王都から山奥へ(3)

「辺境には違いないけど、冒険者には有名な場所です。記念だと思ってちょっと行ってきますよ」

「やっぱりサズ君は元冒険者よね。生活環境が変わるのに、人生の一大事だというのに、どこか落ち着いているもの」

 安心させようとして言った言葉に、感心するように反応するイセイラ先生。

 俺は元冒険者。色々あって、今はギルド職員をやってるが、他人からはまだ当時の雰囲気が残っていると言われることもある。

 正直なところ、どちらも中途半端だ。冒険者としては大成できず引退。ギルド職員としても、大きな仕事を任された直後につまずいてしまった。

 本当に運が悪い。いや、自分はこのくらいが精一杯なんだろう。一応、頑張ってるつもりだっただんだけどな。

 イセイラ先生には落ち着いて見える理由というのは、案外、俺の中にある一種のあきらめからきているのかもしれない。自分に過剰な期待をしなければ、大きく傷つくことはない。そういうのに慣れてしまった人生だ。

「環境が変わるのは慣れていますから。それに、戦うわけでもないから気楽なもんですよ」

「そうね。職員さんは危険なことはしないものね。私も安心することにしましょう」

「それよりも、大丈夫なんですか、ここ?」

 俺の心配事は、養護院の運営についてだった。

 王国が福祉関係にそれほど力を入れていないのか、お金があんまり回ってこないのだ。

 俺が昔の仲間と動いて、養護院出身の冒険者が寄付したり、色んなところに働きかけることで少しは良くなったが、運営は厳しい。

 本当はもっと子供たちの暮らしを良くして、マシな人生を送れる環境を整えてやりたいんだが。なかなか難しい。

 冒険者として有名になるか、ギルドで出世でもできればどうにかできたかもしれないのにな……。

 そんな心配を見透かしてか、イセイラ先生は穏やかな笑みを浮かべて言う。

「大丈夫よ。サズ君たちのおかげで建物も修繕できたし、昔よりは余裕があるの。国だって、そう簡単に見捨てないわ」

「そうですね……」

 ギルドでもう少し偉くなって、就職のあっせんでもできるようになれればよかったんだが、そうなる前に面倒な奴に目をつけられてしまった。

「サズ君、貴方あなたがここを気にかけてくれるのはありがたいけれど、もう自立しているんだから、自分のことを考えなさい」

 穏やかな口調とは裏腹に、はっきりとした意志を込めてイセイラ先生は言った。

 昔から、似たようなことはよく言われたが、今回は本気だ。いや、この人はいつもそうだった。養護院の子供たち全員の将来を心配している。そうでなきゃ、俺だって院を出たあと何度も顔を出したりする気持ちにはならない。

 イセイラ先生の言うとおりだ、今は自分の心配をすべきだろう。これからどうなるか、ほとんどわからないのだから。

「そうですね。さし当たっては、引っ越しの準備をしないと」

「ええ、必要なことがあったら相談してね」

 難しい話はこれでおしまい、とばかりに笑顔になるイセイラ先生。

 その後、俺は少し明るい話題で雑談をしてから、子供たちへの菓子を置いて下宿に帰った。

 左遷先への引っ越しの準備をしなきゃいけない。


   ◇◇◇


 なんだかんだで、引っ越しするまで五日ほどかかった。

 もっと時間をかけてもよかったんだけど、ヒンナルの奴がやってくる日が思ったより早くなってしまったため、慌てて準備することになった。

 ダンジョン攻略の引き継ぎ以外に、普段の仕事の引き継ぎもある。とにかく書類作成やら言い渡しやらを繰り返し、合間に荷造りという感じだ。私物が少ないので、結構楽に部屋を空にすることができた。

 そんな仕事と引っ越し準備の日々で疲れ果てながらも、なんとか王都をつ日がきた。

 朝一番の馬車で去ろうと思っていたが、ちゃんと挨拶していけという周りの空気もあり、日中の出立になった。所長が気を使って、移動の日程に余裕をもってくれたからこそできたことでもある。

「すまないね。サズ君。ギリギリまで仕事をさせてしまって」

 挨拶も兼ねて事務所に来た俺に向かって、所長はそう言ってくれた。周りには、仕事の合間に挨拶に来てくれた同僚たちがいる。

 今回の件は、この人のせいじゃない。むしろ、俺が引き継ぎに集中できるように色々と取り計らってくれていたくらいだ。

「いえ、皆さんのせいじゃありませんから。引き継ぎ、お願いしますね」

「わかっているよ。しっかり届ける」

 そう言って、所長は元俺の机の上に置かれた書類を見る。引き継ぎ書類は片手でつかむのは難しいくらいの量になった。

 そこにはダンジョン攻略の人員や必要資材について、これまで調べたことや想定していることがすべてまとまっている。とりあえず、これを読めばダンジョン攻略の準備は整うという資料だ。

 実際は、ここからが大変だ。ダンジョン攻略は、やってみなきゃわからない。

 それを、この西部支部の人員で回していかなければならない。多少の増員はあるが、どこも人手不足でそれほど期待できない。

 加えて、王都の近くで新ダンジョンが見つかったのは数十年ぶり。これまでのノウハウは役に立たず、実態としては新しい仕事に近い。

 だからこそ、最近まで冒険者だった俺がその知識を生かしつつ、現場を回す算段だったのだけど、余計なことをされてすべて崩壊してしまった。

 引き継ぎについて所長と話していると、いつの間にか、周囲の面々も話に加わるようになっていた。

 全員、冒険者上がりの俺に仕事を教えてくれた恩人だ。ダンジョン攻略の業務も一緒にやりたかった。

「皆さん、ありがとうございました。色々と置いていってしまって申し訳ありませんが……」

 冒険者引退後、どうにか仕事を覚えて、ようやくギルドに貢献できると思ったのに、逆に迷惑をかけることになってしまった。

 それだけは心の底から申し訳なく思いつつ、頭を下げた。

「気にすることないよ。上が決めたことだもん」

「あっちに行っても元気でね。手紙くらい書くんだよ」

 そんな声が次々にかかってくる。

「そろそろ馬車の時間だ、早めに行くといい」

 窓の外を見ながら、所長がそう言った。

 時刻は昼前、そろそろヒンナルが来る予定なので、気遣ってくれているのだろう。

「はい、それでは、お世話になり……」

 もう一度頭を下げようとしたときだった。

 職員用の扉が開いた。全員がそちらに振り向くと、一人の男が堂々と入ってくるのが見えた。

 迷いなく事務所に入ってくるのは、先日の会議の時と同じく仕立ての良い服を着て、整った顔に穏やかな笑みを浮かべている男。

 ヒンナルだ。しかし、相変わらずどこかしらさんくさい雰囲気が漂っているように見える。

 どれだけ取り繕っても、本質は隠せないということだろうか。

「皆さんこんにちは。聞いていると思いますが、今日からこちらで働くヒンナルです。どうぞよろしく。ところで、僕の席はどちらかな?」

 ヒンナルはおうようかついんぎんれいな態度で、室内にいる全員にそう挨拶した。

 それから全体を見回して、一瞬だけ俺の方を見ると、そのまま無視して、所長に話しかける。

「よろしくお願いします、所長。一緒に大きな仕事ができて光栄ですよ」

「ようこそ、ヒンナル君。君の席は私の隣だよ。こちらのサズ君の用意した引き継ぎ書類があるから目を通しておいてくれ」

 所長の返答を意に介した様子もなく、ヒンナルが無感情に俺の方を見た。

「わかりました。……サズ君、後のことは安心してくれ。僕がしっかりやっておくから」

 そう言って俺の肩に手を置いて、その場を去ろうとするヒンナル。

 正直、もう話したくはないんだが、仕事なので俺は口を開く。

「あの。引き継ぎ書類の他に、細かい資料は別室に置いてありますんで。声をかけた冒険者の中には、気をつけないといけない者もいますから」

 仕事をおろそかにするわけにはいかない。好ましい人物でないとはいえ、とにかくしっかりやってもらわなければ。

 俺の一言にヒンナルは顔をゆがめた。どうやら笑ったらしい。粘着質な嫌な笑みだ。

 薄笑いを浮かべたまま、ヒンナルが両肩に手を乗せてきた。

「大丈夫。冒険者なんてどこも一緒だよ。ギルドからの指示だと言えばどうとでもなる」

「…………」

 冒険者ギルドを王室か何かと勘違いしたかのような一言を残して、ヒンナルは自分の席に向かった。

「…………さて、仕事をするかな」

 そう言ったヒンナルは俺の用意した資料を取って……目を通すかと思ったらすぐに机の中にしまった。

「……サズ君。後は私たちに任せて出発しなさい」

「……はい」

 所長の言葉に、俺は極力感情を押し殺した声で返した。周りの人たちがものすごく気を使った目線をこちらに送ってくる。

 これは、早くこの場を離れた方がよさそうだ。

「本当にお世話になりました」

「向こうでも上手くいくことを祈っているよ」

 深く頭を下げ、そう短く言葉を交わして、俺は最悪の気分で職場を後にした。

 人生を上手く生きるというのは本当に難しい。ちょっと良い感じになると、いつもこうだ。いっそ、仕事のない田舎のギルドで朽ち果てる方が幸せかもしれない。

 そんな気持ちで、俺は荷物を抱えて馬車に乗り込んだ。

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