第41話 逢魔が時

 4時限目後のお昼休み。場所は食堂。

 大人しかった午前の憩いの場は、チャイムの音と共に一変する。

 ほぼ無人に等しかった食堂内は、チャイムと同時に駆け込む数人の生徒から始まり、やがて10、30、50と。大勢の生徒達でごった返した。

 そんな中–––––––


「え? 中学校の時の英語のノート?」


 食堂の椅子に座り、値段400円のカレーライスをたしなんでいた古菅は首をかしげた。


「ああ、そうなんだ。ちょっと、借りることとかできないか? なるべく急ぎで」


 彼女に対面し、同じように席に座る俺。

 手元のテーブルには、たった今運んできた並盛の麻婆豆腐定食が、スパイシーな香りを放ちながら置かれている。


「別にいいんだけど、どうしたの急に。先週の前触れもない連日欠席に、やっと今日登校したと思ったら中学の英語ノートの要求とか。欠席に関しては、弘一くんのことだいぶ心配したんだからね、私。ちょうど繁華街で事件とかあったりして......心配のあまり、何回電話したと思ってるの?」


 古菅による説教のような心配の言葉。

 当然、俺は反論することなどできず「面目もございません」と謝罪を口にする。仕方がなかったにせよ、これは完全に俺が悪い。


「理由については徹底的に問い詰めたいところではあるけど、弘一くんには弘一くんの事情があるだろうからね。一応聞かないけど、今後はこういうこととか無いようにしてね。何日も学校でひとりぼっちとか、結構孤独なんだよ?」


「ああ、肝に銘じとくよ。学校に行かなくても、音信不通になることは今後は絶対しない。何かしら連絡は入れるようにする。電話にもできるだけ出るようにするよ」


「よろしいです。まあ話は戻るけど、なんでそんな急に中学の英語ノートが必要になったの? 弘一くん、中学英語基礎レベルはあるんじゃなかったっけ?」


 頭上にクエスチョンを浮かばせる古菅。

 ......無理もない。何せ、1週間前まではできていたことだ。それが急に–––––––


「......まあ、色々と。再確認というか復習というか、必要だなって思って」


「にしては極端な気もするけど」


 変なの、と言いながら、古菅はパクりとカレーの乗ったスプーンを口にくわえる。

 けど、そう言いたいのはこちらも同じだ。なんでこんなことになったのか、それが当の本人である俺にも一切分からない......いや、やっぱり分かっている分からない


「とにかくだ。至急頼みたい。明日とかどうだ?」


「うーん、そうだねぇ。貸す分には構わないんだけど、明日になったら忘れそうだなーっていうのが、ちょっと不安かな?」


「それは......できる限りお願いしますとしか言えない。確実性は欲しいところだけど、頼んでいる身として文句は無い。忘れないでくださいって感じで」


「確実性かぁ......じゃあ–––––––」


 古菅は言葉の途中でコップの水を口に含む。彼女の額をよく見てみると、そこにはうっすらと汗が浮き出ていた。

 そして、ゴクリと飲み込み、一言。


「今日、帰りにちょっとだけ私の家に寄ってく?」



......



 放課後。

 授業が終わって外に出てみると、空はオレンジ色に染まりかけていた。まさに、夕方の色、その入り口である。

 カーカーと鳴くカラスの群れ。

 空を横断する飛行機雲。

 地平線の方へ沈みだす太陽。

 そして。

 昼と夜の狭間。

 太陽と月の追いかけっこ。

 世間体で言えば、”逢魔が時”と呼ばれる時間帯である。


 外に出た俺と古菅は、住宅街へと向かった。

 方向的に言えば、同居する前に住んでいた俺のアパートがある方向。

 それと、今から向かう古菅の家がある方向だ。


「そういえば、弘一くんは初めてだったね。うちにくるの」


 歩道を並列で歩きながら、古菅は口を開く。

 声に反応して彼女に目を向けると、その緑の髪は、太陽によって赤く染まっていた。


「そうだな。行ったこともないし、見たこともない。古菅の家、俺よりも遠いからな」


「だよね。お互い外に遊びに行くって性格じゃないからね」


 苦笑いをする古菅。

 当然、否定はしない。引きこもりや陰キャ、といったレベルではないが、わざわざ外に遊びに行くということは基本しない。こういったところに関して言えば、古菅と俺は同類である。

 外に出ず、内に籠る。全を拒絶し、個を尊重する。それが俺達という人間だ。

 でも、そうなると......うん、やっぱり訂正。考えてみると、俺と古菅は陰の者だ。


「話変わるけどさ、古菅って家族とかどうなんだ?」


「え?」


 きょとん。

 古菅は目を丸くする。


「ああこれ、もしかして話してなかったっけ? 私、兄と2人暮らしなの」


「兄と2人暮らし?」


 最後の言葉を復唱し、より深く、詳しく尋ねてみる。


「うん。転校してきた時から、ずっとね。兄の–––––––ううん、お兄ちゃんの稼ぎで、私は学校に通えて生活ができてるんだよ」


 誇らしげに、そしてどこか虚し気に。古菅は自身の生活についてを口にする。


 あれ? そんな感じだったっけ? 古菅の家庭って?

 いやでも、そんなだった気がする。でもやっぱり、あんまり思い出せない。記憶にモヤが掛かってる感じの思い出せないじゃなくて、なんかこう、。データが完全削除された感じだ。


 そんな中、俺はふと、あることを思ってしまった。

 思うだけならいい。思うだけならいいのだ。でも–––––––


「2人暮らしで兄の稼ぎでって–––––––親は?」


 止まることなく、聞いてしまった。


「–––––––」


 その瞬間、古菅の笑みが固まる。

 いや、元から微笑んではいたが、それは柔らかいものだ。

 対して、今は硬い。硬直だ。苦笑い以上に無理矢理の笑みだ。

 やがて、彼女は表情を少し崩した

 そして、柔らかく、寂し気で、優しく微笑みなおす。


「両親は、まあ、ちょっと、ね。これも、言ってなかった、かな?」


 言葉が詰まる。その先は口にしない。

 しかし、なんとなく。なんとなくではあるが、俺にはその意図が理解できた。

 ああ、もしかして、そういう–––––––


「......悪い。デリカシーが無かった。というか、忘れてた」


 謝罪する。太陽の如く沈んだ声の後、彼女から視線を逸らす。


「ううん、いいよ。弘一くんに話したの、何年も前だし。仕方ないよ」


 それを、苦笑いすることで「仕方ない」と口にする古菅。


 いや、違う。古菅、それは怒っていい。

 なんで教えた筈なのにそんなことを聞いてくるのか、って感じで、怒っていい。激怒じゃなくても、文句くらいは言っていい。

 俺がお前の立場なら、ちょっとくらいは怒りというか、文句というか、そんなものを口にしてしまう。こんな気が付く間もなく、何も考慮せず、そもそもそれすら思い出せずに平気で口にしやがったこんな男なんか、怒られて–––––––怒りを向けて当然だ。

 だって、その感情は間違っていないんだから。親がいないもの同士、それは俺が一番良く理解している。

 そう言おうとしたけど–––––––


「......ほんとごめん。これからは、忘れないように、ちゃんとする」


 –––––––俺は、言えなかった。

 –––––––今は、言える雰囲気じゃなかった。

 –––––––いや、言いたくなかった。

 –––––––否、言われたくなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る