第七話 side リハルザム 一(1)
「まったく、なんでこんなことに俺が時間を割かねばならないんだ。くさくてたまらん……」
ぶつぶつと
「これも全てルストの奴が勝手に協会を辞めたのが悪い。奴は錬金術協会への感謝と献身の気持ちが足りんのだ」
リハルザムがいるのは錬金術協会にある備品保管庫。そのなかでも特に取り扱いに注意のいるものが収められている特別保管庫だ。
今現在、そこはスカベンジャースライムというモンスターの、体液まみれになっていた。
リハルザムは床に
ずずずっと、鼻水のような音を立ててスカベンジャースライムの体液の一部が吸引装置へと吸い込まれていく。
最近なぜか頻発する錬金術協会関係のトラブルに、マスターランクの錬金術師が皆、本来の協会の仕事を離れて対応に追われているせいで、リハルザムにまで仕事が回ってきたのだ。
特別保管庫に収められている物の中には、定期的なメンテナンスが必要な危険物も多い。放っておくと爆発したり、暴れだすようなモンスターの素材もある。そういう意味では、特別保管庫の管理はかなり重要性の高い仕事といえる。
元々は専用の管理官がいたのだが、現協会長に代わった際に予算の削減ということで管理官はクビに。そして雑用の一つとして、これまでは担当業務外にもかかわらず基礎研究課が処理をしていた。
基礎研究課が解体された後、誰もメンテナンスをしなかったせいで、先日ついにトラブルが発生してしまった。スカベンジャースライムの濃縮体液の爆発という、トラブルが。
「くそ。扱いにマスターランクが必要な一級危険物があるからと、入場制限なんてかけやがって! こんな規定さえなければ、うちのしたっぱどもにやらせるのに。ああ、くさい。鼻が曲がる」
スカベンジャースライム特有の腐乱臭と胃液が混じったような
「リハルザム師! リハルザム師! 大変ですっ!」
そこへ保管庫の外からリハルザムを呼ぶ声。リハルザムがしたっぱたちと呼んでいた武具錬成課の新人の一人だ。
「何だっ! トルテーク! 今忙しいんだ!」
怒鳴り返すリハルザム。
「し、しかし、大変なんです。武具協会の副協会長が怒鳴り込んできて……。リハルザム師を出せと──」
「なにっ! それを早く言え! 仕方ない、誰でもいいからマスタークラスの奴が帰ってきたらここの続きをやるように言っとけ! 俺は応対に出るっ」
保管庫を飛び出すリハルザム。
「そ、そんなぁ。無理ですよ……うっぷ」
急ぎ足で応接室へと向かうリハルザムと一緒に流れ出てくる臭いに、鼻を押さえながら訴えかけるトルテークの声は、リハルザムには届かず。
「ど、どうしよう。僕からそんなこと言えないし。だいたい、いつ誰が帰ってくるかわからないよ……」
リハルザムが開けっぱなしにした保管庫の扉を眺めながら呟くトルテーク。内開きの扉を閉めようと、そっと入り口に伸ばした彼の手は、保管庫にかけられた
マスターランクのメダリオンに反応して一時的に解除されるそれは、通常時は空気より重いものを
入り口から
「はあ、とりあえず協会の入り口で、誰か帰ってくるのを待ってよ……」
仕方なく扉を開けっぱなしにしたまま、とぼとぼとトルテークはその場を離れていく。
誰もいなくなった保管庫。開けっぱなしの扉からゆっくりと空気が入り込み、循環する。
その空気は当然、魔素を含んでいる。流れ込む空気とそれに内包された魔素。
誰も来ないまま、時間だけが過ぎる。
壁にこびりついたままのスカベンジャースライムの体液は空気と共に魔素に触れ続ける。やがて、小さな小さな結晶のようなものがその体液の中に現れる。
単なる体液だったはずのそれが、ピクリと動いた。
「いつまで待たせる気だ! 納期はとっくに過ぎているのだぞっ」
応接室の外まで響く、どら声。武具協会の副協会長たるガーンの怒声だ。日頃から荒くれ者の多い武具職人たちとやりあって鍛えられたその声はよく響く。
「何度もご説明させていただきましたように、錬成のための基礎素材の調達が遅れておりまして──」
応対している見習い錬金術師がガーンに答える声。
「そんなことは何度も聞いた! それはそちらの事情だ! だいたい契約で明確に納期は規定されておるのだ。今回の防具はきたる次の戦争用に軍に納品するものだぞ。一体いつになるのだ! これ以上遅れるのなら違約金だけで済むと思うなよ、こわっぱ」
「そ、それは私では何とも……」
「はっ! お前では話にならんっ。リハルザムをさっさと呼び出せ! 奴はまだかっ」
そこへリハルザムが到着する。着替えをしている余裕もなく、その場しのぎの消臭剤だけ服にかけてきたのだろう。少しはましになったとはいえ、いまだにその体からは周囲を圧倒するほどの悪臭が放たれていた。そして残念なことに保管庫でそれ以上の悪臭にさらされてきたリハルザムの鼻は、だいぶ臭いに鈍感になっていた。
「ガーン様、大変お待たせ致しました。リハルザム、参りました」
応接室のドアを開けるリハルザム。臭気を身にまとい、さっそうと部屋に入る。
パッとこちらを振り向いたのは、ガーンの相手をしていた武具錬成課の新米錬金術師の一人である、サバサ。彼は見習いたちの中では最年長ということもあって、今回のガーンの相手を押し付けられたのだろう。
リハルザムの顔を見て
顔を背け、下を向くサバサ。しかしその顔はみるみる真っ赤になってしまう。どうやら息を止めようと頑張ったようだ。
だがすぐにその無駄な努力は
当然、上座に座るガーンにも、その臭気は容赦なく襲いかかっていた。
一瞬、ポカンとした表情をさらすガーン。まさか地位も名誉もあるマスターランクの錬金術師ともあろう者が、重要な取引を行っている相手にそんなくさい姿で現れたことが信じられなかったのだろう。
しかし臭気はそんなガーンの固定観念なんてお構いなしに、彼の鼻腔を通して脳へ、激臭を届ける。
「リハルザム、お前、めちゃくちゃくさいぞっ」
叫ぶガーン。
「なんだその臭いは! 鼻が曲がる! お前は俺を馬鹿にしているのか!」
叫びだしたガーンは止まらない。そこから始まる
リハルザムは、はっとした様子で自分の服の臭いをかぐ。
しかしその後は
「こ、これは誠に申し訳ありません。ガーン副協会長様。すぐに着替えて参ります」
怒りを抑え、やっとのことで言葉を絞り出すリハルザム。
「いい、もうこれ以上は待てん! 例の品の納品は一体いつになるのだ!」
リハルザムの退出を許さないガーン。部屋に充満していく臭気。
サバサは我慢するのを放棄したのか、リハルザムの視線をはばかることなく自らの鼻をつまみ、口で呼吸している。
激臭が目にきたのか目をしばしばさせて。
そんなサバサに納期について目配せをするリハルザム。
それどころではないサバサは、リハルザムの目配せに気づくことなく、一度天井を仰ぎ涙を抑えようとするも失敗。うつむき、目をぬぐう。
その一連の動きを、リハルザムは自分の目配せに対する首肯だと勘違いし、ガーンへと伝える。
「明日までにはご用意してみせます」
顔を真っ赤にしたまま、言い放つリハルザム。
「よし、確かに聞いたぞ。その言葉、忘れるなよ!」
吐き捨てるように言い残し、ほうほうのていで臭気漂う応接室から逃げ出すようにガーンは帰っていった。ようやくそこで、サバサが一連のやり取りに気がつく。
「明日っ……。明日なんて無理ですよ。もう終わりだ……」
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