第15話 夜の狩り
「イヤァァァァ! 誰かぁぁぁぁぁ!」
夜の路地裏に響く女の叫び声。
悲鳴はこだまし、悲しくも夜の闇に溶ける。
彼女は恐怖の感情を顔にベッタリと貼り付け、路地裏を走っていた。暗い暗い路地裏を泣きながら、たったの1人で、必死に。
「お願ぁい! 誰でもいいがらぁ! 誰がぁ! だずけでぇぇぇ!」
転びかけながらも体勢を立て直し、疲れなど考えずに無我夢中で走る女。
その背後から迫り来るは赤い化け物の群れ。計3匹で成り立つその群れは、一心不乱に女の背中を四つん這いで追っていた。
“グガガガガガガガガ”
速さは化け物達が圧倒的であり、彼女の背中に追い付くのも時間の問題であった。
人間と化け物。知能を除いた力の差では化け物が圧倒的に上である。
その差を埋めるには、何かしらの方法で人間をやめるか、超能力を使うか、魔術を使うか……主にこの中のどれかしかないのだ。
……
私は暗視と拡大の魔術を瞳にかけ、建物の屋上からその光景を見下ろしていた。
餌に釣られた獲物が必死に走るその様は、私から見れば無様でしかなかった。
「……」
ヒューヒュー、と。風が吹き、赤い髪がたなびく。冷たい風は芯に響き、私の身を凍させる。
しかし寒さはあるものの、両手足にはそんな感覚が無い為、さほどの問題ではない。寒さで思考がやられていないだけまだマシだ。
叫びながら必死になって路地裏を逃げ惑う女。
–––––––だがやがて、眺めていた追いかけっこは終焉を時を迎える。
化け物達はその疾風の如き速さで逃げる獲物に追いつき、内1体が女の肩に噛み付いた。
「イヤッ!」
プシャッと噴射する女の血液。
流れ、そして弾ける女の涙。
痛みと恐怖を訴える女の声。
彼女はそのまま化け物に背中から押し倒された。
前から倒れる女の細い体。
その体を手足で地面に押さえつけ、荒い息使いで眺める化け物達。
–––––––捕食の始まりである。
「イヤやめてかまないで、やめてそれいじょうはやめ–––––––」
女は助けを口にした。
しかし悲しいことに、人の言葉は化け物には届かない。この状況では何もかもが無意味なのである。
そして、3体の化け物は女の体を食べ始めた。
グチャグチャ、ブチブチと響く肉の音。
痛みと恐怖で失禁し、泣き叫ぶ女の声。
目の前の光景に笑いだす赤ん坊。
その光景は混沌としており、まさに地獄のようなものであった。
私はその光景を未だに眺める。
何もすることなく、感情も表情も変えず、ただただ眺め続ける。
助けることは可能だった。追いかける奴らの前に立ちはだかり、倒すこともできた。そうすれば、彼女は命を落とさずに済んだ。
–––––––だが、私はその行動を拒んだ。そんなことをしたら勿体ないにも程があるからだ。
奴らを殺るには餌に喰らい付き、飲み込んだ瞬間だ。その瞬間こそが絶好のチャンスなのである。
つまりこれは被弾するリスクや、体力の消費を押さえられ、尚且つ不意打ち故に確実に奴らを仕留められる一番の方法なのだ。
加えてこれなら魔術の存在も知られない、ノーリスクハイリターンなのだ。
この状況を逃してどうする⁈
「……そろそろかな」
今、化け物達は食事に夢中だ。
周りから増援が来る気配は無し。
つまり、ここには奴らと私だけ。
……舞台は整った。
「–––––––!」
ダッと駆け出す。
屋上の端にある細い縁をタッタッタっと走り、標的の頭上へと移動する。
そして、下を見下ろして落下地点に問題がないかを確認する。
–––––––風が止む。隠れていた月が観客ヅラをして顔を出す。
「–––––––ここ!」
そして、地面の無い世界へと身を投げ出した。
空気の壁が体全体にぶつかる。
ジャケットがたなびいて下のシャツの中に風が入り込む。
……めっちゃ冷たい。だがそれも一瞬のこと。この程度、私なら我慢できる。
標的達は未だに気づくことなく肉を喰っている。
人間だったただの肉細工は、皮の無くなった顔面をこちらへと向け、光の無くなった目玉を晒していた。
「–––––––」
落下はまだ続いている。
だがあと1秒もせずに地面に辿り着くだろう。
私はその間に腰から刀身を抜刀し、体勢を縦へと調節して脚を下へと向ける。
まだ奴らは気づかない。
肉以外のものはもう眼中に無い。
–––––––殺れる。
柄を両手で掴み、切先は下へ。
狙うはガラ空きの赤ん坊の脳天。あれさえ仕留めれば、奴らはもう動かない。
地面との距離が縮まっていく。
3メートル……2メートル……1メートル–––––––
–––––––そして着地。同時に刺殺。
下へ向けられた切先は、赤ん坊の脳天に突き刺さり、絶命させる。
噴き出る血飛沫。
活動を停止する女体。
膝を曲げ、その側に着地する私。
頭部から滑るように抜ける刀身。
他の2体はその出来事を前にして一瞬だけ固まる。獣の如き知能ゆえに、状況の理解には時間が掛かるのだ。
「–––––––フンッ」
間髪入れずに刀で横へ一線。
半円を描く刀身は、すぐ側にいた赤ん坊ごと女体の胴体を横に二分する。
プシャリと弾ける血が顔へと飛んでくるが、私は避けることなくそれを浴びる。
髪色のように真っ赤に染まる顔面。だが、目に血が入ったとしてもチャンスと敵を流すわけにはいかない。
血でしみる目を無理矢理開き、赤く染まる世界を凝視する。
その先にいるのは殺意を向けてくる化け物。そして、ニタニタと笑う赤ん坊。
私は敵が動き出す前に神速の速さで敵に切先を向け、そのまま胴体に突き刺した。
"ギャアアアア"
痛みのあまり叫び出す化け物。
地面に体を擦り付け、醜くもがく化け物。
その姿はとても、いや、凄まじいほどに醜い。
私は刀身を胴体に刺したまま手を離し、空になった手を後尻に引っ付く赤ん坊の首に伸ばす。そしてガシッと掴む。
笑い声が止まり、カハカハと咳き込む赤ん坊。空気が吸えないが為に、赤い顔をさらに赤くする。
「クッ……!」
私はそのまま手に力を込め、強く握り締める。
メリメリ、メリメリと、骨にヒビが入る音が聴こえる。
ここでじっくり苦しめてもいいが、それで私の気が治ることはない。なので、思いっきり、潰した。
グシャリ、バキリ、と。砕けて割れて弾けて潰れる音が響いた。
「……」
化け物共を抹殺した私は、顔に付いた血をハンカチで拭った。
目はまだ少し痛いが、いずれ慣れるし気にならないだろう。気にしない気にしない。
だが–––––––
「……疲れた」
吐露する心情。疲れの暴露。
夕方頃からずっと動き続けていたので、肉体、並びに精神的に限界を迎えようとしていた。
このままではまずい。動きに支障が出るのは私にとって最悪だ。この後もまだ動くというのにだ。
なので……私は一度、親に甘えることにした。
懐から形見の紅いペンダントを取り出す。
これは、先週に南くんが拾ってくれた私の命である。
紅い輝きは本物の宝石であり、当然高価なものではあるのだが、私にとっては家族のカケラ、と言っても過言ではない。
「はぁ……」
私はそのペンダントを頬に擦り付ける。
スリスリスリスリと、何度も何度も、大事に大事に。
ひんやりとしていたペンダントは、私の体温で温もりを得ていく。まさに、人の熱の再現である。
「お父さん……お母さん……私、頑張ってるよね?」
囁くように口にする言葉。呟きではなく、語りかけだ。
その相手は宝石……いや、亡き父と母である。
「今日、何人殺したと思う? ……21だよ、21。沢山殺したんだー。……ねぇ、褒めて。褒めて褒めて」
柔らかく優しい声を発しながら、父と母に笑顔を見せる。
殺したことを褒めてもらえるように。
頑張ったことを褒めてもらえるように。
昔のように、褒めてもらえるように。
……
当然、声なんて返ってこない。
父と母は死んだ。その事実は変わらないのだから。
分かってる……そんなことは自分でも分かってる。
でも……こうでもしていなきゃ、私は……狂ってしまうのだ。
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