第17話 子育て

 当然、様大ようだいにとっては初めての子育てだったわけだが、それはもう想像を絶する大変さだった。食べさせるもの、飲ませるものにも気を付けなければいけないし、起きているときにはどこに行って何をするかもわからない。引き取ると言ったのは様大の独断だし、修行僧には修行に集中してもらわねばならないから、大人数の中にいながらワンオペ状態だった。

 様大が読経をおこなっていると、緒蓮おれんがよたよたとやってきて、花を活けている花瓶を倒してしまう。

「こらこらこらこら!」

 倒れてしまった花瓶を様大が戻して、振り返ると今度は数珠を口に入れている。

「だぁーっ! だからこれはダメだっつってんだろ!」

 叱られた緒蓮はポカンとしている。しばらくするとその顔がくしゃっとなって、

「うわぁーん!」

「あーっ! 悪かったって! ほれっ、よしよし」

 様大は困った表情を浮かべながら、緒蓮を抱っこして必死であやす。

 今日は大人しく寝ているなと思ったら、大きな声で突然「こわい、こわい」と泣き出した。

 どうやら夢で怖い思いをしたらしい。緒蓮を抱っこして、背中をトントンと優しく叩きながら、

「大丈夫、大丈夫」

「うぅー……」

「もう怖くねぇよ。な?」

 そう言い聞かせ続けているうちに再び眠ってしまった。やっと寝てくれたかと安心すると同時にどっと疲労が押し寄せてきた。

「……先が思いやられるな……」

 とはいえ、生まれたばかりの頃はほとんど寝てばかりだったので起きているだけで良いのだろうと思い直した。



 九尾きゅうびは時折様子を見に来ては、その様子を笑って見ていた。面白がって「おとーさん」などと呼ぶ始末だ。

「誰がおとーさんだ、馬鹿野郎。お前はもう帰れ」

「えー、いいじゃん別に。俺だって暇なんだよ」

 そう言いながらも九尾は緒蓮の顔を覗き込みに来たり、ちょこまかと動き回っては世話を焼きたがった。

「ほら、腹減ったんじゃねぇの? おっぱい飲むか?」

「お前なぁ……」

 九尾もそれなりに気を遣っているのだが、如何せんやり方が雑過ぎるのだ。それに、坊主頭と作務衣ばかり見慣れている緒蓮にとって、金髪ロングにスーツの九尾は異質なものなのだ。

 人見知りし続ける緒蓮に、九尾はアプローチを変えた。

「まあ、緒蓮くんのお耳は産毛ふわふわで可愛いねぇ」

「おあしもふにふにしてて気持ちいい」

「手もちっちゃくて可愛いねぇ。さ、抱っこさせて?」

 などと、緒蓮のことを褒めちぎるのだった。すると、最初は緊張していた緒蓮だったが、次第に笑顔を見せるようになり、九尾のことは「きゅーちゃ」と呼び始めた。

 緒蓮の長い髪をまとめるのは、九尾のほうが上手だった。



 緒蓮と一緒に寝た日に、ふと目が覚めると隣に姿がないことがあった。

「緒蓮? おい、どこ行った?」

 様大は飛び起きて、部屋中を探す。こんな小さな子が、夜中に勝手に動き回るなんて。部屋中を探すもどこにもいない。最悪の事態を想像して青ざめる。自分の落ち度で取り返しのつかないことをしてしまったかもしれないと思うと寒気がしてくる。

 そんな不安に駆られながら部屋を出て必死に探していると、廊下にぽつんといる緒蓮を見つけた。

「お前……また勝手に動きやがって……!」

 思わず怒鳴りつけようとしたが、振り向いたその顔を見ると黙ってしまった。目に涙をためて、小さな口をきゅっと結んで、今にも泣きだしそうなのだ。

「どうした? 何で泣いてんだ?」

 緒蓮はビクッとして、小さな声で答えた。

「おとたんがいないなったから……うぇっ」

 泣き出してしまった。

(いないなった?)

 ずっと隣で寝ていたはず。だが、もしかしたら自分が寝ぼけたまま用を足しに起き上がったのかもしれない。その時緒蓮も一緒に起きてしまって、後ろをついてきたものの、自分が気付かずに戻ってしまい、はぐれてしまったのだろうか。

「ああ、ごめん、ごめんな」

 とにかく謝ってみるが、なかなか泣き止まない。とりあえず抱き上げると、もうどこにも行くもんかというようにぎゅうぎゅうにしがみついてくる。胸元にも顔を押し付けてくる。その力の強さに驚かされた。

「大丈夫、ここにいるから。安心して寝な?」

 いつものように背中を優しくトントンと叩きながら、声をかけてやるとだんだんと落ち着いてきた。しばらくするとウトウトし始めたので布団に戻してやった。そして、自分も緒蓮の隣で横になった。これからもっと大変になるんだろうなと考えながら。



 ある日、様大は仕事を終えて自室にこもっていた。天気の悪い日は足の古傷が痛む。曲がった足と変形した爪がうずくのだ。ただ、人前では痛がる素振りは絶対に見せないように、足が痛むときには昔から自室でひとり隠れるようにしていた。

 すると、戸がカタンを開いた。そこにはキョトンとした顔の緒蓮がいた。

 こちらへトテトテとやってくると、「おとたん、いたいいたい?」と言いながら様大の足を小さな手でよしよしと撫でる。

「いたいいたいとんでけ」

 小さな手をどこか自慢げに空に投げる。

 その純粋な笑顔を見て、様大は思わず緒蓮を抱きしめた。

「おとたん、いたいいたい、とんでった?」

「ああ」

「いたいいたい、なおった?」

「ああ、ありがとな」

 小さくて頼りない我が子に、様大はいろんなものを注いで、与えていくつもりだったし、そうしなければいけないとも思っていた。ただ、ふとした瞬間に様大が注いでいる以上のものを、与えている以上のものを我が子からもらっているような気がして、目頭が熱くなるのだった。

 悪天候で薄暗い室内の中、様大に抱きしめられた緒蓮は嬉しそうにきゃっきゃと笑っていた。

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