第2話 などと犯人は供述しており(1)

 スローライフという幻想の崩壊と共に我が家まで崩壊した。

 だがそんなことはどうでもいい。

 今気にすべきは、これからどうするか、それだけなのだ。

「ふーむ、今後の方針は悠々自適な生活の実現だな……」

 俺は家があった場所──すり鉢状にえぐれた爆心地の中心に座り込んで考える。

 つい先ほどまでの自分であれば『それがスローライフなのでは?』などと、とぼけた疑問を持つところだろうが、スローライフと悠々自適は別物、今ならばそれがわかる。

 スローライフとはあくまで生活様式。

 修行に例えるなら苦行だろう。

 苦行とは肉体を痛めつけることで精神を高めようとする行為であるが、『悟るための苦行』はやがて『苦行によって悟れる』という手段の目的化を引き起こす。ゆえにしゃには『無駄』と切り捨てられた愚かな試みである。

 そう、様式や形式はそれに『頼る』という堕落を生むのだ。

 対し、悠々自適とは『世間など気にせず自分の好きなように心安らかに暮らすこと』である。大げさに言えば魂の在り方であり、これはいかなる環境だろうが、どんな生活を送ろうが関係ない。

 要は自分が満足であればそれでいいということ。

 こう聞くと悠々自適は実に楽そうに思えるが、その『満足』を得るための様式や形式などは存在しないため、己で探し求め、歩み続ける覚悟と努力が必要だ。もし『ほどほど』で自分をし、そこで満足してしまっては永遠に辿たどり着けない。ある意味、それは悟りそのものであろう。

 俺はようやく気づいた。

 本当に求めていたものは、悠々自適な生活だったのだ。

 まったく、気づくまでにたいへんな回り道をすることになってしまったが、幸い、まだ手遅れではない。

 この森で過ごした二年は、自分が本当に望んでいたものへと至るための過程であったと前向きに考え、これからは悠々自適な生活を実現するために行動すべきだと自分を奮い立たせる。

「少なくとも、このまま森でサバイバルしてるんじゃダメだな」

 さしあたり、生活環境が整っている場所へ移動すべきだろう。こんな科学未発達の田舎世界であっても、大都市ともなればそれなりに発展しているはずだ。

「と、なると……いるな、金が」

 都市で暮らすとなれば、当然ながら必要になるもの。

 正直、働きたくはないが、ここは悠々自適を実現するためぐっと我慢して、なんとか一生遊んで暮らせるだけの大金を手に入れたい。

「どうやって稼ぐかは……まあ、行ってから考えるか」

 そもそも金そのものが存在しない森の中であれこれ考えても仕方ない。

 まずは金があるところへ移動しなければ、いくら望んだところで手に入れることなどできないのだ。

 まあシルにおねだりすれば恵んでくれるだろうし、今となっては自分で作り出すことも可能なのだが……そういうズルはあまり気乗りしないので、本当に切羽詰まった状況に陥ったら、ということにする。

「よし。んじゃ、さっそく出発だ」

 思い立ったが吉日。善は急げ。

 着の身着のまま、すみやかに移動を開始する。

 主に食料など、必要なものは『猫袋』──苦労して実現した魔法『蒼ざめた猫の存在理由フォーディメンションポケット』──に収納してあるので荷造りの必要はなかった。

 まあ他は全部吹っ飛んだので荷造りも何もないのだが……。

「まずは森を出て、とりあえず王都を目指すか」

 シルの話によると、この森は険しいアロンダール山脈のふもとに広がる大きな森で、名前はそのままアロンダール大森林というらしい。

 この森を出ると、そこはユーゼリア王国という小国の領土。

 昔は大国の一部──ユーゼリア辺境伯領だったらしいが、治世が乱れ各地で分裂が起きた際に独立したとのこと。

 これから俺が目指すのは、そんな小国の首都ウィンディアだ。


        ***


 森歩きを始めて六日目。

 最初こそスローライフに対する激しい思い出し怒りで森を破壊しながら進んでいたが、この頃になるとさすがに気持ちも落ち着いてきたので無益な環境破壊もやめていた。

 まあ森に立派な道もできて歩きやすくなったので、まったくの無益というわけでもないのだろうが。

「んー、もうそろそろ森を抜けてもいいと思うんだが……」

 続くひたすらの森歩き。

 たっぷりとある時間は、主に『悠々自適な生活』というものについて、より具体的なイメージを得るための思索に費やされていた。

 しかし──

「うーん、せせこましい人生だったから、悠々自適ってのがいまいちイメージできないな……」

 のんびりと、気楽に、のほほんと、穏やかに。

 そんな言葉を連ねてみても、実際に悠々自適な生活を送っている自分というものがなかなか思い描けない。

「もし『悠々自適な生活を送れるようにしてください』ってお願いしていたら、神さまはかなえてくれたかな……?」

 像を結ばぬ理想の生活。

 いい加減うんざりしてつぶやいた、その時だ。

「──ッ!?」

 稲妻のようなひらめきが発生した。

「そうだ! 猫だ!」

 得た、確信を。

 猫ほどに悠々自適という言葉が似合う存在もおるまい。

 お手本にすべきは、そう! 猫なのだ。

「ふふ、悠々自適へ一歩前進だ。となると……そうだな、ここはひとつ心の中に猫を飼ってみるか」

 この考えを聞いた者は『貴様はいったい何を言っている? なぜ、本物の猫を飼い、そこから学ばないのか!』と憤ることだろう。

 理由は単純。

 実際に猫を飼ってしまうと、悠々自適が遠のくと俺は実体験から教訓を得ているのだ。

 そう、あれは俺がまだ幼気いたいけな少年であった頃のこと。

 ある日、腹をかせた子猫が家に迷い込んできた。徳の高い少年であった俺は、子猫を哀れに思い餌を与えた。腹が膨れ満足したら去るだろう、そう思った。ところがだ、結局その子猫は天命を迎えるまで出ていかなかった。

 その期間、実に二十一年。

 時にはてんしんらんまんに、またあるときには傍若無人に振る舞った猫。

 あいつは悠々自適な生活を送っていたのだろうが、どういうわけかよく世話をすることになってしまった俺のほうはまったく悠々自適ではなかった。

 ともかく、俺は天命のごとき閃きに従い、心に猫を飼うことにした。

 神さまは白猫だったので、ここは……まあいいや、よく見知った茶白にしよう。

 それから名前は──と、考えたときだ。

『────ッ!』

 悲鳴か、それともたけびか。

 判断はつけにくいものの、聞こえたのは確かに人の声。

「やっと人がいるところまで来たか!」

 イマジナリーニャンニャンは後回し。すぐに駆けだす。

 つい一週間前まで自分から現地人と交流を持つ気などまったくなかったのに、我ながら現金なものだ。

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