第5話 夜の斬撃

 俺の目の前に立つ赤髪の女性。

 彼女はチラリと俺のことを一瞥すると、眉間に皺を寄せた。


「なんで、君がここにいるの……⁈」


 月明かりが彼女を照らし、表情を鮮明に映す。

 彼女の顔には明らかな苛立ち、そして、戸惑いがあった。


「あ、いや、俺は……」


 声は未だに出ない。

 恐怖、戸惑い、安堵、喜び、あらゆる感情が混同し、俺はどうすればいいのかが分からなくなる。

 だが、ことの展開は俺を待ってはくれない。

 彼女の刀により首を刎ねられたであろう赤い女体。その尻部分に引っ付いていた赤い赤子が突如動き出し、腰の肉棒を引き抜いて赤髪の女性に飛び掛かる。


「危ない!」


 俺は咄嗟に叫ぶ。

 赤ん坊は赤い歯を見せ、真っ直ぐと、目の前の彼女へと向かっていく。

 だが、心配はいらなかった。俺が叫ぶのとほぼ同時に、彼女は手に持った刀を一線し、赤子の首に刃を通した。

 ヒュン、という音と共に払われる刀身。

 赤子の歯は彼女に届くことなく、首無しのまま地面に落ちる。

 鮮やかな血は滝のように流れ出し、赤ん坊はそのまま絶命した。


 再び訪れる静寂。

 奪われた平和も、この瞬間だけは戻ってくる。


 女体と赤子の肉体は、完全に絶命すると同時にドロドロに溶け出し、やがて完璧に消滅した。


「一体、何なんだよ……ッ⁈ まだ⁈」


 けれど、その静寂もすぐに奪われる。

 素肌が擦れて潰れるような、裸足で走るかのような音が新たに近づいてくる。

 赤髪の女性は、刃に付着した血を払いながら、振り返ることなく俺に言う。


「君、走れるのならさっさと逃げて。邪魔だから」


 彼女はそう言うと、刀を両手で握り、剣先を正面に向け腰を低くする。

 すると、道の先の暗闇から足音と共に先程の赤い化け物と同型の奴らが2体のペアになって急速接近してきた。

 四つん這いになり、血肉を求めて駆ける化け物。さながら、サバンナの獣そのものである。


 彼女は瞳を細くし、精神を研ぎ澄ます。

 そして、バッ–––––––と。

 神速の突進。そこから片手で渾身の突きを繰り出す!

 剣先は狂うことなく化け物の1体へと吸い込まれていき、ザシュリと顔面に突き刺さった。


「–––––––フンッ」


 すぐ様に刀身を引き抜き、間髪入れずに次の動作へ。

 片足を軸に回転し、勢いを付けながら、尻部分に引っ付く赤ん坊を切り裂き、殺す。

 時間にして、たった3秒の出来事である。


 だが、それだけで奴らは止まらない。

 後方に控えていたもう1体が、隙ありと言わんばかりに彼女に飛び掛かった。口をガバリと開け、彼女に噛みつき攻撃をする気のようだ。


「危ない!」


 2度目の叫びが喉から漏れる。逃げ出してる場合ではなかった。

 敵の動きに気付いた彼女は、致命傷を避ける為に盾のように片腕を眼前にかざし、そこに噛みつかせた。


「ッ–––––––⁈」


 彼女の表情が強く歪む。


 瞬間、俺の脳内はこの後の展開を確信した。

 今の突撃による噛みつき–––––––かなりの勢いだった。ただの速さじゃない。今のは完全に、人の域を超えた速度だった。人が真正面から受けて踏ん張れる速度じゃない。

 それに彼女は片腕を噛まれた。

 無論、大きなダメージの筈だ。痛いだろうし、動揺もする。

 つまり、このまま行くと彼女は踏ん張りが効かずに倒れ、地面に伏せられてしまい窮地に立たされてしまう。俗に言う、絶体絶命の状態だ。

 俺の脳内は、そうなってしまう彼女の運命を疑わず、確信する–––––––しかし–––––––


「–––––––え?」


 漏れる腑抜けた声。

 それもその筈。俺の目に映るのは、確信した想定とは180度違う状況だからだ。


 噛みつかれ、突撃を受けた彼女は、倒れることなくその場で立っていた。

 敵との体格差、体重差はほとんど変らないうえに、突撃の際の助走もあった。それなのに、彼女はその場で軽く踏ん張って耐え凌いでいる。

 それに噛みつかれた片腕からは血が流れ出る様子がない。それどころか、化け物の牙すら肌に通していないようだった。


 彼女は「チッ」と舌打ちをすると、腕に引っ付く化け物を腕力のみで持ち上げ、そのまま前へと蹴り飛ばした。

 そして、刀を両手で持ち、片足で地を蹴り加速–––––––急接近し、宙を舞う化け物の胴体を上から下にかけて一刀両断する。

 赤い赤ん坊は女体と共に真っ二つにされ、地面に転がると同時に溶けて消滅した。


「ふぅ……」


 敵が消えたのを確認し、息を吐く赤髪の女性。

 刀身に付いた血を振り払い、得物を逆手に持ち変える。

 その瞳には熱などなく、ただただ冷たさだけが感じられた。


「–––––––」


 そんな光景を目にし、俺は息が止まった。

 一体……何なんだ?

 何が起こっているんだ?

 奴らは何なんだ?

 彼女は何なんだ?

 脳内を駆け巡る疑問。

 無数の問いが、脳内を混乱させる。


「君、逃げろって言ったの聞こえなかった?」


「あ、いや、聞こえて、ました……でも、脚がよく動かなくて」


 震える声で、少々苛立っている彼女に答える。

 彼女は呆れるように溜息を吐き、眉間を指で押さえる。


「ビビリ……いや、あんな状況目の前にしたら当然か。まあでも、逃げろっていうのはおかしいか。手間が省けるんだし」


 手間? 何のことだ? 話の流れ的に、俺のことなのだろうけど。何か、俺に用でもあるのだろうか?

 そんなことを思っていると、突如として彼女は何かに気が付いたかのように振り返った。


「もしかして、まだいる? こんなに密集しているなんて、珍しい」


 刀を持ち直し、再び彼女は俺に背を向けて構え出す。


 –––––––まさか、まだ化け物がいるのか?


 彼女の仕草からそう悟った俺は、正面先の暗闇の中へ目を凝らす。

 暗闇の中では、まだ何かがモゾモゾと動いていた。

 月明かりの助けもあってか、目が慣れるスピードも早かった。

 ……そして、暗闇の中が完全に鮮明になる。


 –––––––そこにいたのは、10体もの化け物達の群れであった。


「な–––––––」


「嘘、だろ……⁈」


 奴らは列になって群れをなし、蜘蛛のように両手足を動かし、もの凄い速度で接近してきていた。

 化け物の群れを認識した彼女は叫ぶ。


「冗談じゃない! 流石に多すぎる!」


 そう言うと、彼女は敵の群れに背を向け、その場から逃げ出した。


「は⁈」


 驚きの行動をする赤髪の女性。

 俺はそんな彼女の後ろに続いて、同じように走り出した。


「待って、待って待って!」


 ようやく動き出す己の脚。先程まで硬直していたのがまるで嘘のように全力で回転している。

 しかし、彼女は俺なんかよりも走るのが速く、どんどんと距離を取られていく。


「付いてこないで!」


「無理だって無理だって! 置いていかないでくれよ!」


 背後から化け物達が迫ってきている。

 彼女に引き剥がされないよう、俺は限界突破レベルに速度を上げ、彼女に追従していく。

 まさに、自己ベストを更新する勢いであった。

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