Chapter1 グロリス・ワールド(1)

 テレビとパソコンの区別がなくなり、次世代映像受信機と呼ばれていた機械が、ただマルコン(マルチビジョン・ネットワーク・コンピュータの略)とだけ呼ばれるようになった時代。

 ゲームといえば、マルコンを利用したネットゲームのことを示した。

 据え置き型のゲーム機は、もはやスゴロクと変わらない、古き良き「おじいちゃん、おばあちゃんが子供だったときの遊び」となっていた。

 複数人同時参加型のネットゲームは、ソフトの販売や公式サイトのバグサポートはもちろん、すべてがマルコンで処理されるようになって久しい。

 そんな第何次目かわからないネットゲーム全盛期。「もっとも有名なゲームは何か?」とゲーム好きのプレイヤーに質問すれば、十人中八人は、『グロリス・ワールド』と答え、一人が『メモリー・オブ・アザー・ワールド』と答えるだろう。

 『グロリス・ワールド』、正式タイトルは『メモリー・オブ・アザー・ワールド』。

 『異世界の思い出』とでも和訳されるタイトル。

 今から約五年前にリリースされた、全世界でもっとも有名なネットゲームだ。

 『グロリス・ワールド』とは、『メモリー・オブ・アザー・ワールド』の総合デザイナーであるグロリス・アーケディア氏から名付けられた通称であった。ネットワークでの略称は『グロワー』。

 公式リリース前からテストに参加できたユーザーは各種ブログやSNSの投稿でこのゲームを絶賛した。

 当時の最先端コンピュータ技術を用いて、精密に創られたゲームは『世界でもっとも美しい異世界』という流行語を生んだ。

 満を持して、公式リリースを迎え、グロワー中毒者を世界で何万人も作り、国によっては専用の法律が新設されて規制までされる事態になり、ゲームに興味がなかった人を含め、社会的に認知される超大ヒット作。

 リリース当初は、月額六〇ドル、当時の日本円にして約八四〇〇円という、やや高額な定額制にもかかわらず、グロリス・アーケディア氏が創り出した『グロリス・ワールド』の世界にれ込んだ熱狂的なファンを生んだ。

 そういった根強いファンの存在や加熱するゲーム業界への投資の結果、たゆまぬ運営と更新がなされ、このゲームは精力的に進歩していった。

 多くの複数人同時参加型のネットゲームがそうであるように、『グロリス・ワールド』でもモンスターとの戦闘が楽しめる。そして、独自の戦闘システムとして、ルーン魔術が実装されていた。

 ルーン魔術とは、「ルーン」と呼ばれる特殊な言語を使った魔術という設定で、ゲーム中、すべてのキャラクターは、このルーンを詠唱し、魔力を消費することで魔術を行使できるというものであった。

 ただ、その設定だけならば、従来のゲームと変わったところはない。

 『グロリス・ワールド』の画期的であったところは、このルーンは、それ自体が確立した言語であり、言葉を組み合わせて文章を自由に作ることができ、プレイヤーが独自に魔術を研究し、創造できることだった。

 ルーンを組み合わせる順番、消費する魔力の量、詠唱する際の抑揚に、発生させる効果のイメージなど、ルーン魔術はプレイヤーたちの発想の数だけ無限の可能性を秘めていた。

 一部のプレイヤーは、新しいルーンの組み合わせを考案しては、より強力な魔術を、より利便性の高い魔術を創りあげることにハマったのだ。


 オレも、そんなゲームの熱狂的なプレイヤーの一人だった。

 無事に奨学金を得て、入学した大学で知り合ったクラスメイトから勧められるままにゲームを始めて、どっぷりとハマり、とりこになってしまった。

 『グロリス・ワールド』の世界は優しく、ゲームの世界にログインしているときは、嫌な現実の色々を忘れさせてくれた。

 オレのプレイスタイルは、攻撃魔術と呼ばれる魔術には一切興味がなく、支援魔術と呼ばれる、プレイヤーを回復させたり強化したりする魔術のみを創造することに重点をおいていた。

 他人を助けることで活躍するプレイヤーというならば、よくある遊び方だ。

 例えば、一緒にモンスターと戦いに向かい回復役に徹したり、初心者の戦いを見守りながら支援魔術で援護だけをする壁役となったり。

 けどオレの遊び方は、それらのケースとはちょっと違う。オレの興味は、効率の良い支援魔術の創造とその利用の追求にあった。

 まれに知り合いと一緒に、モンスターとの戦いに出ることもあったが、それはあくまで魔術の研究の実践であり、検証のためである。

 そして、支援魔術の使い手としては、オレは一人で三人分の働きをすると評価されて、一緒にモンスターと戦うと効率が五割増しになるといわれていた。ちょっとした自慢だ。

 そんなこともあって、他のプレイヤーからよく戦いの誘いがあったり、連絡先の交換をしないか? と誘われたりすることも多かった。

 もちろん、中には真面目な付き合いをしてくれる人からの誘いもあっただろう。が、得てしてその手の勧誘をするプレイヤーは、オレのことを「効率の良い道具」として扱いがちだった。

 段々とその手のプレイヤーとのやり取りが面倒になったオレは、ごく一部の知り合いや気の合うプレイヤーとだけ交流をするようになった。

 ゲームをやめて、完全に交流を断たない程度には、他人との付き合いを嫌ってはいなかったし、それ以上にゲームの世界にのめり込んでいたのだ。


   ◇◇◇


 眠っていた意識がゆっくりと浮上し、パチリと目を見開く。

 オレは上半身を起こすと、うようにしてベッドの端に向かう。

 上手うま身体からだを回し、足からベッドを降りた。

 もぞもぞと寝間着を脱いで、ベッド横のチェストの上に畳んである服を手に取る。

 慣れないうちは時間がかかったが、今では手早く着替えることができる。

 着替え終わったら、ペタペタと歩いて部屋を横断して、大きな姿見の前まで移動する。

 鏡に向かってニコリとほほむ。

 と、目の前に映っている愛らしい幼児が同じようにニコリと微笑み返してくれた。

『われおもう、ゆえにわれあり……』

 オレの記憶に残っている有名な哲学者の言葉をつぶやく。

 これはオレが、今のオレであることに気づいてから、毎朝行っていた日課だった。

 ただ、そろそろこの日課もやめようかと考えている。

 それは自分が置かれている状況が決して夢などではなく、現実なのだと認めることでもある。

 オレの名前は、おおすぎけんろうという。この名前からもわかるように、オレは黒髪黒目の純粋な日本人で、二十歳ちょうどの大学生だった。

 決して、淡いシルバーブロンドにラピスラズリと同じれいな青色の瞳を持った、まるで西洋人形のような三歳児ではなかった。

 オレの状態を一言で説明するなら、「前世の記憶を持ったまま転生した」というのだろう。

 最近になって急に前世の記憶を認識できるようになってきた。

 不勉強な大学生だったが、思い出した前世の知識によれば──人間の脳というのは、生まれてから三歳になるまでの間、外部からの刺激によってニューロンが急速に増え、それにともなって脳の各機能が発達するらしい。

 処理能力の低いコンピュータに、大量のデータを対処させようとしても上手くいかないのと一緒で、未成熟な脳では、二十年分の記憶を適切に処理することが難しかった可能性がある。

 のちに、この世界でのオレを産んでくれた母親から、オレはよく寝る赤ん坊だったと聞いた。

 それは前世の記憶を思い出すことが、赤ん坊の脳には強い負担となっていて、脳を休ませるために身体の防衛機能のようなものが働いていたからかもしれない。

 この身体に生まれ直してから、三歳児になるまで記憶の大部分が戻っておらず、おぼろげに本能のままに正しい赤ん坊ライフを送っていた。

 赤ん坊は一人では食事もできないし、それどころか、立ち上がったり、歩いたり、自分の意志でろくに動くこともできない。最近になって、ようやく手足が自由に動かせるようになってきた。

 つまり、今までは食事や下半身の世話を他の人に面倒を見てもらう必要があったということだ。

 それは重体の患者と同じであり、はいせつ物の処理をしてもらうのも、医療行為に近いものだと言える。ということにして、精神の平静を保とうと思う。決して黒歴史などではない。

 それから、赤ん坊の食事といえば、母乳だ。

 正直、母親が綺麗な女性だったのは役得だと思う。が、色々と突き詰めると乳児にして人としての道を踏み外す気がするため、これについても深く考えないようにする。

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