働く人たちにこそ食べてもらいたい辻そばです(2)

「あ、ああ、ええと、あの……」

 何か言わなければならない。この場合、沈黙は命取りだ。が、下手なことを言ってはいけないと気持ちばかりが焦り、言葉にもならない声がれてしまう。

 だが、その煮え切らない態度が否定的と取られてしまったのだろう、見れば、ハイゼンもアダマントも少し眉間にシワが寄っている。

「答えられぬか? まあ、こちらも無理にとは言わぬが……」

 そう言って、難しい顔で思案するハイゼン。

 これはい。一気に雲行きが怪しくなってきた。

 ここでいなやはない。沈黙であったり、適当なうそをつけば状況はもっと不利になるだろう。しかし雪人の事情をどう説明すればよいものか。そもそも神によって転生したことは口外してよいことなのだろうか。神はその点についてよいとも悪いとも言っていなかったが、雪人の素直な人間性からして、すとすぐにバレそうな気がする。ここは覚悟を決めて正直に言うしかない。

「いえ、お話しいたします…………」

 鬼が出るかじゃが出るか、意を決して、雪人はこれまでのことを話し始める。

 自分はそもそも異世界の人間だということ、事故に遭って死亡したこと、天国とおぼしき場所で神にかいこうしたこと、その神の力でこの世界に転生したこと、そして神から『名代辻そば異世界店』のギフトを授かったこと、そのギフトを試している最中にハイゼンたちが訪れたこと。

 ファンタジー世界の住人である彼らにも分かりやすいよう、地球的な要素については可能な限りくだいて、全ての事情を話した。

「………………ということでありまして。私はつい先ほど、この世界に来たばかりなんです」

 最後に「以上です」と付け加えて話を締める雪人。

 長い、長い話が全て終わると、知らぬ間に何とも重々しい空気がその場に漂っていた。

 ハイゼンとアダマントは話の当初こそ驚いていたものの、話が進むにつれて表情が険しくなっていき、今は完全に押し黙って何事か深く考え込んでいる様子。

 こういう様子を見ると、どうにも気が重くなるし不安感がてられる。ごく端的に言うと、気が気ではない。

 やがて、雪人の肺がたっぷりと重い空気で満たされた頃、ハイゼンが静かに口を開いた。

「………………そうであったか。只者ではなかろうと思っていたが、まさか『ストレンジャー』であったとはな」

 ハイゼンが感慨深げにそう言い、アダマントも同意を示すよう深く頷く。

「ストレンジャー? ですか?」

 ストレンジャー。あまり聞きみのない言葉である。確か、ものであったり、珍しい人、という意味の言葉だったか。

 余所者。珍しい人。雪人は日本では何処にでもいる平凡な人間だったが、この異世界においては異邦人。ストレンジャーとは言い得て妙である。

 雪人が訊き返すと、ハイゼンはそうだと頷いた。

「異世界からの来訪者のことをそう呼ぶ。異世界の者がこのアーレスに転生するというのは、珍しいことではあるが、過去にも幾度かあったことなのだ」

「え!? そ、そうなんですか!?」

 あの神様の性格からして、異世界の人間を自分の世界に転生させるのは初めてのことではないだろうなと思ってはいたが、やはりそうだったのだ。しかもハイゼンの口振りから察するに、転生者は定期的に現れているらしい。

 驚いている雪人に対し、ハイゼンは「うむ」と頷く。

「我がカテドラル王国で最後にストレンジャーが発見されたのは、今から三〇年近くも前のことだが、世界的に見ればもっといるのであろうな。そうであったな、アダマント?」

「は。我が国で最後に確認されたストレンジャーは、確か地球という世界のケニアなる国から転生されたかただったと記憶しております」

「ケニア! アフリカのケニアですか!?」

 地球、そしてケニア。自分の知っている単語が続けて出たことで、雪人は思わず驚きの声を上げてしまった。これは雪人の偏見なのだが、転生者というのは皆、日本人ばかりなのだと思い込んでいたのだ。だが、転生者を選んでいるのは他ならぬ神である。地球規模で考えれば、日本以外の国の者が選ばれても何らおかしなことはない。ただ、それでもケニアというのは意外だったが。

「アフリカ?」

 アダマントが不思議そうな顔をしているので説明する。

「地球には幾つか大陸がありまして。そのうちのひとつがアフリカ大陸です。ケニアはアフリカ大陸の国家のひとつなんですよ」

「ほう、そうだったのか。アフリカ大陸……」

「ちなみに私は地球の日本という島国から転生してきました」

「ニホン、か。聞いたことのない国だな。恐らくは過去の記録にも残ってはおるまい」

 そう言ってハイゼンとアダマントが頷き合う。

 雪人は少なくともこの国では初の日本人転生者ということになるのだろう。同じ日本人の先達がいれば心強かったのだが、いないものは仕方がない。

 それに何より、この国においては雪人こそがそばという日本の食文化を広める先駆者となるのだから、考え様によっては光栄なことだ。

「そのケニアの方は、地球の情報を残したりはしなかったんですか?」

 雪人が疑問に思ったことを訊いてみると、ハイゼンは首を横に振った。

「何でも転生した当時、そのストレンジャーはまだ一二歳の子供だったらしくてな、あまり地球の情報を持っていなかったそうだ」

「ああ、なるほど……」

 一二歳といえば、小学六年生くらいか。遠くアフリカの小学生が日本のことを知らなくても無理はない。ケニアの知識水準がどれほどのものかは知らないが、下手をすると大人だとて日本のことを知らない可能性もある。大卒の雪人ですら地球上のあらゆる国の名前や場所を覚えている訳ではないし、ケニアのことも詳しくは知らないのだから。

「ハツシロ殿、どうだろうか、貴公が良ければ我が領都アルベイルに来ぬか? アルベイルは三〇年前まで王都だった場所でな。遷都したので今は旧王都と呼ばれているが、国内では現在の王都に次いで大きな街だ。住民も大勢おる故、貴公のソバを食べに来る者も多かろう。堅苦しく聞こえるかもしれんが、出来れば貴公を私のの下に置きたいのだ」

 大きな街、つまりは都会。都会で働く人たちならば、きっと大なり小なり何かに疲れていることだろう。肉体的に、精神的に、そして人生そのものに。

 そういう疲れている人たちに、ほっと一息つく時間と明日への元気を、そして何よりしいそばを提供するのが名代辻そばの仕事。漫画家時代、締め切りに追われ、激務によって自身を擦り減らす生活を送っていた雪人も、そうして辻そばに救われていた。

 都会へ行けるというのは渡りに船、大歓迎だが、しかし気になることがないでもない。

「大きな街に行けるというのはありがたいのですが、しかし庇護とは……?」

 このハイゼンという貴族の庇護下に入るということは、つまり彼の勢力、傘下に入るということだろう。雪人としては、出来れば誰の世話になることもなく、独立独歩で自由にやりたいものなのだが、しかしそれが無理なら大人しく庇護下に入るくらいの分別はある。

 雪人に対し、ハイゼンはその理由を説明し始めた。

「この世界にとって、ストレンジャーは良くも悪くも常識外れな存在なのだ。良くないやからからまもためにもそうさせてもらいたい」

「常識外れですか?」

 一度死んで転生して来たのだから、確かに常識外れではあろう。だが、それ以外はごく普通の人間でしかない。ギフトという異能がストレンジャーだけのものならまだしも、この世界の人間ならば誰でも持っているものなのだからさして珍しくもない筈。

 だが、そういう疑問も分かっているとばかりに、ハイゼンは「うむ」と頷く。

「神様が手ずから与えたギフトに、異世界の知識や技術。これらは少なからず世界に影響を与えるものだ。その強大な力を狙う者たちは今も昔も絶えたことがない」

 例えばの話、火薬や銃といったものの製造技術や知識ならば脅威と捉えられるのも分かるが、しかし雪人は普通の飲食業者。特別な知識など持っていないし、さしたる脅威はないように思える。ギフトとて強力なものではない、というかそもそも戦ったりするようなギフトでもない。

「でも、私のギフトはそば屋の店舗を出すだけですよ?」

 雪人がストレートにそう訊いてみると、しかしハイゼンは首を横に振った。

「そうは言うがな、ハツシロ殿。現に、何もない場所に店を召喚するギフトなど、私はこれまで見たことも聞いたこともなかったぞ? それに食材を無限に補充出来るというのは、考え様によってはとてつもない脅威だ」

「食材が尽きないことが脅威なんですか?」

「軍隊というのは動く胃袋だからな。食費のことを考えずに済むというのは、将からすればすいぜんの能力だ。ウェンハイム皇国のような侵略国家ならば喉から手が出るほど欲しがるだろうて。誰の庇護下にもなければ、まず間違いなくそなたの身柄が狙われることになる」

 言われてみれば確かにそうだ。たとえ雪人に戦う力がなくとも、へいたんということを考えれば雪人ほどうってつけの人材はいない。ウェンハイム皇国というのが異邦人の雪人にはいまひとつ分からないが、ともかく雪人を狙うような者たちは世の中にごまんといるということだろう。

「そうですか、だから庇護下に……」

「このカテドラル王国では、ストレンジャーは世に革新をもたらす貴人として捉えられている。そんな貴人を保護するのは貴族の務め。どうだろう、税は取らぬし場所も提供する故、アルベイルに来てはもらえんだろうか? そして私を含め、アルベイルの者たちに異世界の美味なる料理、ソバを振舞ってはもらえんだろうか? ああ、振舞うといっても無論、タダというわけではない。料金は相応に取ってもらって構わない」

 ハイゼンがそう言って頭を下げる。それを見たアダマントはほんの一瞬だけ驚いた様子だったが、彼もハイゼンに倣い頭を下げた。

 これはあくまで雪人の予想でしかないのだが、ハイゼンは普段、人に頭を下げるということがないほどに高位の貴族なのだと思われる。何せかつて王都だった街の領主なのだ、そんな大役を任される者が下位貴族の訳がない。

 その高位貴族が頭を下げてまで雪人を庇護しようとしてくれている。

 この短い時間でも分かる、彼はきっと悪い人間ではない。むしろ善良な人間なのだろう。権力者特有のおごたかぶり、庶民への嘲りも感じられない。

 ハイゼンほどの人物がここまでしてくれたのだから、応えなければ男が廃る。

「分かりました。そのアルベイルという街、行かせていただきます。不肖の身ではございますが、なにとぞよろしくお願いいたします」

 そう言って雪人が深々と頭を下げると、ハイゼンとアダマントは、ほっと胸をろし、笑顔を見せた。

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