第14話 屋敷での生活

「お帰りなさいませ。南様」


 冴島さんと別れ、そのまま屋敷へ帰ってロビーの扉を開けると、そこでは真矢さんが待ってましたと言わんばかりに丁寧に俺を出迎えてくれた。

 頭を下げて帰りを讃える彼女の姿。そこには無駄や未熟さなど一切無く、あるのは上品な美しさであった。


 その姿に一瞬だけたじろぐ俺だったが、すぐに気持ちを整える。


「あ……はい。今、帰りました。わざわざありがとうございます、真矢さん」


「お言葉でありますが、これはメイドとして当然のことです。わざわざやっている、のではありません」


 頭を上げる真矢さん。

 その視線は冷たく、表情はまさに鉄の仮面。彼女の感情を読み取ることは至難の業だが、その丁寧な言動からは多少ではあるが察しがつく。

 ……どうやら、気に障ってしまったらしい。


「それは……そうですね。確かに、これだと貴方を侮辱しているようなものだ。すみません」


 謝罪する。

 頭を下げることはしない。またそれは、彼女への侮辱に繋がるからだ。

 真矢さんは俺からの謝罪を聞くと瞳を閉じる。


「いえ、謝るようなことではありません。これは南様と私自身の認識の違いが招いたことです。どうかお気になさらず。……ですが、感謝のお気持ちはお受け取り致します」


 ……気には触ってしまったものの、俺の気持ちは伝わったようだった。冷たいように見えても、その中身は素直であるらしい。

 俺は内心少しホッとする。


「では、お荷物を部屋までお持ちします」


 すると、彼女は俺の側に近づき、肩に担ぐ通学鞄に手を伸ばし出す。


「いやいや、そこまではしなくていいですから。自分の物は責任持って自分で運ぶので」


 俺は首をブンブンと横に振りながら言う。

 だが、彼女は鞄の持ち手から手を離さない。

 あまりに律儀が過ぎる。いや、この律儀さ、忠誠心–––––––これこそがメイドという職業なのか!


「……お荷物をお渡しください」


 彼女の持ち手を握る力が強まる。


「い、いや、そういうわけにもですねぇ。学校から貰ったプリントの束で、今バッグがとてつもない重さになっていてですねぇ」


 だが俺も引くわけにはいかない。何せこの中に詰まっているのは英語の課題プリントの塊だ。故に、今担いでいるだけでも肩と脚に相当な負荷が掛かっている。正直もう降ろしたい。

 けど、相手がメイドだとしても目の前の彼女は女の子だ。こんな重い物を持たせるなんて、できるわけがない。

 意地でも真矢さんに渡すまいと、同じように鞄を支える手に力を込める。


 –––––––その瞬間、ギロリと。殺意に似た彼女の鋭い眼光が俺に直撃した。

 痛みは当然無い。だが、蜂に背中を取られたかのような緊張感。そしてこの視覚から入り込んでくる殺意。


「手を、離して、下さい」


「あ……」


 –––––––流石にビビった。うん、ダメだ……めっちゃ怖い。

 圧に心が負けてしまった俺は鞄を肩から降ろし、彼女に潔く差し出した。

 鞄を受け取った真矢さんは重いであろうそれを両手で持ち「では、参りましょう」と一言。

 俺は子分が主人に追随するような感じで、彼女の背中を追った。


 部屋に到着する俺と真矢さん。

 彼女は部屋に入ると、担いでいた俺の鞄を勉強机にドカッ降ろした。

 重かっただろうな、とは思うものの、彼女の顔色は一切変わっていない。未だに冷たいままだ。


「それでは、私はこれで失礼致します。大浴場の用意は既に済んでおりますので、お好きな時にご入浴ください。お食事は19時を予定しておりますので、時間になりましたら食堂の方へ足をお運びください。最後に、何かありましたら、遠慮なくお声掛けください。それでは、失礼致します」


 腹部の前で綺麗に手を組みながら言うと、彼女は部屋を退出した。


「……」


 しんと静まる部屋の空気。

 俺はふと、部屋内を見渡した。

 見てみると、エアコンは既に電源が付けられており、ちょうど良い温度に調節してあった。

 ベッドに目を向けてみると、朝はぐちゃぐちゃだった毛布やシーツが綺麗に整えられ、共に敷かれていた。

 床には埃など一切落ちておらず、隅々まで掃除がされている。鏡かと疑うくらいピカピカだ。

 これら全て、俺の外出中に真矢さんがしてくれたのだろう。


「凄いなぁ……これがメイドかぁ」


 関心ではなく、驚愕でもなく、どちらかといえば納得であった。メイドという名の通り、完璧な出来前。そして仕事への熱意。上から目線のように聞こえるかもしれないが、これはもう、俺自身彼女を敬っていると言っても過言ではないだろう。

 しかし……


「……庶民な俺は慣れないって、この生活……」


 これまでとは180度違うこの生活、そして感覚。

 庶民、いや、平民の生活をしてきた俺が慣れることができる筈もなかった。






 夜19時。

 入浴を終え、部屋でゆっくりしていた俺は食事の時間に気がつき、急いで食堂へと向かった。

 豪華なシャンデリアに迎えられながら食堂に入ると、既に中で待機していた真矢さんに誘導され、指定された席に着いた。

 指定された席とはいえ、食事をする人間は俺1人。周りを見渡すが、冴島さんの姿は当然無い。

 縦長のテーブルの上には高級そうな洋食の数々が並べられており、とても美味しそうであった。


「それじゃあ、いただきます」


 一言口にし、食事を始める。

 味は……やはり美味しかった。流石の出来である。

 だが感想は言わなかった。言いたいと思ったけれど、場所も場所なので静粛にしなければならないと思ったからだ。故に、黙食である。


「……」


「……」


 食事をしている間の彼女の視線は痛かった。

 俺の背後に立ち、細めた鋭い目を料理の乗せられた食器と俺の背中へと向けている。まるで不愉快極まりないと言わんばかりの表情だ。


 –––––––それもそうだろう。何せ俺はテーブルマナーを知らないのだ。

 親に教わることなども無く、こんな料理を食べることも過去に無かった為、食べる時の動作は当然お粗末な物であった。

 食器をカチャカチャと鳴らし、食べる時も和食の感覚で食べて音を立てる。気をつけながら食べはするものの、どうしてもそこは上手くいかなかった。


「……ご馳走様でした。おいしかったです」


 やがて、俺は言えなかった感想も添えて食事を終えた。

 おいしかった、めちゃくちゃ美味かった……でもすっごい緊張した。そんな食事時であった。


「お褒め頂き、感謝致します。では、食器をお下げ致します」


 背後で待機していた真矢さんは頭を下げて感謝をし、そして一言断りを入れると、食べ終わった食器を側に置いていた配膳台に片付け始めた。

 黙々と作業をする真矢さん

 カシャリと重ねられていく食器達。

 そんな中、俺は口を開いた。


「その……すみません。俺、テーブルマナーとか知らなくて。醜い食べ方をしてしまいました」


 謝罪である。仕方ないことではあっても、気を悪くさせたことに変わりはないのだ。故にここは一言言わねばならない、そう思った。

 真矢さんは食器を片付ける手を止める。そして瞳を閉じた。


「いえ、南様が謝罪するようなことはありません。むしろこれは私の失態です。昨日のように和食を提供するべきでした。南様にとって食べ難いものをお出しした、私に責任があります。申し訳ございません」


 頭を下げだす真矢さん。

 あれ? もしかして、あの目線って俺に向けてじゃなかった? というか、理由が違った?

 ……自身の勘違いに気がつく。


「真矢さん、もしかして、俺を睨んでいたのって……」


「睨んで……? いえ、睨んでなどおりません。自身の失態を戒めていたら、自然とあのような表情になってしまっていただけです。気を悪くさせてしまったのなら、重ねてお詫び申し上げます」


 上げた頭を再び下げる真矢さん。

 よかった……そういうことじゃなかったんだ。


「いやいやいや、ならいいんです。俺の勘違いだったなら、全然。むしろ、料理に気を使わせてしまって申し訳ないです」


 律儀すぎる彼女を抑え、顔を上げさせる。

 でも、勘違いだとしても、ほんと、律儀過ぎるよこの人……!


 彼女のメイドとしての律儀さにある意味驚かされる、そんな夜であった。

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