第1話 すれ違い

 朝。

 俺は1人の女性とすれ違った。


 ふわりとした朝の光。

 ヒヤリとした冬の空気。

 空に響くスズメの囀り。

 そんな冬の世界で、俺は赤く長い髪を持つ女性とすれ違った。

 すれ違いなんて、生きていれば何度でもある。例えば駅のホーム。例えば商店街。例えば、こういったただの歩道。特別なものなんてない。


 ただ……俺はそのすれ違った女性があまりにも綺麗だと感じ、一瞬で目を奪われた。

 流れていた時間が、その瞬間だけスローモーションとなり、短くも長い時間で俺の心を射止めたのだ。


 彼女は当然、俺のことを気に止めることなんてしない。何事もない様子で背後に続く道を歩いていく。

 その後ろ姿も美しく思い、俺は立ち止まって見えなくなるまで見届けた。

 側から見れば不審者。人に話せば気色が悪いとも感じられるかもしれない。

 でも、ハッキリと言える。俺はあの人を–––––––あの赤い髪を持つ女性のことを、とても、美しいと感じた、と。












「くん……いち、くん……弘一くん、大丈夫?」


「–––––––え?」


 そんな腑抜けた声が漏れた。


 時刻は真昼時。

 緑崎高校2年A組の教室は、会話という名の雑音に支配されていた。

 教室内では男と女が勢力ごとに分かれており、それぞれ別ジャンルの話をして各自で盛り上がっている。

 そんな雑音の中、俺、みなみ 弘一こういちは今朝の小さな出来事を思い出し、ボーッと窓先の青空を眺めていた。昼休みに入ったというのに机に肘を突き、窓際の席で飲まず食わずのままただボーッとしていた。

 そんな俺を彼女、古菅ふるすが 美代みよは心配し、わざわざ声を掛けに来てくれたようだ。


 古菅はこのクラスで唯一俺に口を聞いてくれる女子生徒だ。

 6年前–––––––つまり俺が11歳の頃、彼女が教室で男子数人にいじめられていたところを助けた時から、何故か子犬のように懐かれている。

 彼女を助けることと引き換えに、俺は化け物のレッテルを貼られ、他の人との関係は泡のように消え去ったが、別に後悔はしていない。彼女を助けたことは今でも正しいと思っている。

 そんな訳で、つまり彼女は俺の唯一の友人、ということである。


 あっけに取られたような反応をした俺は、遥か彼方で彷徨っていた意識をふっと吸い戻す。


「珍しいね。弘一くんがそんな風にしてるなんて」


 椅子に座る俺の横に立ち、彼女は腰を少し曲げて心配そうな表情で軽く顔を覗き込んでくる。肩まで伸びた緑色の髪が揺れ、甘い香りが鼻に入り込んでくる。

 俺はそんな彼女から顔を引き、言う。


「……いいだろ、別に。ちょっと最近寝不足気味なんだよ、テストとかあったからさ」


「だったら目でも瞑るものじゃないかな?」


「む……」


 苦し紛れの返答は、あえなく撃沈する。


「ほら、言葉が詰まった」


「……ほっとけ」


 俺は逃げるように言葉を投げると、横にいる彼女から視線を逸らす。


 周りの生徒達は俺に目線どころか意識すら向けようとしない。いじめられている訳ではないが、避けられているのは事実。そんな日常には慣れているので俺も特に何も思わない。

 だがそれでも、ずっと気になっていることはある。


「なあ、古菅」


「なぁに?」


 純粋で綺麗な高い声が耳に届く。


「前々から思ってたことなんだけどさ、古菅って、いつも俺なんかに絡んでくれてるだろう? けど、わざわざ俺なんかに構う必要なんて無い。いや、勘違いしないでくれ。迷惑とかじゃないし、むしろ嬉しい。……でも、古菅だって人付き合いとかある訳だろ? だから、俺1人との関わりよりも他の人ともっと関わった方が有意義じゃないかって。こんな"化け物"と話すよりもさ」


 "化け物"と。俺が自身をそう表現すると、古菅の眉がピクリと一瞬だけ動く。


「私は好きで弘一くんとお話して、ご飯食べて、一緒に帰ったりしてるんだよ? 他の人との関係よりも、私はこっちを好きで優先してる。だから不満なんて何もないよ」


「けど、俺と関わってて迷惑じゃないか? それでもし、俺の存在が古菅にとっての障害なら–––––––」


 ネガティブな言葉を口にする俺。

 それを聞いた古菅は一瞬怒りそうな雰囲気を出したが、すぐに柔らかい表情へと顔を変えた。

 そして、俺の座る机の前に立つ。


「迷惑なんかじゃないよ。助けて貰った時なんて転校してきたばっかりだったから友達とかいなかったし、そもそもそれでいじめられてたんだし……だから、私は感謝してるんだよ。それに、弘一くんと一緒にいると私すっごく楽しいし」


 優しく包み込んでくるような言葉を聞き、俺は異論があるものの内心ホッとした。

 なので、言おうとしていた言葉を飲み込み、彼女の意見を尊重することにした。


「……ならいいんだ。悪いな、急にこんなこと言って」


「ううん、不安とか疑問を解消するのはいいことだよ。だから全然気にしてない」


 彼女は首を横に振る。

 心の広さは人並み以上。それが彼女の良いところであり、危ういところでもある。俺は何度もその心に甘えてきた。


 そんなことを話していると「ぐぅ〜」と、空腹を訴える音が響いてきた。

 考えごとをしていたので俺自身はあまり空腹というものを感じていなかった。

 故にこの音は俺のものではなく、目の前で急に赤面しだした古菅のものであるというのは容易に察することができた。


「……俺も大概だけど、古菅も飯食ってないのか」


「だ、だって、弘一くんが心配だったし、いつも一緒に食べてたからぁ……」


 恥ずかしそうに下を向く古菅。何やってるんだ、と言ってやった。

 けどまあ、俺が心配掛けたことには変わりない。だからここは一つ、少し太っ腹になろう。


「分かった。じゃあ食堂に行こう。飯奢るよ」


 そう言いながら長らく座っていた席を立つ。

 古菅は目を丸くし、「え?」と声を漏らす。まるでさっきの俺のようだ。


「そ、そんなの悪いよっ」


 古菅は両手の平を前に突き出してパタパタと振り、困った顔をする。


「どうせ今日も食堂のつもりだったんだろ? 心配させた償いだ。日替わり定食くらい奢らせてくれ。そうしなきゃ気が済まない」


 そう言っても、彼女は「別にいいよ」と譲らない。

 だがやがて、古菅は俺のしつこい頼みの前に折れ、突き出した両手を下ろした。


「本当に、いいの?」


 恐る恐る、弱々しい再確認。

 俺は頷く。


「気にすることなんかないさ。俺ばかりが甘え続けても悪いしな。こういう時くらい甘えられた方が俺にとっても気分が良い」


 俺の言葉に困惑の表情を浮かべていた古菅の顔は段々と溶けていき、やがて優しい笑みへと戻った。

 そして、耳元の髪を指で払いながら「じゃあ、甘えさせて貰おうかな」と口にした。


「よし、なら早く行こう。時間も時間だから席が空いてるか分かんないけど、さっさと食って戻ってこよう」


 俺はそう言い、古菅と一緒に教室を出て1階にある食堂に向かった。


 その道中、俺の視界に廊下に貼られた掲示板が目に入った。

 この掲示板は近隣で起こった身近なニュースなどを張り出すものであり、生徒達が登校する際などに目にしているものだ。

 そこに貼られているものは基本、ボランティアの募集や、生徒会の活動報告、祭りやコンサートなどといった平和な情報であり、マイナスなことについてはほとんど張り出されることはない。


 –––––––しかし、ここ最近は違った。

 掲示板には以前まで貼られていた沢山の平和な情報はほとんどなく、たった2枚の極めて不穏な情報だけが貼られていた。


 ……それは「緑崎市内連続猟奇殺人事件」、「緑崎市内連続行方不明事件」といったものである。

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