今は行方を探すのが先だね。えーっと」


 男は美奈子の頭に手を伸ばすと、髪を一本、引き抜いた。ブチっと、音を立てて頭皮から髪が抜かれる感覚がした。


「いった! 何するんですか!」

「ダウジング」


 ねこじゃらしのように髪をつまみ、男が答える。


「いや、鉄じゃないんですから……」

「こっちだね」


 美奈子の訴えもむなしく、男は髪の毛を頼りに歩き始める。


「だいたい、なんで髪なんです」

「霊的意味を持たせやすいし、使いやすいからね。他人の髪の毛より、本人が身に着けてた衣服とかのほうが効果があるけど、ま、なさそうだし」


 確かに呪術は髪をよく使う。しかし、占い師というものはもっと水晶やらを使って透視のようなことをするのではないだろうか。

 美奈子の勝手なイメージだが。


「あなた本当に占い師ですか?」

「小遣い稼ぎさ」


 のらりくらりとしていてよくわからない男だ。

 雲をつかんでいるように形がはっきりしない。


「ところで」

「なんだい」

「ここ、どこです」


 男の足が止まる。

 美奈子の記憶では、向かっている方角には大通りがあるはずだった。住宅街を抜けて、駅近くの大通り、さらに真っすぐ進めば公園だ。

 しかし、美奈子にとって全く見覚えのない光景がいつの間にか広がっていた。

 住宅街なのは変わらない。ただ、知っている家がひとつもない。明かりがついているわけでもない。ただのオブジェのように家が並んでいる。

 道の先には鳥居とその先に山が見えた。確かに、この地域に山がないわけではない。ただ、車を走らせなければならないほど遠いはずだ。


「何が見えてるんだい」


 男に問われて、見たままを答える。男は顎に手を添えて頷いた。


「じゃあ、山をノボろう。真っすぐでいいんだね」

「え、はい」


 再び歩き出す。

 少しずつ鳥居に近づいていくと、自分の肌が粟立つのがわかった。なんとなく、あそこが近づいてはいけない場所のような気がして、体が警報を鳴らす。


「あの、鳥居のほうで合ってます?」

「合ってる。いるよ、たぶん」


 いるよ、とは優也のことであろう。何の手がかりもない今、目の前のものに頼るしかない。美奈子は一度深呼吸をして、覚悟を決めた。

 鳥居のすぐ前までたどり着くと、男は足を止めた。


「なるほど。よし登ろう」


 男は迷いなく鳥居をくぐり、先へ進む。美奈子は戸惑いつつもあとに続いた。

 鳥居をくぐって山を登るための階段に足をかける。ここに来ても、美奈子はどこにいるのかさっぱりわからない。

 階段を上りきると、見たことない神社があった。赤塗りの屋根に、ボロボロの壁。賽銭箱などもない。管理されていないのは明らかだった。


「あそこだね」


 男は社のところまで行くと、襖を開ける。

 ガタガタと音を立てて、襖が開いた。薄暗い社の中。その中心に子どもがいた。


「入って」

「は、はい」


 男に促されるまま、美奈子は社の中に入った。何も置かれていない空っぽの部屋だ。


「よし、じゃあその子を抱きかかえて、そのままじっとしててね。絶対に手をハナさないように」

「……え?」


 どういうことです?

 そう問いを投げる前に、襖が勢いよく閉められた。わずかに入っていた外の光もなくなり、完全に闇に包まれる。

 背筋がぞくりと、冷えた。

 直感的に、美奈子は急いで子どもがいるところまで走る。そうして体を触った。横になってうずくまっている子どもの体を抱きしめ、顔を確認する。

 優也に間違いなかった。意識がないようだったが、呼吸はしていた。


「優也。ねえ優也」


 優也を起こそうと声をかける。

 しかし、すぐに美奈子は口を閉じた。


 ――アァ。


 耳元で、女の声がしたからだ。


「ひっ」


 ナニカ、いる。美奈子はタバコを取り出す。そして、おそるおそる火を点け――

 ――ゾッとした。


「……あ」


 目の前に女の顔があった。白く、口の裂けた女の顔が。

 ニィイ、と。大きく口が歪む。目を細めて、赤い瞳が美奈子を睨む。美奈子はまるで蛇に睨まれた蛙のごとく、固まった。


「ふぅ」


 凍えるような息吹で、タバコの火を消される。瞬間、肩が震えた。

 やばい。

 美奈子は目を瞑る。


「お願い」


 ――美奈子には、悪霊が憑いている。

 それも非常に強力で、霊能力者の誰もが払うことをあきらめるレベル、または大抵の悪霊は片手で潰せるほど、らしい。

 自分に憑りついている悪霊に何とかしてもらうしかない。美奈子自身、霊に対抗できる手段は皆無なのだ。悪霊がどんなに強くとも、美奈子が強いわけではない。


 やがて、後ろでダンッ、と何かを叩きつけるような音が響く。


 それを合図に、建物全体が揺れ始めた。

 悪霊だ。悪霊が、あの女と戦っている。

 その証拠に女の悲鳴が聞こえ始めた。ただ、一方的に負けているわけではないようで、威嚇するような女の叫びも聞こえる。

 壁が鈍い音を立て、床が軋む。

 優也が意識を失っていてよかった。意識があればパニックになっていただろう。

 美奈子自身、今にも逃げ出したい衝動に駆られる。しかし、じっとしていろと言われたのだ、そうするしかあるまい。

 やがて、一際強い絶叫が耳をつんざいた。

 それをきっかけに、だんだんと揺れがおさまっていく。


 ……そして、残るは静寂のみ。

 

 おそるおそる、目を、開けてみる。先ほどの暗闇と、抱きかかえている優也の姿があった。


 女性の姿は、ない。

 遅れて、襖が開く。


「よし、出なよ」


 光を背にして、男が言った。




「……あれ?」


 優也を背負って外に出るなり、美奈子はキョトンとするしかなかった。山の中ではなく、ただの、道に出たからだ。

 後ろを振り返る。そこには社ではなく、公衆電話のボックスがあった。よくあるお札をはがしながら、屈んでいた男が立ち上がる。


「おつかれさま」

「え、どこですここ」

「駅近くの公園の公衆電話」


 お札を手に持ったまま、男は言う。


「僕にはこっちがずっと見えてたよ」

「マジですか」


 頷かれる。


「でも、鳥居とか社とか。さも見えるみたいな言い方してたじゃないですか」

「いや全然」


 男は右手を挙げると、背負っている優也の肩を二回叩く。


「うん、これで解決ってことでいいのかな」

「え、いや、まぁ」

「じゃ」


 さも当たり前のように、男は美奈子に背を向けて帰ろうとする。


「ま、待ってくださいよ。なんか説明とか」


 美奈子にだけなぜ鳥居や社が見えていたのか、あの社の女性はなんだったのか。頭の中で様々な疑問が渦巻いていた。


 が。


「知らないよ。僕にそんなこと言われても」


 と、まるでどうでもいいことのように答えが返ってきた。


「えぇ……」


 美奈子があきれている間に、さっさと男は駅へ向かって消えて行ってしまった。  




 ともあれ。

 探していた優也は見つかり、今回の騒動は収まった。占い師の男と、悪霊のおかげである。


「ふーん……で? 電話ボックスが神社に繋がってた理由を知りたい、と」


 パソコンと向かい合いながら、事務所の所長、宮根静留が呟いた。場所は当然、事務所である。

 今回の件、素人の美奈子ではわからず、男も説明してくれなかったので、専門家である静留に聞いたのだ。


「そりゃ簡単よ。半分この世になかったってだけ」

「この世って」

「異世界よ異世界。ま、異界っていうんだけど。異界にやばい悪霊がいたってことでしょう」

「は、はぁ異世界なんてあるんですか」


 てっきりネットやアニメの世界でしかないと思っていたので、聞いてしまった。静留は表情一つ変えず、頷く。


「意外と身近にあるものよ?」


 そういって、視線をこちらに向ける。

 正確には、美奈子の背後であった。


「今、教えてあげられるのはそれだけね」


 意味深な言葉を、美奈子の頭に引っ掛ける。それから、大きく手を鳴らし、笑みを浮かべた。


「さ、お仕事しましょうね?」

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