第40話 新たな1週間

 山の屋敷で生活を初めて、最初の1週間が経過した。

 今振り返ってみれば、この1週間は激動の1週間(+少し)であった。

 冴島さんと出会い、

 赤い化け物と遭遇し、

 屋敷で同居生活となり、

 白い怪物と交戦し、

 魔術の世界を知り、

 その世界に首を突っ込むことを決めた。

 非常に長く、異様に濃い。毎日が驚きの連続。波乱万丈。

 南 弘一という人間にとっては、恐らく一生忘れられない1週間である。





 そんな週明けの月曜日。その朝。

 外からは鳥のさえずり声。屋敷の中は広い空洞のようなものなので、その声はよく響いている。


「それじゃあ、行ってきます」


 俺はロビーのドアノブに手を掛けながら、背後に立つ真矢さんにそう告げた。


「行ってらっしゃいませ、南様」


 真矢さんはぺこりと頭を下げる。

 もはや見慣れた動きだ。前の俺だったらここで苦い顔しながら遠慮の言葉を口にしていただろう。が、1週間も経てばこの感じにもだんだん馴れてくる。

 俺は彼女の行動に対して特に何か言うことなく、そのまま扉を開けてロビーから外へと出た。

 開いた扉が閉まる最後まで、真矢さんが頭を上げることはなかった。





 今日の天気は晴れ。

 青空に昇っている太陽は眩しすぎて鬱陶しい。

 夏みたいに熱いわけではないが、放たれる日光は流石に目障りだ。


 しかし、そんな空の下でも緑崎の人々はせわしなく動いていた。

 皆スーツや制服を身にまとい、軽い雑談などをしながら本日の戦場へと向かっている。時刻はまだ7時過ぎ。勤労勤勉である。


 俺はそんな人々の流れにまみれながら、皆と同じように戦場である学校へと向かっていた。


 到着までの道中、耳に入ってくる話題は複数。

 ゲームだったり、アニメだったり、勉強だったり、仕事だったり–––––––話題は様々。

 しかし、先週の繁華街であった騒動についての話題はほとんどなかった。

 あったとしても繁華街の交差点封鎖への文句くらい。怪物を見たとか、異形の噂を聞いたとか、そんな話題は一切耳には入ってこなかった。


「これが協会の力、か」


 権力というか、影響力というか。

 魔術協会のそういったところに、俺はえらく驚かされた。

 でも、情報隠蔽の為に何人が口封じで殺されたのだろうと思うと、やっぱり怖くなった。






 学校に到着した俺は、2階に上がり、そのまま自教室の戸を開けた。


 ガラガラガラ


 乾いた戸の音が、空っぽの教室に響き渡る。

 教室内には誰もいない。

 椅子の入れられた机は、パッと見で綺麗に見えるかのように隣の机と乱雑に揃えられている。学校あるある、テキトーに終わらせる放課後清掃の影響だ。

 それは黒板も同様。ある程度は文字が消されているものの、消えないチョーク文字の痕はひっそりと薄っすらと残っている。


「やっぱり誰もいないよな」


 安堵と確信。

 教室に先週の金曜日の授業痕しか残っていないところを見るに、今日はまだ誰もこの教室には立ち入っていないようだ。

 つまり、今ここにいるのは俺1人。

 話す人間も、話してる人間もいない。

 開放的で平和な朝の教室。

 俺はそんな教室に足を踏み入れ、自席に着席する。


「珍しく朝早くに来てみて正解だったな。新鮮で、なんか気分がいい」


 確かに、たった1人の学校教室。

 しかし、別に悲しかったりとか、孤独だったりとかはない。

 何せ、俺は古菅以外からは避けられている存在だ。古菅がいない時はいつも1人で口開かずな人間だったので、そもそもこの状態がデフォルトだ。


 早めに登校した理由としては、単なる思い付きのようなものだ。

 誰もいない教室ってどんな感じなんだろう、と昨晩にふと思っただけなのである。


 ......とはいえ、やることがないわけではない。

 俺は持ってきたバッグの中に片手を突っ込み、ガサゴソと中身を漁る。

 そして、目的のぶつを掴んで引っ張り出した。


「折角時間があるんだし、今の内にやっとくか」


 1人でそう口にし、引っ張り出した冊子を机に広げた。

 机の上に敷かれたその冊子の表紙には、デカデカと”英語補修課題”と記されている。

 言わずもがな、これはいつしかの日に英語教師の人に渡された補修課題である。まったく、見ているだけで頭の痛む文字の密集だ。早く目を背けてしまいたい。

 しかし、そうは言ってもやっておかなくてはいけないのも事実。何せ、先週はほとんど学校に登校していない。授業はおろか、提出物すらも遅れてしまっている。

 故に、今週こそは始末しておかなくては。


「面倒だけど、さっさと終わらせよう。でないと、そろそろ進級が危うい」


 脳裏に浮かぶは最悪の未来。後輩と一緒に授業を受けさせられる地獄である。

 何故土日の内にやらなかったのか......だが、今ならまだ間に合う。最悪の未来回避の為に、動き出すことはまだできる。

 俺は、重々しい冊子の1枚目をパラッとめくり、課題内容を目にした。


 最初の内容は、be動詞についての簡単な復習であった。

 be動詞。それは中学生、もしくは小学生から習わされる英語の基礎中の基礎だ。

 故に、高校の授業はもうそれが理解できている前提で話が進められる。今俺が見ている冊子でも、be動詞の説明は省略され、いきなりの穴埋め問題から始まっている。


 流石の俺でも、この内容は既に理解済みだ。簡単簡単ボーナスタイムである。

 俺は筆入れからシャーペンを取り出し、紙の表面にその芯を当てる。

 そして、答えを書き込もうとして–––––––しかし、何か、おかしかった。


「......ん?」


 漏れる喉の音。

 これは疑問の音である。

 いや、困惑の音とも言える。


「......?」


 紙上に置かれたペン先は動かない。

 頭は回っている。思考は正常だ。

 でも、というか、なんか、理解ができない。ペンが動かないことが分からず、理解できない。

 分からないが、分かっていない。


「......え? いや、えっと」


 

 理解できてはいる。

 思考は大丈夫だ。気も動転していない。何もおかしくはない。

 分かっている。分かっている。分かっている……分かってはいるのだけど、何かが、おかしい。

 –––––––いや、何がおかしい? おかしいことってなんだ? なんで答えを書き込めないおかしなことになっている?

 ていうか–––––––


「be動詞って、なんだっけ.......?」

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