第12話 九尾が抜け出す

 いつものように寺の便所で様大ようだい九尾きゅうびが営みを終えた後のことだった。

 二人で座り込んでいると、九尾が口を開いた。

「俺さ、たぶんそのうちこの寺抜けるわ」

「ああ? 逃げ出すってことか?」

「いや、逃げるんじゃねぇ。抜ける。親父がいろいろ裏で手を回してるらしい」

「へぇ」

 さすが、ヤクザは違うな、と様大は思う。

「馬鹿息子が恋しくなってきたのかねぇ。……お前も来る?」

「あー……いや、俺はいいわ」

「えー、何でぇ?」

「寺出ても行くとこねぇし。縁切られて、親父もお袋もどこにいるかわかんねぇからな。いっそ、この寺で住職にでもなれりゃあ安泰だな」

 笑っている様大の横顔を眺める九尾。


「お前、もう寺から逃げ出す気はねぇんだよな?」

「当たり前だろ。そもそも、この足じゃあな」

 かつて折られ、今では少し曲がってしまった足を見せる。

「んー……ならさ、俺がお前を住職にしてやるよ」

「ああ? 何だそれ」

「まぁ、何年かかるかわかんねぇけど。楽しみにしてろよ」

「ははっ、わけわかんねぇ」

 九尾は立ち上がり、作務衣を着直す。

「んじゃ、俺そろそろ行くわ」

 そう言って九尾は颯爽と寺を出て行った。

 それからも様大と九尾は相変わらずで、修行僧たちは「あの二人また何かやってるぞ」とあきれていた。



 しばらくして、寺の裏にスーツ姿のいかにもな輩と村人数人が集まっていて、住職と何やらやり取りをしていた。

 その場に九尾もいたが、いつもの作務衣ではなく、普通のスーツを着ている。元がいいからか、それなりに決まっている。

 様大は掃除をするふりをしながら、その様子を見ていた。

 そっとしておいたほうがよさそうだとは思ったものの、やはり気になるものは気になってしまう。

 住職と輩のやり取りには「決定事項です」という一言で片が付いたようで、

「これ、お願いします」

 スーツの輩は住職に分厚い封筒を渡す。

 住職が中身を確認する。覗き込んだ村人たちはざわつく。

「こんなに……」

「約束していた通りです。今後ともよろしくお願いいたします」

 やり取りが終わると住職は寺に戻り、村人たちは裏口から帰っていった。

 その後で、スーツ姿の男たちが九尾を裏口に案内する。裏口から出るその瞬間、九尾が様大のほうを見た。にやっと笑うと、軽く手を上げていった。

 いかにも九尾らしい去り際に、様大も思わず笑ってしまった。


 寺では九尾が去ったことを疑問に思っている修行僧も何人かいたが、もともと寺は入れ替わりも激しい。そのため、そのうち九尾がいなくなったことを誰も気にしなくなった。

 ただ、様大はやはりそれなりに寂しさというか、九尾がいないことにつまらなさを感じてはいた。


 それでもそのうち、九尾がいない日々にも慣れていった。

 規則正しい修行僧としての生活。話し相手は探せばいくらでもいたし、ひとりならひとりでも問題はなかった。時々、新しい修行僧がやってきては、逃げ出して足と心を折られる。それ以外は特に代わり映えのしない毎日だった。

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