働く人たちにこそ食べてもらいたい辻そばです(1)

 どうにか無事、異世界に降り立ったゆき

 試しにと、神から与えられたギフトを発動させ、異世界初のつじそばを口にして、その変わらぬさに感動していると、唐突に来客があった。何やらごうしゃな身なりの中年男性二人組だ。片方の男性は鍛え込まれたごつい体格で、腰には剣まで差している。

 ファンタジーについてはとんと疎い、ゲームの知識程度しかない雪人だが、この二人が恐らく貴族と護衛の関係だろうということはすぐに分かった。ごつい男性の方は、恐らくこの手ファンタジーに付きものの、所謂いわゆる騎士というやつだろう。

 店の入り口がガラス張りになっているので、外に他の護衛たちが多数待機しているのも見える。きっと、かに行く途中かその帰り道、雪人が召喚した辻そばの店舗をたまたま発見し、この二人が代表して店内の様子をうかがいに来たのだろう。

 経緯はどうあれ、異世界に来て早々、初めてのお客様だ。この二人の反応如何いかんで、今後、だい辻そばが異世界でもやっていけるかどうかが分かるというもの。

 雪人は日本にいた頃と同じよう、真心を込め、丁寧に接客をした。

 その結果は上々で、二人の客はそれぞれ二杯のかけそばを食べた。

 異世界人にもそばが受け入れられるかどうか。辻そばの味に対しては絶対の信頼があるものの、それでも不安を拭い去ることは出来ない。だが、どうやら辻そばのかけそばはかなり喜んでもらえたようで、二人は会話もせず食事に集中していた。

 そばを食い終わり、ゴクゴクとつゆまで飲み干した二人。

 その顔の何とも満足そうなこと、彼ら二人は満面に笑みを浮かべている。そう、この顔だ。この幸せそうな顔を見るのがうれしくて、雪人は辻そばで働いているのだ。

 二人が食い終わったタイミングで、おかわりの水を雪人が差し出すと、貴族風の男性が雪人に笑顔を向けてきた。

「店主よ、大変そうになった。ソバとは実に美味いものだな。移動続きで美食にえていたところにこのカケソバ、何とも骨身に染みたぞ。今は腹に余裕がないので無理だが、次はモリソバなるものも食べてみたいものだ」

「いや、全く閣下の言う通り。店主よ、まこと美味であった。礼を申す」

 貴族風の男性に合わせ、騎士風の男性も満足そうにうなずく。

 異世界ではあっても、やはり美味いものを食って満たされた人間の顔というのは変わらないものらしい。実に良い笑顔だ。

 雪人も満足そうに頭を下げた。

「当店、名代辻そばのそばをお褒めいただき、まことにありがとうございます」

 雪人の丁寧な言葉に対し、貴族風の男性が微笑を浮かべながら頷き、口を開く。

「私はハイゼン・マーキス・アルベイル。名前から分かると思うが、アルベイルの領主だ。そして隣のこやつがガッシュ・アダマント。アルベイル騎士団の団長である」

 言いながら、貴族風の男性、ハイゼンは隣に座る護衛を指で差す。すると、アダマントと呼ばれた騎士風の男性も呼応するように頷いた。

ただいまご紹介にあずかった、ガッシュ・アダマントだ」

 領主ということは、まず間違いなく貴族だ。アルベイルという場所のことは分からないが、外にも護衛たちが大勢いることを考えると、このハイゼンという男性は相当上位の貴族だと思われる。

 そして上位貴族ということは庶民よりも豪華なものを口にし、格段に舌が肥えているということに他ならない。つまりは美食家だということだ。

 そんな美食家をもうならせることが出来たのだから、やはり辻そばは異世界でも通用するらしい。雪人はそう確信し、心の中でガッツポーズを決めた。

 今はまだ接客中、心の高揚が顔に出ぬよう努めて自制しながら、雪人は丁寧に頭を下げる。

「御丁寧にありがとうございます。私は当店の店長、はつしろゆき……」

 と、ここで、海外では姓名逆に言うのだった、恐らくはこの西洋風の異世界でもそうなのだろうなと思い、雪人は自分の名前を言い直した。

「ユキト・ハツシロと申します」

 雪人がそう名乗ると、二人はだか驚いたような、あるいは困惑したような表情を浮かべる。

「閣下、これは……」

「ふむ、家名があるか……」

 まるでいぶかしむような顔でそう言うハイゼン。

 雪人としては普通に名乗ったつもりだったのだが、何か引っかかるところでもあるのだろうか。

「家名? みょうじのことですか? 苗字はあるのが普通だと思いますが……?」

 地球では、少なくとも現代日本では法律上誰にでも苗字がある。庶民に苗字がないというのは江戸時代までという認識だ。

 だから苗字があるのが普通だと言ったまでのことなのだが、ハイゼンは更に考え込むように顔を伏せてしまった。見れば、アダマントまでもが何やら考え込んでいる様子。

「ふうむ、それが普通とな……」

「お客様……?」

 一体何をそこまで考え込む必要があるのか。

 雪人が不思議そうな表情を浮かべていると、それに気付いたハイゼンが苦笑しながら顔を上げた。

「ああ、いや、何、気にせんでくれ。少しばかり考えていただけだ。してな、店主……いや、ハツシロ殿、少しばかりきたいことがあるのだが、よろしいか?」

「はい、何でしょうか?」

「ハツシロ殿はどうしてまた、このようなところに店を出したのだ?」

「え?」

 質問されたところで明確な理由などない。ギフトがちゃんと使えるかどうか、その確認をしたのがたまたまここだったというだけのこと。

 質問に答えようにも、そのことをどう説明すればよいのか。

 雪人がどうにも言いあぐねていると、それを沈黙と取ったハイゼンが更に言葉を重ねてきた。

「というか、どうやってこのようなところに店を建てたのだ? 私の覚えている限り、このような場所に店を出す許可は出しておらんし、無許可で出しているにしても巡回の兵の目を欺いて店を建てることが出来るとも思えんのだ。まるで、ある日ある時、唐突に現れたようにしか思えん」

「あ…………」

 そう指摘されて、雪人は初めて自分が怪しまれているのだと気が付いた。

 考えてみれば、確かに怪しまれてもおかしくはない。

 何しろ、つい先刻まで何もなかった場所にいきなり謎の店舗が立ち、その内部には見た目からしてそうと分かる容貌の異邦人がいたのだ。

 言葉が通じるだけまだ少しは救いがあるものの、これで言葉すら通じなかったとしたら、最悪の場合、土地の不法占拠などの罪で投獄されたり、問答無用で斬り殺されていたかもしれない。

 そう考えると、言葉が通じるようにしておいてくれた神には感謝しなければならないだろう。ついでに文字も読めるようにしておいてほしかったが、そこまで望むのはぜいたくというもの。文字についてはおいおい覚えていくしかない。

 ともかく、雪人は自分の現状がに危ういものかということをようやく自覚した。ここは中世ヨーロッパのような世界なのだ。人命は二一世紀の日本よりもはるかに軽いはず。ここから先は慎重に言葉を選ばなければならないだろう。口はわざわいの元、慎重を期すに越したことはない。

 雪人が緊張した面持ちでゴクリと生唾を飲み込むと、その音が聞こえたものか、アダマントが苦笑しながら口を開いた。

「そう緊張せずともよい。店主よ、貴公は恐らく他国から来たのであろう? しからば我が国の法を知らぬも道理。あまりにちゃちゃな理由でもなければ閣下も罪には問わんだろう。貴公にどんな事情があるのかは分からぬが、ここは素直に話してもらえんか?」

 言いながら、同意を得るようハイゼンに顔を向けるアダマント。ハイゼンももちろんだと頷くのだが、雪人としてはいまだ緊張が解けるものではない。

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