日々の仕事(3)


   ◇◇◇


 唐突だが、温泉に入ることになった。なんでも、ピーメイ村から少し歩いたところで温泉に入れるらしい。ギルドに引かれているという温泉の源泉に当たる場所だそうだ。

 理由はブラックボアとの戦闘で汚れたからだ。返り血もかなり浴びた。主にイーファが。

 俺は最初難色を示したんだが、近くにある上に安全だと、再三強調するイーファに押し切られて、了承してしまった。

 村への帰り道を途中でれて、道らしいもののない林の中を歩きながら俺は疑問を口にする。

「しかし、温泉なんてもんが、なんで元世界樹にあるんだ?」

「なんでも世界樹崩壊の後に突然湧いて出たらしいです。精霊の力関係が変わったとかいう話ですよ。皆使ってますんで、安全に関しては保証します」

「そういうもんか」

 この前聞いたときも思ったけど、不思議な話だ。ギルドの資料にはそんなこと載ってなかった。

 考えが顔に出ていたのか、イーファは説明を始めた。少し得意げだ。

「実はですね、その温泉を管理してる方が私の今の保護者でして。建物もあるし、周りも大丈夫なようにしてくれてるんです」

「その保護者さん、なんでこんなところに住んでるんだ?」

 ピーメイ村から離れた、元世界樹内だぞ。向かっていてわかるけど、村から歩いて一時間以上かかる。位置的には円形に広がる元世界樹の中心付近で、普通に魔物が出る地域だ。暮らす上で危険だろう。それを、「大丈夫にしてくれてる」ってどういうことだ?

 案内のため少し前を歩くイーファはまるで心配していない様子だ。この信頼感。謎だ。

「それに、課長から、行けそうなら先輩を温泉に連れていけと言われてましたので、これで一安心です」

「課長も? 一体どんな温泉なんだよ……」

 課長自らそんなことを言う理由がわからない。俺がイーファの保護者に挨拶する必要はないはずだが。

「ふふふ。混乱してますね、会えばわかりますよ。お楽しみです」

「どういうことだ……?」

 俺の様子を楽しそうに見ながら、イーファは先導を続けた。

 一時間くらい歩いたろうか。

 到着したのは、林が切れた先に突如現れる岩場だった。位置的に、ピーメイ村と薬草採取地の中間にある感じだ。

「本当に温泉なんだな……」

 すぐそばに岩で囲まれた水場があると思ったら、お湯だった。薄く湯気が立ち上っている。

「こっち、こっちです。あー、早くさっぱりしたいですねぇ」

 あからさまにご機嫌になったイーファに案内されたのは、岩場の中にある平地に立てられた、小さな家だった。

 木造で頑丈そうなたたずまいの大きめの平屋の家。年月がそれなりにたっているのか、少しくたびれた色合いをしている。

「先輩、こちらにどうぞ。ただいまー」

「お邪魔します」

 明るく扉を開けて入っていくイーファに続いて中に入ると、家主が迎えてくれた。

 俺たちを待っていたのだろうか。家主は、玄関を入ってすぐの場所に佇んでいた。

「…………」

「ようこそ。われがイーファの保護者、温泉の王だ」

 低く、よく通る声でそう名乗ったのは、巨大なスライムだった。

 見た目は水色の巨大な丸く柔らかい水の塊だ。よく見ると、たまに内部で虹色の光が走っている。目にあたる器官なのか、体の中央に二ヶ所、濃い色の部分があるのが特徴だった。

「…………」

 あまりにも予想外だったので俺は何も言えなかった。人間、驚きすぎると無言になるんだな。

「どうしたんですか? 先輩」

 後輩がげんな顔で聞いてきた。

「きっと驚いているのだろう。まさかイーファの保護者がこのような偉大なスライムだとは夢にも思うまい」

 たしかに、夢にも思っていなかった。間違いない。

「……すみません。さすがに驚きました」

「うむ。そうであろう。この村の外の者は皆驚く。我は国家認定されている幻獣なので怪しむことはないぞ」

「幻獣……なんですか」

 幻獣とは、ダンジョン内でごくまれに生まれる、人間に友好的な知性ある魔物の総称だ。だいたい、人間側に利益をもたらすので、存在するだけで喜ばれるものでもある。

 非常に珍しく、俺も見るのは初めてだ。

「公的な書類にも記してある。ただ、幻獣は狙われることもあるので、積極的には外に出ていないのだよ。最近はちょっと違うがね。……ところで、そろそろ名前を教えてもらってもいいかな?」

「……っ。申し訳ありません。ピーメイ村の所属になりました、サズです。元冒険者で、イーファさんとは同僚になります」

「イ、イーファさん?」

「イーファ、保護者に挨拶するときはこういった言い方をするものだ。サズ君、腕のいい冒険者だったと聞いている。我はここをあまり動けないので、娘を守ってほしい」

 そう言いながら、温泉の王はその体から細長い触手みたいな腕を出してきた。

「できる限りのことはします。とはいえ、俺も冒険者に復帰したばかりなんですが」

 ちょっとびっくりしたが、しっかりと握手を交わして言う。王様の腕のさわり心地は、意外とべたつかなかった。

 目の前にいるのはスライムなのに、愛情深い親と話しているような気分だ。いや、偏見は良くないな。幻獣ならば、その辺の人間よりも長生きで、知性も知識も高く深い。

 何より、この人はイーファを娘と言った。その言葉に嘘はなさそうだ。

「うむ。謙虚な若者だ。無理をしない者は好ましい。この辺りに冒険者が来ていた頃は……」

「王様、話をするなら温泉に入った後にしましょう。私も先輩も汗と汚れがひどいんです」

「うむ。ついでに疲れもいやすといい。サズ君、色々聞きたいことがあるだろうが、温泉の後だ」

「は、はい」

 思ってもいなかった出会いに驚きつつも、俺は素直に温泉に入ることにした。さっぱりしたいのは事実だったので。


   ◇◇◇


 温泉はとてもれいでよく整備されていた。家の隣に脱衣所が併設されていて、ちゃんと男女別に高い柵まで立ててあった。何よりお湯がよかった。

 最高だ。入った瞬間に、体の芯まで温かさが染み渡る。ちょっと熱いかなと感じるくらいの絶妙な温度。そして露天の開放感。

 太陽の下、俺はゆっくりと温泉にかった。日の光と湯の温度が心地よく、戦いで疲れた体が癒されていく。

 俺は文字どおり、全身で温泉を堪能した。

 そして、脱衣所に行くと、そこにはなぜか洗濯乾燥済みの衣服があった。

 ついさっきの戦闘で汚れたままのはずなんだが……。これは一体?

 疑問に思っていると、温泉の王が顔を出した。

「勝手ながら、洗濯させてもらったよ。汚れを取るのはスライムの特技の一つなのでね」

 凄いなスライム。そんな能力があるのか。

 感心しながら着替えて最初の部屋に戻ると、そこには昼食が用意されていた。

 家具が少なく、広く見える部屋の中央のテーブル。その上に出来たての料理の数々が並んでいる。

 そういえば、イーファの荷物に食事も入っていた。それを皿に並べたんだろうか。いや、スープまであるぞ。料理してくれたのか、スライムがどうやって? ちょっと見たかった。

「ありがとうございます。突然お邪魔したのに、こんなにしていただいて」

 疑問は色々あるが、早くもとても世話になったので、俺は素直に礼をした。

「気にすることはない。今日来るだろうことは、ドレンから聞いていたのでな」

 言いながら、温泉の王はカップに水差しで水を注ぐ。またスライムの体から触手みたいのが出てきた。器用だな。

「座りたまえ。食事の前に少し話そう。イーファは長風呂だから時間があるのでな」

 たしかに、まだイーファは戻ってきていない。風呂の柵越しに鼻歌が聞こえていたし、ご機嫌に過ごしているのだろう。

 俺は王に勧められるまま椅子に座る。

 水を飲むと体に染み渡った。地下水だろうか、よく冷えている。この配慮がとても嬉しい。

「さて、まず話すべきはイーファについてだな。彼女の神痕は知っているな?」

 驚いたことに、温泉の王は自分ではなく娘について話しだした。

「はい。おかげで今日は助かりました」

 自分のことを話す以上に大事なんだろう、口調は真剣そのものだった。なら、俺はおとなしく王の話を聞くほかない。

「うむ。彼女の神痕はこの地に住んでいて自然に発現した。それも、両親が消えた少し後にだ」

「それは……世界樹が生きているということですか?」

 通常、ダンジョン内でなければ神痕が発現することはない。温泉の王が言っているのは、つまりそういうことだ。

「恐らくは、というところだな。我の個人的な見解では、世界樹はたまに活性化するのだ。イーファの両親もそれで転移の罠などに巻き込まれ、行方知れずになったと推測している」

「……なるほど。でも、過去に事例がなさそうですね」

 理屈としては一応わかる。ただ、攻略した後、そこまで活性化したダンジョンなんて聞いたことがない。

「少なくとも、この国の冒険者ギルドの資料には事例はないと聞いた。外国はわからん。ただ、世界樹は世界十大ダンジョンの一つであった」

 世界十大ダンジョン。神々の巨大な置き土産。人類が、数百、数千年かけて攻略する巨大な遺産だ。世界樹のように攻略されたダンジョンは数個しかない。そのどれもが、今でも何かしらのうわざばなしを生み出している。

「神痕や魔物を生み出すくらいのことはあってもおかしくないと?」

「我はそう考える」

「それを俺に話す意味は?」

「サズ君は『発見者』だと聞いた。秘密を解き明かす者だと」

「……あんまり期待しないでくださいよ」

 俺の神痕の力は弱まっているし、万能でもない。世界樹攻略から百年たっていまだに誰も解けない謎を解き明かせる自信なんてさすがにない。そもそも、『発見者』が全盛期の時でも、強いとは言えなかった。

「神痕の弱体化は一時的なものだ。見捨てられたなら消えている……おや、イーファが出たようだ」

 いきなり気になることを言ったと思ったら、話が打ち切られた。

 温泉の王はよどみない動作でイーファの分の水を用意する。

「あ、先輩、先に出てたんですね。すみません、私ゆっくりでー」

 この家に着替えがあるんだろう、イーファは冒険用の服ではなく部屋着だった。地味な色の上下で、ちょっと生地が薄い。……意外と着痩せするタイプだな。

「サズ君。義理とはいえ、イーファは大切な娘だ。変な手出しをしたら温泉の王が裁きを与えるぞ」

「な、手出しなんてしませんよ!」

 頭の中を読まれたみたいで、慌てて答えてしまった。これでは余計疑われる。

 しかし、温泉の王は俺以上の反応を見せた。

「それはイーファに魅力がないということか! ああ見えて結構育っているので、人間の男なら何らかの感情を抱かずにはいられないはずである!」

「どんな答えが欲しかったんですか!?」

 言い争い始めた俺と温泉の王。それを見て、横のイーファが声を出して笑った。

「二人とも、もう仲良しみたいで嬉しいです」

 とても嬉しそうに言うと、イーファは自分の昼食に目を向けた。

「王様、ご飯まで用意してくれたんですね。ありがとうございます。いただきます」

「気にすることはない。このくらい当然である」

「じゃ、俺もいただきます」

 とりあえず、俺も食事を始める。

 よく見れば、イーファの使うフォークとナイフには名前が彫られている。大事にされているんだな。

「サズ君、イーファは良い子なんだが、たまに危なっかしい。守ってやってくれ。できる限り」

「わかりました」

 小声で言ってきた温泉の王に、俺も同じように小さく答えた。

 その後、温泉の王のところで一泊してから、俺たちはギルドへ帰還した。

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