日々の仕事(2)

 四時間ほど歩き、目的地に到着した。

 周囲の景色は変わり、森になっている。俺たちが到着したのは低い低木が群生する、ちょっと変わった空間だった。他は高い木が並ぶのに、ここだけが別世界。小さな葉を持った低木が自分たちの領域だと主張するかのように茂っている。

 この低木が目的の薬草なんだが、一つ問題が起きた。

 低木に近づいた瞬間、嫌な気配がした。

 急に立ち止まった俺をいぶかしむイーファを手で止めて、剣を抜く。

「こういう予感ってのは当たっても嬉しくないもんだ」

 周囲の木々の合間から、牙の長いいのししのような見た目の獣が現れた。

 体毛は漆黒で、目はあかい。たいは俺の腰くらい。

 ブラックボアというそのまんまな名前の魔物だ。見た目は猪だが、猪とは全く違う生き物。ダンジョンから生み出された魔物である。

 数は三匹。昼間に複数行動はちょっと珍しい。

「こ、こんな時期に現れる魔物じゃないのに……」

 イーファが慌てて長剣を引き抜く。

 魔物と動物の一番の違いは、その性格だ。

 魔物は積極的に人を襲う。ダンジョンの中でも外でもそれは変わらない。

 危険な存在だ。故に、見つけ次第狩らなければならない。

「俺が前に出るから、イーファがすきを見てやってくれ、頼む」

「はい!」

 元気な声が返ってきた。そして、それを合図にしたかのように、ブラックボアたちがこちらに向かってくる。

 こんなことなら、もっと真剣に武器を選ぶんだった。

 書類によると年に十回も魔物が出ていない地域だから油断した。

 自分ののんさを呪いつつ、剣を構える。

 ブラックボアという魔物はそれほど強くない。神痕を持たない冒険者でも普通に対処できる存在ではある。

 しかし、数は相手が三でこちらが二。神痕持ちとはいえ、武器の扱いをほとんど知らない新人と、復帰したての冒険者にはちょっと厳しい。

 せめて、盾が欲しい。攻撃を受け流して足止めできればもう少し楽なんだが。

 迫り来るブラックボアを見据え、長剣を構えつつ、俺は現状をそう分析していた。

 そんな思考とは裏腹に、戦いは始まる。

「来ます!」

 イーファの緊張した声が飛ぶ。俺は長剣を構えて、慎重にブラックボアの突撃を迎え撃つ構え。

 三匹同時、まっすぐにこちらへ突進してくる。

「横だ!」

「はい!」

 ブラックボアの動きは直線的で単調だ。最初の突撃を俺たちはどうにかかわした。

 新人とはいえ、村育ちでそこそこ訓練を受けているおかげか、イーファは動きが良かった。これならどうにかなるかもしれない。

「俺に続け!」

「はい!」

 横を通り抜けたブラックボアに向き直り、進む。狙いは一番右の個体。

 方向転換したばかりの一匹が、目の前に来た瞬間、頭ごとぶつかってきた。距離が短いから速度が遅く、力も入っていない。

 俺は素早く、ブラックボアの鼻先を斬った。少し硬い手応えがあったが、鼻先が切れて、赤黒い血が飛ぶ。

「ブキィィ」

 駆け出しかけたブラックボアがひるんで動きを止めた。

「今だ!」

「やああああ!」

 そこへ横に回り込んだイーファが、気合いの叫びと共に、大上段から長剣を振り下ろした。

「やりました!」

 喜ぶ同僚を見て、俺は驚きに目を見張った。

「……嘘だろ」

 イーファの力任せの一撃は、ブラックボアの胴を両断していた。

 魔物は通常の獣よりも体毛も肉も硬いというのに、それを量産品の剣で真っ二つにしたのだ。

 いくら『怪力』でも、ろくに戦闘経験のない新人が簡単にできることじゃない。

 しかし、細かく検証している暇はない。

 残りの二匹が、こちらに向かって駆け出してきている。

「先輩! 危ないです!」

 心配するなと答える余裕はなかったが、体は動いた。効果が非常に微弱とはいえ『発見者』が発動している感覚がある。俺の肩に宿った神痕がわずかに熱を帯びている。

 おかげで、俺はすでに敵の次の動きを把握している。

 先ほどの攻撃が鼻先を最小動作でかすめただけの斬撃だったのも、体勢を崩さず、次の動作に入るためだ。

 素早く向き直り、こちらに向かってきたブラックボアの突撃を回避。すれ違いざまに胴を思い切り斬りつける。

「くっ……!」

 硬い感触が手に伝わってくる。手応えありだ。

 俺にイーファのような力はないが、ブラックボアの速度を利用して斬ることくらいはできる。

 今度は体の前で剣を構え盾にする。

 そこにもう一匹ブラックボアが突撃してきた。

 重く硬い衝撃が伝わるが、剣を上手く動かしてなんとか受け流す。一瞬なら、どうにか止められそうだ。それに、向こうが俺に狙いを定めてくれて助かった。

 おかげでイーファが自由に動ける。

「おおおりゃああああ!」

 イーファの叫びが響き、目の前のブラックボアを両断した。

 俺の方は先ほど胴を斬り裂いた一匹に素早く近づき、その首に剣を突き立てる。すでに致命傷に近い傷を負っていた最後の一匹はける動作すらできなかった。

 首筋からどす黒い血が噴き出す。ブラックボアが暴れ始めたので、俺は剣を手放す。

 思ったよりもしぶとい。放っておいても死にそうだが、そこに長剣を大上段に構えたイーファがやってくる。

「ダンジョン以外のところに出てきちゃダメでしょおおお!」

 そんな叫びと共に、イーファが最後の一匹の頭を縦一文字に断ち割った。


   ◇◇◇


「先輩、あのたいさばき。どこかの流派で教わったんですか?」

 戦闘後、ブラックボアを解体して、売り物になりそうな牙や毛皮を採取。それから水で一息ついて、本来の目的である薬草を採取しているとイーファが聞いてきた。周囲を軽く見てみたが、他の魔物の気配はないようだった。

「いや、慣れだよ。ブラックボアは何度も相手をしたことがあるから、体の動かし方を知ってたんだ」

「なるほど。さすがはベテラン……」

 いちいち否定するのも悪いので、イーファの感想には触れずに話を続ける。

「それとは別に、色んな流派で教わったのも事実だけどな。『発見者』は武術のコツを掴むのがすごく早くなるから色々楽なんだ」

「えぇ、それってずるくないですか!?」

「それを言ったらイーファの『怪力』だって、ずるいだろう」

 普通の人間に魔物の体を両断するなんて不可能だ。いや、神痕持ちの冒険者でも難しい。イーファ本人に自覚はないようだが『怪力』の神痕を相当使いこなしている。恐らく、冒険者に専念して成長していけば、ベテランどころか国を代表するような存在にだってなれるだろう。

「でも、わいくないじゃないですか『怪力』って。どうせなら私も先輩みたいなかっこいい神痕がよかったですよぅ」

「強い神痕なんだから普通は喜ぶもんなんだけれどな……」

 冒険者としては独特の感性である。俺の『発見者』は便利だけれど、どうしても戦闘向きじゃない。それでかなり苦労してきた。それに、神痕を使いこなせなくてあきらめていく者だってかなり多い。

「しかし、三匹分だと採取品も多いな。少し置いていくか?」

「大丈夫です! このくらい、私なら楽勝で運べますから!」

 にこやかに笑う後輩が、頼もしいやら面白いやら。不思議な気持ちを抱きつつ、その日の仕事を終えた。

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