第7話 超能力

 目の前では赤い化け物と赤髪の女性による、赤vs赤の殺し合いが繰り広げられていた。

 迫り来る化け物相手に、彼女は斬っては足で踏み潰し、殴り、突き刺し、引き裂き、様々な方法で敵を葬り去っていく。

 彼女の動きはまさに超人。というより人間にできる動きではなかった。

 運動神経も反射神経も、そのどれを取っても人間レベルじゃない。オリンピック選手でもあり得ない動きだ。


「ふぅ……次」


 彼女の表情の冷たさは変わらず。ただ淡々と、まるで機械のように動き続ける。

 それが自身の生き甲斐であるかのように、自分にはそれしかないとでも言うように。


「……」


 俺はその光景をドーム状の遊具の中に隠れながら見ていた。

 手足はまた震えている。寒さもあるが、それだけではない。

 別に今あの場に立っている訳でもないのに、やっぱり俺はビビっている。

 だがさっきとは違い、今は安心感があった。


 それはまさしく、目の前にいる彼女の存在だ。


 名も知らぬ彼女が俺にできたと言った小さな借り。

 その返礼ということで、彼女は俺を奴らから守ってくれると言った。

 言わずもがな、彼女は強い。あの化け物どもを一人で蹴散らせるくらい、凄く強い。

 そんな強くて頼もしい存在が、俺のことを守ってくれる。これほど心強いものはない。


 何よりも。彼女の側に少しはいることができる。それ自体が俺にとってとても嬉しいものであり、恐怖に対する緩和剤でもあった。




 目の前で繰り広げられていた戦闘は、今まさに終わりを迎えようとしていた。

 彼女に襲い掛かっていた5体中、4体が既に生き絶え、残る1体も彼女の細く長い足によって地面に押さえつけられた。

 腹部を思い切り踏みつけられ、身動きが取れなくなる残された化け物。


"ガガガガガガガァ!"


 夜の公園に響く鳴き声。それは自身の苦しみでもあり、彼女に対する怒りでもあるのだろう。

 もはやどちらが獲物でどちらが狩人なのかが分からなかった。彼女の力が圧倒的すぎるのだ。

 そこから彼女は容赦なく刀を縦にビュンッと振り下ろし、化け物の首を掻っ斬る。

 噴水のように噴き出る血液。消え去る異形の断末魔。


「……」


 1人残った彼女の顔はまさに鉄。亡骸を見るその目はまさにゴミを見る時のそれだ。ここまでくると逆に清々しいとまで思えてきた。


「終わったか……良かった」


 俺は安堵の声を漏らす。

 肩から力が抜けていき、「ふぅ」と息を吐きだした。

 ここに隠れていても怖いものは怖かったが、俺はどうにか生きている。彼女のお陰だ。


 公園の真ん中に立つ彼女は戦闘の終了、そして自身の勝利を確信したのか、刀身に付いた血を払い、腰の鞘に納めようとする。


 だがその時、俺は遊具から覗く光景に違和感を覚えた。

 なんだ、この違和感は。心の底から安心しているのに、嫌な予感は収まらない。


「いや、いやいや、そんなこと」


 首を振り。あり得ないと考えを一蹴する。

 だがそれでも、俺の中の何かは言う。

 –––––––まだ、終わっていない。


 その瞬間だった。

 公園を囲うようにポツポツと伸びている細い木々。

 その内の1本。位置的には彼女の真後ろ方向にあった木から、ビュッと1体の化け物が勢いよく飛び出してきた。

 その速度はまさにロケット。地に足を付けることなく、中心にいる彼女へと突撃する。


「ッ⁈」


 高速で迫る気配に気がついた彼女はすぐに振り返ると、腰に納めていた刀身を引き抜こうとする–––––––しかし、間に合わなかった。

 開かれた口に片腕を噛ませ、負傷を防ぐが、その勢いは殺し切れず。彼女は仰向けのまま化け物に押し倒されてしまった。


"グガガガアア!"


「ウッ、グッ–––––––」


 頭上より迫る化け物の白い牙。

 それを硬い左腕と右腕で押さえ、自身が噛まれないようにカバーしている。

 流石の彼女でも、体勢と位置が違えばやはり不利となる。

 しかも、両手が塞がっているので腰の刀も抜くことができない。

 つまり彼女は今、完全に"詰み"の状態である。


 このままいくと、彼女は持久戦によって押し負けて、噛み殺されてしまうかもしれない。醜い化け物に噛まれ、喰われ、引き裂かれ、か弱い悲鳴を上げながら、最後には死ぬ。死んでしまう。

 ……最悪の結末が脳裏に浮かぶ。


「殺される……彼女が……?」


 震えて今にも泣き出しそうな声が喉から漏れた。

 吐き気もする。想像するだけで頭が狂いそうだ。


「そんな、こと……」


 肩と拳に力が入り、全身が沸騰しだす。

 呼吸が完全な乱れだし、血液の流れがイカれ始める。

 彼女が死ぬ。

 彼女が殺される。

 彼女が消える。

 そんな現実が目の前に現れ、脳内を巡っていた思考が鈍り、やがて止まる。


 –––––––その瞬間、俺の体が動き出した。


 遊具の丸い覗き穴を飛び越えて身を晒し、公園の中心に向かって駆け出す。

 冷たい空気が肌を打ち、恐怖で震える体と乱れる呼吸をさらに不安定にさせる。


「はぁ、はぁ、クソッ!」


 汚物のように言葉を吐き出す。

 恐怖なんて今の俺には関係ない。

 自分の身の危険だとか、安全だとか、そんなことどうでもいい。

 ただ……彼女が目の前で死ぬ、殺される、消える。そんな現実が、そんな結末が、俺にはどうしても耐えられない……!

 それだけで俺は動ける! 彼女の為なら、身の安全なんて放り捨てられる!


 恐怖も息も膝の痛みも忘れて俺は走り、やがて公園の中心に辿り着く。

 化け物は彼女を噛み殺そうと頭を押し付け、彼女はそれを両腕で受け止めている。2人ともそれに夢中だ。

 故に今、敵の視界に俺は映っていない。触れなければ気づくこともない。

 やるならここだ。


「……離れろよ」


 右拳を握る。

 –––––––脳裏に浮かぶのは6年前の記憶。あの病室、そしてあの教室で起こった出来事。


「–––––––彼女から」


 拳を下から後ろに引く。

 –––––––イメージし、思い出す。あの感覚を。潰したり、捻じ曲げたりするあの感覚を。


「–––––––お前は!」


 すくい上げるように、拳を振り上げる。

 –––––––そしてリンクする、過去と現在の感覚。振り上げられたアッパーは化け物の顔面にヒットし、グニャリと歪ませる。


「–––––––ッ!」


 瞬間、脳に銃弾を撃ち込まれたかのような感覚に襲われる。

 激痛なんてものじゃない。卵の殻のように真っ二つに割れるほどの痛みだ。

 吐き気も限界に達する。心臓の脈拍が高速で繰り返され、痛む脳に送られる。

 だがそんなのはどうでもいい。こいつだけは–––––––ここで殺る!


 打ち込まれた拳によって歪む化け物の顔面。

 だがそれも一瞬のこと。その顔はやがて。その時間、およそコンマ秒。

 そして殴られた化け物は血を撒き散らしながら少しだけ吹き飛ばされ、地面を転がった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 拳を振り上げたまま、止めていた呼吸を再開する。

 同時並行で脳の痛みの余韻に襲われるが、深呼吸をすることで無理矢理紛らわす。

 だが、そんなことよりも彼女だ。

 俺は振り上げた拳を下ろし、立ち上がる彼女に、


「だ、大丈夫か⁈ 怪我は⁈」


 と、心配の声を上げる。

 彼女は助けられた感謝と助かった安堵で表情を緩めることなどしなかった。

 立ち上がると即座に刀を抜き、地面に倒れる女体に引っ付く赤ん坊の首を刎ねた。

 斬られた頭は公園をコロコロと血を流しながら転がり、そして消滅する。化け物への最後のトドメである。


「ふぅ……」


 ゆっくりと息を吐き、張っていた心境をほぐす赤髪の女性。

 とりあえずの一安心。一時の平和である。


「……」


 彼女は刀を納めると顔をこちらに向け、俺のことをじっと見つめる。異様な何かを見る目である。


「君。今、何した?」


「え……?」


 鋭い眼光が俺を突き刺す。


 俺は視線を逸らし、溶けかかっている女体の頭に目を向ける。

 その顔面は明らかに"殴られた"では説明がつかない形になっていた。

 縦長に丸い形状はへの字に曲がり、殴られた衝撃で目玉がドロリと垂れ出している。

 頬の肉はえぐれており、そこから大量の血が流れ、地面に染み込む。


 彼女は腕を組み、顎に手を当てる。


「魔術じゃないし、。そもそも、腕力による脳筋パンチでもない。明らかに空間に影響を及ぼしていた。そうなると……君って」


 ぶつぶつと呟く彼女。

 俺は「あ、えっと」と、テキトーなことしか声に出せなかった。

 彼女の呟きは絶えない。


「けど、そんなことって一般人でありえるの? 可能性としては天文学的数字分の一。しかもここは島国の日本。そうなると本当に君はその可能性を引いたってことに–––––––あ、まずい」


 その時、彼女は口を動かすのを止め、腹部を片手で押さえだした。

 顔色がだんだん白くなっていき、呼吸も荒くなり、鋭かった目も見開かれる。


「え、急にどうした?」


 俺は急に様子がおかしくなった彼女を心配し、近づこうとする。


「近づかないでっ」


 しかし、そんな俺を彼女は手をかざして止める。

 俺は困惑する。近づくなとはどういうことなのか。だがそうは言うものの、今の声は明らかに必死である。


「近づくなって……どうして!」


「だ、大丈夫だから。ちょっと、あるだけで」


 そう言いながらもピクピクと痙攣しだす彼女の体。離れようと後ずさるものの、既にふらふらだ。

 これはただごとではない。このまま彼女を放っておいていい訳がない。


 その時、公園の前で車のエンジン音が聴こえた。

 俺と彼女はハッとして、公園の出入り口へと顔を向ける。


 そこには、黒い自動車が止まっていた。

 見るからな高そうな自動車であり、一瞬で金持ちの車だと理解できた。


「なんだ、あの車……?」


 ガチャッと運転席のドアが開き、中から運転手が姿を表す。

 遠くてよく確認はできないが、薄らと見えるその姿に俺は目を見開く。


「メイ、ド?」


 なんと、運転手は黒と白の綺麗な服を着込んだ黒髪のメイドであった。

 年齢は俺とほとんど変わらない。いや、恐らくは同い年だ。

 そのメイドは俺達の存在を視認すると、パタパタと小走りでこちらへと向かってくる。

 そして俺と彼女の前に立つと、綺麗で無駄のない動きで一礼した。


「美恵子お嬢様。お迎えに参りました」

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