第49話 悲鳴/喘ぎ
古菅の家を後にした俺は、昨日と同じように待ち合わせの公園へと向かっていた。
暗くて見えにくい人薄な歩道を踏みながら、確実に歩んでいく。
見上げる空は既に暗い。昇っていた太陽も山の向こう側へ帰宅寸前だ。
そのような中で、俺は先程康生さんに言われた言葉を思い出す。
時間の経過で断片的にしか覚えられていないが、内容の意味はしっかりと胸に刻み込まれている。
「手遅れになる前に、か」
–––––––手遅れ。
康生さんの体験談から考えると、つまりは別れ。どのような形であれ、一歩遅ければそれは永遠の後悔となる。
じゃあ、俺にとっての手遅れも別れになるのだろうか。
「......」
正直、考えてこなかったわけじゃない。ただ、考えるのは嫌だった。考えたくもなかった。でも......考えざるを得なかった。
–––––––恐らく、俺にとっての別れというのは”この事件の終わり”だ。敵魔術師を見つけて殺した後に、俺は彼女と決別することになるのだろう。
なにせ彼女は魔術師。対して俺は一般人–––––––少なくとも一般社会に生きる人間だ。その間には分厚い壁がある。交わることは多分難しいだろう。
確証は無い。けど、そんな確信はある。
......と、
「......うん?」
急に足が止まる。
公園までの移動意識が、突如耳に入ってきた悲鳴じみた小さな声により停止する。
いや、これは......
「タ、ス、ケ?」
助けを求める声である。しかも、絞り出るような妙に苦しい感じだ。
場所はちょうど今通り過ぎた路地裏先から。しかもかなり近い。歩いてすぐだ。
そして俺の周りに人はいない。町の住人は夜間の外出を控えている。故に、今近くにいるのは俺だけだ。
「–––––––」
体が動き出す。
進行方向は公園ではなく路地裏へ。声の主、声の意図を突き止める為に、俺は路地裏へと足を進めた。
–––––––もしかしたら奴らがいるかもしれない。
そんな不安と恐怖と可能性を胸に秘めながら、俺は薄暗い闇の中へと身を投じた。
ピチョン ピチョン
水滴の落ちる音が響く。
昼間は雨が降っていたからだろう。季節としては雨よりも雪の季節なのだが、どうやら今年はかなり遅めらしい。雪の予報は明日からだ。
故に、今歩いている路地裏はとてもジメジメとしている。空気も籠っていて、濁っている。なんだか気持ちが悪い。
それにこの感覚......この、胃の中に手を突っ込まれて掻き回されるような気色の悪い感覚。間違いなく赤い化け物《奴ら》だ。
パチュン パチュン パチュン パチュン
そして、そんな水滴音と気持ち悪い空気の中には異音が混じっている。明らかに水の音ではない何かである。
その音は......なんというか、表現に困る音であった。説明が難しい。
肉を引き千切る音や、咀嚼する音はなんとなくで分かる。その音だけで現場の風景が嫌でも脳内で再生できてしまう。つまり、最悪すぎて分かりやすい音だ。
対して、これはなんだ? なんの音だ?
生々しいというのは分かる。しかし、実際に何かを想像できるかと聞かれれば、首を傾げてしまう。
なんだろう? 肉と肉との接触、擦り合わせとでもいうのだろうか。正直、これ以上の表現は分からない。実際にこの目で見ない限りは、何とも言えない。
「うっ、あっ、い、いやっ、や、やめて......これ以上......これ以上は–––––––」
そして異音はもう一つ。
これは......女性の声だ。
声色からしてかなり若い。10~20代後半くらいの若い女性のものだ。
「お願い......いだ、いだいの、ソコいだいの! 熱い......熱いの! もう、お願いだから–––––––いやっ! もう、抜いて......!」
そしてその声は痛みを訴えるものであった。どうやら誰かしらによる外的な干渉らしい。つまり女性は、誰かに何かをされているようだ。
しかし......どうもおかしい。これは化け物によるものなのか?
もし化け物の襲われているのであれば、こんな悲鳴では済まない。耳をつんざくような、自転車の急ブレーキに似た声がこの路地裏中に響き渡る筈だ。
だがこれは痛みと恐怖による悲鳴ではなく、意図的に声を押し殺すかのように、か弱い。助けは求めているが、明らかに弱々しすぎる。
ていうか、こんな声じゃまるで–––––––
「......いや、そんな、あるわけが」
あるわけがない。
でも、だからといって確認しないわけにはいかない。
何せこの空気感は化け物のいる空気なのだ。いない筈はない。そして化け物がそこにいるとするならば殺す–––––––それだけだ。
俺は路地裏の奥、そのまたさらに奥へと歩みを進める。
進むごとに異音はだんだんと大きくなる。
「......」
ポケットの中に手を突っ込む。
中には細くて薄い得物がしっかりと入っている。
やはりこんな得物じゃ安心感は皆無に等しい。でも、刃物故に雀の涙程度の安心感はある。
無いよりはマシ......化け物1体程度ならば、不意打ちでどうにかできる。確実に殺せるかどうかの不安の雲は、ここ数日で晴れ切っている。
大丈夫だ、殺れる。1体なら俺でも殺れる。殺れなきゃ、俺が殺されるだけだ。
そして、俺は現場に到着した。
ここに来るにあたって俺が予想していたことは、女性が赤い化け物に喰われている、というものだった。
赤い化け物に追いかけられていた女性が捕まり、為すすべなく体の肉を削がれてムシャムシャと咀嚼されている–––––––予想としてはそんなものであった。
結論–––––––その予想は間違っていた。
いや、正確には大方間違っていた。唯一の正解は襲われていたことだけである。若い女性は、赤い肌に襲われていた。
では、実際はどうだったのか。
女性は一体、どんな襲われ方をされていたのか。
俺は、そこで何を目にしたのか。
解答–––––––そこでは、女性が赤い赤ん坊に犯されていた。
「–––––––ぇ」
小さく声が漏れる。
肩から力が抜ける。
俺は目の前に広がるおぞましい光景を呆然と眺める。
そこには、若い女性がいた。
彼女は下半身の衣服を破かれていた。
四つん這いになり、肌色を晒す尻から響いてくるパチュンパチュンという衝撃によって涙を流している。「助けて」「抜いて」「もうやめて」と口にしながら。
そして、そんな女性の尻に引っ付いている赤い赤ん坊。
それは赤い女体の後尻に引っ付いていた赤ん坊と同種のものであった。
赤ん坊はニヤリといやらしく、気色悪く笑いながら腰を振っている。
抜いて、挿れて、抜いて、挿れての繰り返し。赤ん坊は腰に付いているものを必死に突き入れ、穿っていたのだ。
ポタポタ ポタポタ
何かが女性と赤ん坊の接触部から垂れて地面に落ちている。
色は赤、それと白。2色のドロッとした液体はそれぞれで垂れ、落ちた地面で交わり混ざり合っている。
「–––––––」
......おぞましい。
最初に出た言葉はそれだった。
視界に入ってくる光景が、そのあり様が、あまりにも狂っている。
これが人を喰っているだけだったらどれだけマシだったか。生物的なおかしさで言えば、この光景の方が明らかにおかしい。
だってそうだろう。化け物にとっての餌が、その化け物の手によって性的に犯されているのだから。人で例えるのならば、魚で自慰行為を行っているようなものだ。
......脳で理解ができない。本能でも理解ができない。
怖い。
狂気じみている。
恐ろしい。
気持ちが悪い。
吐き気がする。
なんなんだ......なんなんだよ、これ......?!
すると、犯されている彼女の目が俺を見る。
「うっ......いっ、ひっ......」
目、目、目。
助けを求める目。だが同時に「見ないで欲しい」と懇願するような目。
しかし、俺は動じることができない。
あまりの光景に手足の使い方を忘れてしまう。
やらなきゃいけない。
助けなきゃいけない。
殺さなきゃいけない。
頭は分かっているが、それでも体は動くことをしない。まるで首から下の神経が切れてしまったかのようだ。
そんな中、俺は視界の中のとある変化に気が付く。
それは赤い赤ん坊に犯されている女性の尻であった。
衝撃で揺れていたその肌色は、なんと薄橙から赤い色へと変色し始めていた。
最初はほんのり程度だったその赤は、今では真っ赤な赤色だ。
そしてその色は尻だけでなく、胴体や脚にまで広がりだしている。
「......なんだよ、それ......」
瞬間、俺はその変化を前にして嫌な事実を想像してしまう。
いや、違う。不思議と、自然に、目の前の
「ありえない......そんなこと......」
首を振り、想像を捨てる。
そんなことはあり得ないと否定する。
でも......どうやっても考えざるを得なかった。
もしかしたら......赤い女体は......その正体は......
「嫌だ、何これ嫌だ! なんなの! お願い、止めて!」
異変に気が付いた女性は泣きわめき、懇願する。体を震わせて尻に付く赤ん坊を振り払おうとする。
しかし、赤ん坊は笑ったままで何も言わない。その小さな手足でがっしりと体にしがみ付き、ただ一心不乱に腰を振り続けている。赤い色は、肌に広がりつ続けている。
涙の声は闇へ消え去り、
俺も体が動いてくれず、
故に、状況はどうにもならない。
–––––––だが、その時だった。
闇の空で鋼が煌めく。
煌めいたかと思うと、その鋼は空を切り裂き、そして–––––––刀は腰を振る赤ん坊の頭上へ向けて高速で落下した。
空と闇を引き裂く刃の剣先。
主の手を離れた刀は目にも止まらぬ速さで赤ん坊の頭上へと迫っていき、そのまま、
「なっ......」
グサリと。脳天から赤ん坊を串刺しにした。
貫かれる赤ん坊の頭から尻。
吹き出る血しぶき。瞬間で絞り出される断末魔。
–––––––当然、赤ん坊は絶命。女性の体から剥がれ落ち、地面で泥となって消滅した。
カランと転がる主無き刀。その刀には見覚えしかなかった。
「......だ、大丈夫、ですか!」
しかし、今はそれよりもだ。
動かなかった体を動かし、犯されていた女性に近づいて身を支える。
女性は一安心した反動か、そのまま気を失った。
「まったく。来ないと思ったら1人でこんなことをねぇ」
声が響く。聞き馴れた声だ。
そして、その声の主は俺の前に降り立つ。
地面に転がった刀を持ち上げ、肩に担ぎながら女性を支える俺を見下ろす。
言わずもがな–––––––冴島 美恵子だった。
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