第4話 死との遭遇

 繁華街も事件の影響があってか、人が前よりも多くないように感じた。

 だが決して少なくはない。居酒屋とかは普通に開いてるし、人もいる。ゲーセンとかにも学生とかカップルはいるし、人も道を歩いている。

 それでも、過去の賑わいまではいかない。


「はぁ、はぁ、はぁ–––––––」


 そんな繁華街の中を、俺は走る。

 落としたペンダントを届ける為に、彼女にまた会う為に。全力疾走とはいかないが、それでも急いでいた。

 幸いにも彼女は目立つ。女性にしては高身長で、尚且つあの赤い髪だ。故に、遠くからでも彼女がどうにか視認できる。


 人混みに紛れて、彼女は歩いていた。

 どこへ向かっているかは分からないが、周りをキョロキョロと見渡し、何かを確認している。

 そして何かを見つけたのか、彼女は急に道を右に曲がり、路地裏の道へと入り込んだ。

 何故そこへ曲がったのか、一体どこが目的地なのか。気になるところではあるが、今はどうでもいい。


 俺は彼女が曲がった位置に辿り着く。

 彼女が向かったのは、右に続く薄暗くて狭くて小汚い路地裏。明かりはほとんど取り付けられておらず、ひと1人歩いていない。


「あれ? あの人どこに行った?」


 その道には、先程歩いていたら赤髪の女性の背中も見えない。分岐路もありそうだから、どこかで曲がったのだろうか。

 だがとりあえずは、俺はその道を進んでみることにした。






「……」


 歩き始めて数分。分岐路をテキトーに曲がっていると、辺りは一気に暗闇へと包み込まれた。

 物音などは特に無い。あるのはたまに聞こえる猫の鳴き声くらい。それ以外は何も無い。


「ほんとにこっち来たのか?」


 不安がよぎる。彼女が路地裏を歩いていたのは確かだが、分岐路に関しては全て感だ。だからこの道を彼女が歩いていたのかは分からない。


「ダメだ……どんどん離れてる気がするし、道も間違ってる気がする。どうするか……」


 その場に立ち止まり、少し悩む。

 幸いにも、帰路は頭の中に入っている。完全に迷う前にさっさと引き返して、交番に届けてしまおうか。

 時間も7時を回っている。明日も早いので、もう諦めてさっさと帰って休んだ方がいいのかもしれない。

 それに最近話題の事件もある。これは命には変えられない問題だ。正直、かなり悔しいが。


 –––––––悩んだ果てに、俺はやがて答えを出す。


「……ダメだな。完全に見失った。これはもう交番に届けよう」


 彼女にまた会いたい、といった気持ちを抑え、自身の身を案じて引き返そうと後ろを振り返った。

 非常に心惜しいが、そもそも縁なんて無いんだ。今度こそ本当に忘れよう。そして帰ろう–––––––



 グチュリ グチュリ



「–––––––うん?」


 静寂の中。

 来た道を引き返そうとした瞬間。

 耳に不思議な音が入り込んできた。

 俺は動きを止め、響く音に耳を澄ませる。


 グチュリ グチュリ

 グチュリ グチュリ

 グチュリ グチュリ


 生々しく、汚らしい音。

 肉でも咀嚼するような音

 小さいが、そんな音だ。


「何だ、この音……近いな」


 その音は、先程まで向かっていた道の奥で聴こえる。少し歩けばすぐの距離だ。


 –––––––引き返せ


 脳裏に自身の声が響く。

 何故だか分からないが、本能がそう叫んでいる。


 だが、恐怖とは不思議なものだ。怖いもの見たさ、と言うべきものか。体が無意識に音のする方へと、ゆっくりと歩き出した。


 –––––––引き返せ


 脳裏で未だに叫ぶ。それでも足は止まらない。


 グチュリ グチュリ


 まだ音は続いている。謎の恐怖は心を締め付ける。

 そして、心と体が矛盾するように同期していく。


 やがて、暗闇の中で影が見えだす。

 音の源はここからであり、グチュリと未だに鳴っている。


 目に見えるシルエットとしては、四つん這いの何かが、倒れている何かをムシャムシャと食べているようだった。

 食事をしているのは、犬だろうか? 違う。犬にしては大きすぎる。

 それとも、たぬきだろうか? 違う。だとしても大きすぎる。

 その四つん這いの何かの大きさは、だった。

 では、食べられているのは何なのか。影の形と大きさからすれば、それはまさしく–––––––だった。


「–––––––」


 気温がだんだんと寒くなる。

 空気は悪く、血生臭い。

 走ってもいないのに、呼吸が荒くなる。


 考えたくない。

 そんなこと、考えたくない。

 でも、考えざるを得ない。

 嫌な考えが脳を支配する。もうそれしか考えられない。


 雲が晴れ、月が顔を出す。

 月明かりが大地を照らし、明度を上げていく。

 そして、何かを食べていた何かが、月明かりによって姿を現した。


「あ–––––––」


 まず、食べられていたのは人間だった。

 腹を噛みつかれ、内臓をぶちまけられ、白目をむいて絶命していた。


 次に、食べていた存在。

 それは服を着ていなく、全裸の状態だった。しかし、剥き出された女体の体色は人間の肌色ではなく、全身が赤く晴れていた。

 頭からは黒く長い髪が伸びていて、四つん這いをしているので地面のコンクリートに散らばっている。

 目は白目を向いており、獣のような息遣いをしながら血塗られた歯を剥き出している。

 そして、後尻には同じく赤い体をした赤ん坊のようなものが股間部を擦り付け、両腕でガッチリとしがみついていた。


 赤い赤ん坊は、赤い瞳を俺に向け「ニヒヒ」とニヤつく。

 それと同時に、赤い女体も顔をこちらはと向ける。


 まさしく異形。人ではない化け物の姿。

 その姿を前にして、俺は後ずさる。


「あ……あぁ……」


 声が出ない。叫び方が分からない。

 足がよく動かない。立っているだけで精一杯だ。

 呼吸のペースが完全に乱れる。息はもうできそうにない。


 "アアァ"


 と、異形は息を吐き、ゆっくりと近づいてくる。


 本能が叫ぶ–––––––逃げろ!

 だが、俺は目の前の死に対して抵抗しようとしなかった。いや–––––––できなかった。

 恐怖のあまり体が動かないのだ。


 死が近づいてくる。

 次の獲物を目にし、喜んでいるのだ。また殺せる、また食べられる、また飢えを満たせる、と。

 赤い赤ん坊は笑っている。何のために尻部分に張り付いているのか、そこ腰を動かしているのか、目的は分からないが奴も考えは同じだ。


 つまり、もう俺は蜘蛛の巣のように張り巡らされた死の領域に捕らえられているのだ。


「クッ–––––––」


 歩みを止めない化け物。

 俺は目を思い切り瞑り、死を覚悟する。


 –––––––その時だった。

 目を瞑る俺の前で、ザシュッという音と共に何か液体が吹き出る音がした。

 俺自身に痛みがない。つまりこの音は俺の体から発せられた音ではないということだ。


「ッ⁈」


 咄嗟に目を開ける。

 そして一瞬のうちに展開されていた状況に目を見開いた。


 –––––––そこでは、首が無くなった赤い化け物の目の前で、赤い長髪の女性が刀を手に持ち佇んでいたのだった……

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