第42話 初めての友人宅

 完全に空が赤く染まる頃。

 それは、空を飛ぶカラスの鳴き声が止む頃。

 それは、歩道の街灯が点灯しだす頃。

 それは、車道を走る車がライトを点けだす頃。

 

 俺達は、古菅宅に到着した。


「ここが古菅の、家......」


 古菅の隣に立ち、俺はその家を見上げた。

 古菅の家は、周りにそびえ立つ住宅群とは全然雰囲気が違った。


 まず、大きい。

 今俺が住んでいる山の屋敷まではいかないが、住宅街にある家にしては、巨大だった。

 それに、これも山の屋敷みたいな圧倒的高級感まではいかないが、古い洋風な建築様式に見えた。


「うん、こんな感じ。驚いた?」


 覗き込むように顔を傾けてくる古菅。


「ああ、少し驚いた。凄いんだな、古菅の兄貴って」


 見たところ–––––––いやどう見ても、若い男1人の稼ぎで住める物件じゃない。

 確かに年季が入ってはいるが、土地はデカいし、外見の造りもどことなく高級チック。

 成功した夫婦か、長年続いている名家か。そんな人達でなきゃとてもじゃないが住めるものじゃない。普通住み始めて精々数か月で関の山だ。


「うん、毎日仕事で頑張っててね。そのお陰で、私もアルバイトとかせずに勉強に専念できてるんだ」


「バイトとかせずに、ねぇ......」


 余計に凄い。もはやどうやったらこんなに稼げるんだ? こっちが聞きたいくらいである。


 俺は内心でそう思いながら古菅の家に足を踏み入れようとする。

 しかし、そんな俺を「ごめん」と言いながら古菅は止めた。


「弘一くんには申し訳ないんだけど、家に呼んだくせに、家の中には入れることができないんだ」


「ん? どうして?」


「あー、うん。色々と事情があってね。だから、ここで待っててくれるかな? その間に、急いでノート取ってくるからさ」


 古菅は思い切り目をつむり、顔前で両手を合わせる。謝罪と懇願の意だ。

 当然俺はそのことに対して、おかしい、怪しい、と色々と思ったが、そもそも貸し出しをお願いしたのは俺だ。こんなことで文句を垂らし出すなんてしてはいけない。というかそもそも、こんなことは不満ですらない。


「ああ、分かったよ。ここで待ってるから、古菅はノート頼むよ」


 俺は頷く。

 彼女はそれに対して「うん!」と頷き返すと、「ちょっと待っててね!」と言い残し、家の中へと走り入っていった。

 ......しばらくの間、1人の時間である。


「暇だけど、しょうがないか」


 不満は無いが、暇がある。だが、仕方がない。

 俺は古菅の家の塀に背中を預けながら、ひとまず空を見上げることにした。


 空は、赤かった。紅かった。朱かった。

 もはや、オレンジではなかった。朱色ではなかった。山吹色ではなかった。

 ぼやけてはっきりしてはいないが、その色はレッドだ。

 ......不安を煽る色だ。

 ここ最近この色を見ると、どこか心が落ち着かない。常に気を張ってしまう。

 理由は単純。この色から連想できるものが非常に恐ろしいものだからだ。暗闇を怖がる子供みたいな感じだ。


「赤い、化け物......」


 自然と吐き出される恐怖の言葉。呪いの言葉、象徴と言っても過言ではない。

 俺の中には、やはりあの恐ろしい姿が根付いている。

 でも、多分それだけじゃない。連想できるものはこれだけじゃない。

 恐らく、それは–––––––


「先週の交差点......」


 脳裏で思い出されるのは、あの地獄の舞台。

 人の血肉が散乱し、ひどく不気味で、グロテスクで、居心地が悪くて、生を感じられなかった世界。

 そして、その脳裏の世界には必ずあの白い怪物がいる。


 ......想像するだけで吐き気がする。

 想像するだけで震えるし、想像するだけで悪寒が走る。

 ボーっとしていた頭も気持ち悪くなってくるし、何よりも痛い。


「–––––––」


 ここ2日。何も考えていないといつもこれだ。

 いつも、いつも、いつも......良くないことを思い出してしまう。当然、俺はそんなもの求めていない。

 思い出すなら、いや妄想するのなら、俺は–––––––




「おーい君、大丈夫かー?」


 瞬間、そんな男の声が真横から現れた。


「え?」


 我に返る。

 魂を呼び起こす。

 俺は声のした方向–––––––右側へと顔を向けた。


 そこには、1人の男性がいた。

 身長は恐らく170後半。やせ型。

 長い白髪を頭から垂らし、整った顔で作られた笑顔を俺に向けている。

 服装はヨレヨレの白シャツにヨレヨレのズボン。視覚から捉えた第一印象としては、あまりよろしいものではなく、清潔感が感じられない。

 そして、片手からは中身の入ったビニール袋が引っ下げられている。


 男性は柔らかく微笑んだまま俺に近づいてくる。

 不思議と恐怖感は無い。いつもなら笑顔のまま近づかれると恐怖心と警戒心が芽生えるのだが、不思議とこの男性の前ではそういったものが出てこない。......神父の前だとあったのにな。


「ようやく気づいてくれた。3回読んだのに全然気づいてくれないんだからさ、僕は少々悲しかったよ」


 俺の傍に立つと、男は胸に手を当てながらそう言った。


「そ、そうだったんですか。それは悪いことをしました。......でも、どちら様ですか? 急に話しかけてくるなんて」


 謝罪しながら尋ねる。

 すると、男性は腕を組んで当然のように、


「どちらって、この家の人間だよ。そりゃ話しかけるでしょ? 自分の家の前に見知らぬ子どもが1人ボーっとして空を眺めている–––––––この状況を無視するっていうのは、それこそ不可能だろう? 見たところ、緑崎高の制服のようだけど」


 そんなことを言ってきた。

 この家の人間? 自分の家の前? ......となると、もしかしてこの人。


「あの、つかのことをお聞きしますが、もしかして貴方は古菅のお兄さん、ですか?」


 目を見開き、その古菅の兄であろう人物にさらに尋ねる。

 男は「古菅のお兄さん?」と聞いて一瞬だけ何故かポケッとしたが、やがて「ああ」と思い出したかのように声を上げた。


「うん、そうだよ。美代の兄の康生こうせいです。君、まさか美代のお知り合いかな? となると、噂に聞く南 弘一くんかな?」


 手をくるりと返しなが人差し指で刺してくる男性。

 俺は頷いた。


「はい、そうですけど。俺のこと、知ってるんですか?」


「知ってるも何も、美代の唯一の友達だからね。君の話はここ数年、美代から毎日聞いていた。聞かない日は無いくらいにね」


「へぇ、そうだったんですか......」


 視線を下げ、少しだけ微笑む。

 足元は、もう暗い。既に自身の影は見えず、暗闇に溶け込んでしまっている。時刻は今、何時くらいなんだろう。


 男性–––––––いや康生さんは、ビニール袋の中をガサゴソと漁りだした。

 そして、中から缶コーヒーを2つ取り出し、内1つを俺に差し出す。


「君ってさ、コーヒーとかいける口かい? 近くのコンビニで買ってきたんだけど、どうだい? 1本」


 まさかの飲みの誘いである。

 ここは流石に断るべき......なのかもしれないが、よくよく思い返すとここ最近、俺はコーヒーというものを口にしていない。

 今更かもしれないが、コーヒーは俺の好物だ。特に缶コーヒー。まずい薄いという意見は多々見受けられるが、俺はこれが一番好きだ。

 もっと言うと、こういった寒い日の外で飲むホットの缶コーヒー。これはもう、格別の味なのである。

 それに、康生さんの買った缶コーヒーは、俺の好きな銘柄だ。

 この誘惑......耐えられるわけがない。


「ありがとうございます。ありがたくいただきます」


 俺は差し出された缶コーヒーを受け取る。

 案の定、やはりホット。スチールを通して、中の熱が手の平の芯へと染み込んでいく。

 しかも冬の寒さの影響か熱すぎず、ちょうど良い温度に落ち着いている。

 まさに、最高の仕上がり具合である。


「ま、外なのが申し訳ないけど、ちょっと話そうよ。どうせ美代待ちでしょ? 学校での美代のこととか、君のこととか、ちょっと聞きたいし」


 カシュッ


 康生さんは缶の口を開く。

 そして、先程の俺と同じように塀に背中を預ける。


「分かりました」


 カシュッ


 俺も缶を開け、背中を塀にくっ付けた。




 ......その後、俺と康生さんは色々なことを話した。 

 学校での古菅のこと。

 家での古菅のこと。

 俺と古菅の関わりのこと。

 それらを話していた時間はほんの数分。

 しかし、缶の中身は砂時計の砂のように流れを止めることなく、ものの数分で空っぽになった。


 で、ちょうどその時。

 家の中から古菅が出てくる音が聞こえてきた。

 俺はその音と同時に塀から背中を離し、右横で喋っていた康生さんに背を向ける。


「ごめんね弘一くん、待たせちゃって」


 タッタッタッと小走りで近づき、彼女は俺に持ってきた紙袋を手渡す。

 ありがとう、と俺は感謝を口にし、紙袋の中を確認する。

 中には、十数冊の中学時の英語ノート。暗くてよくは見えないが、十分に使い込まれた跡が残っている。


「わざわざ本当に悪いな。でも、これならどうにかなりそうだ」


「ううん、全然いいんだよ。むしろ頼ってくれて私としては嬉しいし。今後も私をできる範囲で頼ってくれても–––––––あ」


 ふと、古菅の目線が少し右に流れた。

 それと同時に、喉から搾り出るように震えた母音が漏れだした。

 そして、明るかった笑顔も暗く落ち着き始める。


「ん? どうした古菅? 急に黙って」


 声を掛けてみるが反応は無い。

 それに視線は俺ではなく、その先の背後へと向けられている。

 後ろ? 後ろにいるのは、だって–––––––俺は彼女の視線先、つまりは背後へと振り返った。

 そこにいるのは、当然、古菅の兄 康生さん。満足そうで優しい笑みを浮かべながら、彼女を見ていた。


「......お兄ちゃん、帰ってたんだ」


 背後から響くのは古菅の声。

 だが、何故かその声はひどく落ち着いていて暗かった。


「ああ、ついさっきね。初めて会った美代の親友と、ちょこっとだけ世間話を」


「ふーん......そうなんだ」


 俺は振り向き、古菅へと顔を向ける。

 無表情、無抑揚、無関心。

 どこか不思議で、どこか不気味。

 今まで聞いたことのないような古菅の声色とリズム。


「......」


 意外というか、驚きであった。

 2人の話を聞いている感じ、こんなに仲の悪い–––––––いや、仲の無いような関係ではなかった筈。康生さんはともかくとして、古菅はどこか態度が冷めている。

 一体なんなんだ? この急な雰囲気......これじゃまるで–––––––


「弘一くん、今ちょっと時間とかある? できたらでいいんだけどさ、久しぶりにどこか食べに行かない? 最近、おいしいラーメン屋さん見つけたんだ」


「え? ああ」


 急に古菅から言葉を振られ、俺は動揺する。

 今の言葉は今さっきの冷めたい感じではなく、いつもの感じ。学校でいつも聞いている古菅の声色と雰囲気であった。


「おお、いいんじゃないかい? 食べてくるといいさ。僕はレトルトで済ませておくから」


 どうぞどうぞと進めてくる康生さん。

 無論、古菅自身も行きたいご様子。

 ......しかしだ。


「悪い古菅。ちょっと俺、この後様があるから」


 俺は断った。

 当然、行きたい気持ちは山々だ。古菅と食べる外食は楽しいし、そのラーメン屋も気になる。

 だがこの後、俺はまた別の用事がある。ドタキャンしてはいけない、外せない用事である。


「あ......そうなんだ。残念だなぁ」


 苦笑いしながら、悔しさを口にする古菅。


「ほんとにごめん。だから、また今度な。いつ時間が空くかもよく分からないけど、近いうちにこの埋め合わせは絶対する」


「ああいいよいいよ、そんな気使わなくて」


「俺がしたいからするんだ。古菅が俺といつも一緒にいる理由と同じだ。だから、もう少し待っててくれ」


「あ......そう。分かったよ、弘一くん」


 古菅は震える声で頷き、答えると、視線を真下に向ける。

 表情はよく読めない。ほっとしているのか、残念がっているのか、顔が見れないので分からないが、多分、悪いものではない筈だ。

 そう思った俺は古菅と康生さんから離れ、手を少し上げ、


「それじゃ、また今度。さよなら」


 今日の別れを告げて、走り出した。

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