第10話 彼女は何者なのか
「……ところで、あんたは何者なんだ?」
朝食を終えた俺は早速話に入った。
彼女の後ろに控えている真矢さんの眉がピクリと痙攣する。
先に食べ終え食後の紅茶を口にしていた彼女はピクリと体を震えさせ、「あ」と声を漏らす。
「ああ質問ね。忘れてた」
まるで買い忘れを思い出すかのような軽い反応。だが俺にとっては最重要なことだからどうか忘れないでほしい。
彼女はティーカップを置き、両腕を胸下で組む。
「私が何者か、か……」
「ああ、それだ。そもそも俺はあんたの名前すら知らない。まあ俺も名乗ってないけど」
"あんた"、そして"君"。そういった名も無き名前で昨日から会話してきた。よくあれで話ができたなと今は不思議に思う。
「じゃあ、まずは名前ね。先に君から名乗ってよ。こういうのは質問者が先に名乗るものでしょ?」
妥当である。確かにこの場合は俺からだ。
「……南 弘一」
なんだか気恥ずかしい。
彼女の前で名前を言う。それは俺にとって非常にハードなものであった。
彼女は「ふーん」と鼻を鳴らしながら頷いた。
「南 弘一……じゃあ今後から君のことは南くんって呼ばせてもらうね」
南くん……彼女からの、名前呼び……。
俺は一瞬だけ視線を横へと避難させ心を休める。
恐らくこんな俺の行動を彼女は不思議に思っているだろう。いいや、だとしても俺が限界だ。
彼女は待たずに話を進める。
「それじゃあ次は私ね。私の名前は
「冴島、美恵子……」
耳にする彼女の名前。
昨晩、下の名前だけは耳にしたが苗字は今初めて聞いた。
冴島 美恵子、冴島 美恵子、冴島 美恵子……何度も何度も心の中で名前を呟き、脳に焼き付ける。間違えぬように、忘れぬように、何度も何度も繰り返す。
そんなことを思っていると、冴島さんの後ろで立っていた真矢さんが彼女に近づき言う。
「お嬢様。魔術師の開示は危険を伴います。ここは慎重に」
「大丈夫、彼の終わりはどうするか決まってるんから。それに防止措置も用意してある。だから気にすることないわ」
「……かしこまりました」
冴島さんの言葉を渋々了承すると、彼女は一歩後退り元の位置に戻った。表情は一切動かない。まるで鉄の仮面でも付けているようだった。
「魔術師?」
ポツリとその言葉を呟く。
俺は今の会話で出てきた"魔術師"という単語が気になったのだ。
それに対し冴島さんは答えた。
「うん、魔術師。昨日見たでしょ? 私が手から何か出してたの」
言われて昨晩の記憶を掘り出す。
彼女の姿、動作、刀。そして、公園での戦闘の時に手から飛び出た光。
「あの手から出てた光?」
「そ。あんな感じで手から変なの出したり、作りだしたりするのが魔術。科学じゃ説明できない奇跡の再現、その研究をする者達のことを魔術師って言うの」
魔術、それと魔術師。
確かにそれなら昨日の彼女のあの超人じみた動きも多分説明がつくのだろう。
冴島さんは椅子から立ち上がり、テーブルに沿って歩き出す。
「魔術師は基本、魔術という存在を秘匿しなければいけない。もしバレたりしたら適切に対処して一般社会に広がるのを防ぐ。これが魔術世界のルール。だから君は今まで魔術の存在を一切知らなかった。ニュースでも報道されないし、SNSにもネット掲示板上がらないからね」
彼女はテーブルを中心に歩き、俺の座っている所に向かってくる。
「そうだったんだ。魔術……創作物上のみの存在かと思ってたけど、実在したんだ。ん? でも、秘匿だろ? 俺にその話ししちゃってもいいのか? 一般人だよ、俺」
いや、超能力あったりするから一般人かと言われれば微妙だけども。だとしても元から魔術の存在は知らなかったのは本当だ。
俺の言葉を聞き、冴島さんは微笑みだす。そしてこちらへと向かってくる。その笑みは、明らかに悪者の顔であった。
「そう。だからちょっと–––––––」
彼女は俺の後ろに立ち、背中に手をかざす。
「–––––––じっとして」
その瞬間、彼女の手からあの青白い陣が展開される。
宙に描かれる陣のサイズは昨日よりも小さく、ちょうど体の中心部–––––––つまり心臓部に相当する大きさだった。
「ッ⁈ 待っ–––––––」
動き出した時にはもう手遅れだった。
完璧に展開し切った瞬間、心臓を何かに掴まれるような感覚に襲われた。
ギュッと掴まれる心臓。痛みはない。だが良いものではない。むしろ気持ち悪い。
「ウッ⁈」
息が止まる。
背筋が伸びる。
手が震える。
唾液が漏れる。
痛くないのに、苦しくないのに、死の恐怖が俺を追いかけてくる。
いつ殺されるか分からない得体の知れない恐怖。今動いたら、確実に、死ぬ–––––––
時間にして約数十秒。体感は約30分。
心臓にあった感覚は消え去り、死の予感も無くなった。
「はぁ、はぁ、はぁ……一体、何を……」
息を整えながら唾液を拭い、背後にいた冴島さんに問う。
彼女は「はぁ」と溜息を吐きながら言った。
「言ったでしょ? 知られた場合は適切な措置を取って存在が広まるのを防がなきゃいけない。だから、ちょっと呪いをね?」
「は? 呪い?」
「ええ。普通の魔術師なら殺して口封じするところだけど、君は運が良い。私は君に借りがある。昨日までは命を保証するって約束だったけど、その後で結局私の手で殺されるってなると後味悪いし意味ないでしょ? だから私からのありがたくて寛大な措置として、存在をバラさないように簡単な呪い貼らせて貰いました」
腰に手を当て、えへん敬え敬えと言わんばかりのセリフと態度。ありがたいのかありがたくないのか、よく分からないところである。
「呪い……じゃあ、もし俺が魔術の存在をバラそうとしたら? 元よりそのつもりないけど、どうなるんだ?」
そんなことするつもりはないが、効果だけは聞く必要がある。全く知らない謎な状態よりも、少しは情報がある方がまだ気が楽な筈だからだ。
しかし、彼女はさらりと口にすることなくしばらく考えだした。
「う〜ん」
「え? いや、おい」
嫌な予感が走る。
こう、なんだろう。自信だけはあるけど他がダメな感じ。まあ、そんな感じの感覚だ。
「……さあ? よく分からない」
やっぱりね!
「はぁ⁈ いやいやいや、せめてどうなるかくらい」
「し、知らないわよ。だって初めて使う魔術だし、人に向かってするのも初めてだし。まぁ、その……死ぬんじゃない?」
「ざっくりすぎるにも程がある!」
腕を組み顔を背ける冴島さん。
なんだろう。昨日から今に掛けて妄想に下がりすぎたのかな? 知的で余裕があるっていう彼女に対する一方的なイメージが崩れてきた。
冴島さんはコホンと一度咳き込むと、空気を無理矢理落ち着かせた。
「と、とにかく。話の続きね。で? 次に聞きたいのが?」
逸れてきた流れを本来の軌道に戻し、再開する。
次に俺が質問すべき話。ここで困ったことに、質問したいことがありすぎて俺は何から先に聞けばいいのかが分からなくなってきた。
「次に聞きたいこと……あの化け物について」
無難に質問を決める。
あの化け物……つまり、昨晩遭遇した赤い女体とそれに引っ付く赤ん坊のことだ。
理由は分からないけど人を喰らうあの化け物。
あれも一体何なのか。彼女はそれを知っている筈だ。
冴島さんは俺の質問に答える。
「ああ、あいつらね。あいつらはこの町に住み着く魔術師が作り出した化け物。詳しいことは憶測の域を出ないから話せないけど、何かしらの目的でこの町の人を喰ってる。面倒な奴らよ」
「魔術師が作ったって……あの化け物を⁈」
驚きだった。
人を襲って肉を貪る倫理観のカケラも無い化け物。そんな存在を生み出したのが人間で、しかも意図的にさせてるなんて。
その魔術師自体も人かどうか疑ってしまう。
冴島さんは続ける。
「最近ニュースでやってるやつあるでしょ? 連続殺人だったり、行方不明だったりするやつ。あれもあの赤い化け物が起こした事件よ。しかも、報道されてるのは犠牲者の内のほんの一部。実際はもっと犠牲者が出てる筈、見つかってないだけでね」
「そんな……あの事件も化け物、いや、町に住み着いてる魔術師が関与しているなんて……」
衝撃と納得である。
驚きは底をつかないが、魔術という奇跡に結びつけてしまえば割と納得ができる。黒幕である魔術師の行動については全く理解できないが。
「それじゃあ、冴島さんはその魔術師をどうにかする為にここに来たってこと? 昨日の行動的に考えれば、そんなところになるのか?」
というかそれしか考えられない。
彼女は事件を起こしているその魔術師を倒す為にこの町にいて、昨日は調査の最中に俺と会った。そういった流れなのだろう。
「……そんな感じ。その魔術師を殺す為に、私はこの町に来た。そして昨日、偶然に南くんに会った。ただ、それだけ」
この時、俺は彼女の雰囲気の変化を感じ取った。
冷めてるというか、暗いというか。なんだか、さっきとは少し違う気がした。
「うん。まあそんな感じかな? 君が聞きたいであろう話は全部話したと思うけど、まだ何かある?」
だが、彼女の雰囲気はすぐに戻った。
俺は少し考えたが、今すぐに聞かなくてはいけないことは聞き終わった。というか、彼女が流れで全部話してくれた。
「聞くことはもう無い」と首を振って冴島さんに告げると、彼女は「よぅし」と口にした。
「とりあえず話はこれで終わりね。それじゃあ、南くんにはこれから一回自宅に帰ってもらって支度してきてもらうから」
「支度、とは? 何のこと?」
急に言い渡される支度の命令。
一体何をするのか、と思っていると、
「急で悪いけど、今日から君にはこの屋敷に住んでもらうから」
と、当然のように彼女は口にした。
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