第35話 謎のシスター

「……」


 気がつくと、俺は空になったペットボトルを片手に礼拝堂の長椅子でぐったりと横になっていた。

 礼拝堂内は、眠る前よりも薄暗く不気味であり、昼間の神秘というものは存在しない。はっきり言って、少し恐ろしいくらいだ。


「俺、寝てたのか?」


 呟きながら身を起こし、立ち上がる。

 礼拝堂を不気味に照らすのは、壁際に立てられたろうそくの炎のみ。

 足下はよく見えないが、その炎と豪華に飾られた祭壇の炎を当てにし、どうにか周りを見回す。


 礼拝堂内は相変わらずの無人。

 人影は愚か、人の気配すら見当たらない。

 寂しく恐ろしい荘厳な空間……だが、今回は少し違った。


「あ–––––––」


 俺は、そんな空間の中で1人長椅子に座っている誰かを目にした。


 それは、シスターだった。

 黄色い髪を少し覗かせながら、黒い修道服を見にまとい、瞳を閉じ、祭壇……言ってしまえば、神に祈りを捧げている。

 その姿、まさに美と言えよう。いや、そう見るのは無粋か。


「……」


 何も言わず、無言のまま。

 時が止まったかのように見えるシスター。


「……」


 言葉が出なかった。

 声を掛けたかったが、触れてはいけない、声を掛けてはいけない、といった荘厳な雰囲気が彼女にあり、口をぽかんと開けて呆然と眺めることしかできなかった。

 故にその場で静止。時が止まったかのように体は硬直した。


 そんな中–––––––


「……一般無信仰者にしては、その場の空気というものが分かるんだな」


 瞼を閉じ、祈りを捧げるシスターが急に口を開き出した。

 口調は男っぽく、それでいて低音。だが、濁りというものは一切なく、美麗であった。


「–––––––」


 その声に、俺は一瞬だけたじろぐ。

 動かないと思っていたものがいきなり動き出す。

 それはなんとも言えない不思議で恐怖じみた感覚だ。

 俺はゴクリと喉を鳴らす。


「だが、神の前で堂々と居眠りするというのは褒められたものではない。根っからの間抜け……いや、逆に勇気と度胸か。そこまで来るとむしろ賞賛ものだぞ?」


 シスターは呆れたように言うと、祈りを止めて立ち上がる。

 立ち上がった彼女は意外にも低身長であり、比較に使うのは申し訳ないが、真矢さんサイズであった。


「……あの、いつからここに?」


 恐る恐る口を開く。

 声は不自然に震えてしまってる。

 人がいる、ということに安心感があるのに、彼女の前だと何故か平然としていられなかった。

 シスターは溜め息を一度吐き、答えた。


「お前の目覚める前からだ。ガッツリと爆睡していたが、生憎、私は浄化された美しい心、つまり聖女レベルの寛大な心の持ち主だからな。床に広がっていたジュースの水たまりを掃除するだけにしておいてやった」


「ああっ、ペットボトルが空になってたのって、そういう……」


 そういうことだったのか。

 俺は未だに握っている空のペットボトルのキャップを閉める。

 手は、オレンジの果汁でベタベタだ。


「すみません。色々とご迷惑掛けちゃって」


 申し訳なさそうに表情を沈め、よく見ている真矢さんの形に習って頭を下げる。


「気にするな。信徒なら問いただすところだが、お前は無信仰者だ。仕方ないとは言いがたいが、少なくとも私は気にはしない。だが、だ」


 彼女は俺に向かって歩き出し、顔を近づけ俺の胸に指を刺す。


「今後は気をつけろ。私だったからよかったものの、他の人間だったらどうなっていたか分からん。睡眠一つが、神の前では生死を分つ。そう覚えておけ」


 2度とするな、と。戒めの言葉を口にするシスター。俺の身を案じての行動であった。


「–––––––」


 それに対し、俺は反応することができなかった。

 驚き、もあるが、相手は初対面。声を出すというのには未だに躊躇いがある。

 そんな俺が気に食わなかったのか、ピクリと眉を震わせ、


「返事」


「は、はい!」


「よし」


 脅迫じみた返事の強要に俺は声を出し、シスターはそれを見て再び呆れた息を吐いた。

 ……こう言ってはあれだが、ホントにシスターなのかこの人、と疑ってしまう。


 そんな中、ガチャッと何かが軋み、ギーッと動くような音が礼拝堂内に響き渡った。


 俺はハッとし、シスターから離れて音のした祭壇脇の扉に視線を向ける。

 するとそこには、数時間前に扉の先に姿を消したあの3人の姿があった。


「お待たせ、南くん。ごめんね〜こんな時間掛けちゃって」


 テヘッと、ほんの少しだけ反省の色がありますよ風の雰囲気を出しながら空っぽな謝罪を口にする冴島さん。

 その傍では、真矢さんが俺に向けて頭を深々と下げている。

 ……真矢さんはともかくとして、冴島さんに関してはほとんど反省の念というものが無いらしい。


「ごめんねって……あんな長時間待たせておいてそれだけかよ」


「残念。それだけです。一般人の君がいる前で魔術の話なんてできるわけないでしょう? それに……これ以上の釈明が欲しいなら、それなりの苦労があってしかるべき、ね。ほら、口元にヨダレの痕、付いてるわよ?」


「ッ?!」


 フフッと微笑みながら、冴島さんは俺の口元を指刺す。

 俺は言われるとすぐに口元を手で拭い、消せない証拠を隠滅する。


 そんな俺達を尻目に、羽根宮神父は俺のすぐ傍にいたシスターに声を掛けた。


「シスターアリシエラ。ここにおられたのですね」


「当然だ。協会から派遣された身としては、ここが私の拠点。何もなかったらここに帰ってくるさ」


 アリシエラ。そう呼ばれたシスターは、やれやれと当然のように神父の声に答える。

 その反応を見て、神父は満足そうに目を細めた。


 彼らの会話を耳にした冴島さんは、視線を俺からシスターへと移し、そして不審そうにそのまま神父へと持って行った。


「シスター、それに協会......もしかして彼女です? 協会の人間って」


 鋭くも冷たい冴島さんの目。殺意は無いが、明らかな敵視。邪魔者を見る目だ。

 神父はそれを前にしてなお、絶えることない微笑みを溢す。

 そして、彼は言う。


「はい、その通りです。彼女こそが協会からの使者。名をシスターアリシエラ。海外から遠路遥々、この緑崎の地に昨日ほど到着しました」


「そんなわけだ。以後お見知りおきを、冴島 美恵子、南 弘一、それから......ファミリーネームの分からない真矢」


 ドスの効いた高圧的で見下すような声でよろしくと口にするアリシエラさん。

 その目に興味という感情は無い。あるのは無関心の色だけ。

 故に、そのよろしくの言葉は形だけ。徹底的に赤の他人を貫くといった雰囲気である。


「–––––––」


 対して、冴島さんはゴミを見るような目で反撃をする。

 重なり合う2人の死線。バチバチと火花が散るようなものではないが、明らかな敵対の壁。

 一触即発の空気。

 何が起こってもおかしくはない異常な感覚。

 肌がチクリとする謎の悪寒。

 間違いない。断言できる。会話がなくてもこれは分かる。

 この2人の相性は、最悪だ。


「はい、やめなさい」


 そんな空気に割り込む神父の声。

 彼は2人のぶつかり合う視線先に立ちはだかり、遮ることで、礼拝堂内に平和を取り戻した。

 静まる緊張と空気。まさにナイスフォローである。


「神父、どういうことです? なんで魔術協会、しかもその戦闘員がこの町に派遣されてるんです? 協会側としては、不干渉を貫いていたでしょ? それなのに」


「状況が変わったんです。先日の繁華街での騒動がきっかけで、私も魔術協会もこのことを静観することができなくなった。つまり–––––––」


 神父は一度瞳を閉じ、微笑んでいた笑みを消す。

 そして、言った。


「–––––––魔術協会は今後、この件への積極的な干渉を始める、ということです」

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