大公ハイゼン・マーキス・アルベイルと始まりのかけそば(4)

「ソバ屋とな? ソバとは一体何だろうか?」

「あれ? お客様はそばをぞんないのですか?」

「うむ、知らんな。アダマントはどうだ?」

「私も存じませんな。初めて耳にする名称です」

 ハイゼンたちがそう答えると、青年は顎に手を当てて少し思案してから顔を上げた。

「そうですか……。なら、せっかくですから試しに召し上がってみますか? 食の好みは人それぞれなどと言いますが、うちのそばはしいと思いますよ?」

「おお、是非に!」

 打てば響くといった具合にハイゼンはすぐさま頷く。というか、元々はその為に入店したのだ。これを断る選択肢は最初から存在しない。

「お外にお連れ様が大勢いらっしゃるようですが、お食事は二名様でよろしいですか?」

「構わん。頼む」

「かしこまりました。では、御注文の方、どうなされますか?」

「えーと、そうだな……。アダマントよ、何であったかな?」

 ハイゼンに訊かれて、物覚えの良いアダマントが答える。

「確かカケソバとモリソバですな」

「そうであった、そうであった。店主、では、カケソバを二つ頼めるか?」

 カケソバとモリソバの違いが分からないので、勘でカケソバにしてみたのだが、青年の言を信ずるに、どちらを頼もうとハズレということはないだろう。

「かけ二つ、承りました。それではお客様、空いているお席へどうぞ」

 そう言って、青年は厨房の方へ行ってしまった。

 店内には自分たち以外に客はいないので、ハイゼンとアダマントはU字テーブルの中央に二人並んで腰掛ける。

「いやはや、何とも楽しみだのう、アダマント」

 少年のようにウキウキとした様子で、楽しそうにそう言うハイゼン。

 王都への往復の旅が本当に心楽しまぬものであっただけに、その反動から、ただ見知らぬ料理を食べるというだけのことが随分と楽しいものに思えてならない。

「閣下。可能性は低いでしょうが、それでも一応毒見はさせていただきますぞ?」

 楽しそうなハイゼンとは対照的に、若干渋い表情でそう言うアダマント。

 敵国、政敵、家督争い、愛憎、醜聞。貴族という人種が毒殺の危険にさらされているのは今も昔も変わらぬことだ。故に王族や上位貴族の食事は常に毒見役が毒見をしてから食べるのが常となっている。確かにハイゼンには危機を察知するギフトがあるが、何事も過信は禁物。

 今回はハイゼンに随伴しているのがアダマントだけなので、毒見は彼がやるしかない。

 不承不承ではあるが、ハイゼンもそれについてはいやと言うことはない。

「まあ、しょうがないことよな……」

「お客様、こちら、お水でございます」

 と、厨房に行った筈の青年が、さして時を置かず戻って来て、二人の前に水の入ったガラス製のコップを置いた。

 成形に寸分の歪みもない均一な、そして全く濁りのない透明なグラスに、同じように濁りのない澄んだ水。しかもどうやって調達したものか、冬でもないのに水の中に氷まで浮いている。

 この一杯の水の何とぜいたくなことか。

「いや、ありがたいのだが、しかし頼んでおらぬぞ?」

 ハイゼンもアダマントも喉が渇いているので水はありがたいのだが、しかし注文したものではないのでいささか困惑している。

 だが、青年は涼やかな笑みを浮かべたままこう答えた。

「お水はサービスになっております。おかわりもございますのでお気軽にお申し付けください」

 普通は店で水を頼むと金を取られる。それは下町の食堂でも貴族街の上等なレストランでも変わらないことであり、身分のせんなど関係ない一般常識でもある。冬でもない季節に氷が入っているとなれば、下手をすれば料理より水の方が高いということもあり得る。しかしながら青年はそんな貴重な水をサービスだと言ってのけた。しかもおかわりまであると。これはきょうがくに値することだ。

「何と、こんな濁りのない澄んだ水が、しかも氷まで入ったものがサービスとな……」

 グラスの水を凝視したまま、ハイゼンはあきれ半分につぶやいた。

 言い得て妙ではあるのだが、自身が王弟であることも大公であることも忘れ、まるで王侯貴族の食卓のようだなと、そのような素っ頓狂なことを思ってしまった。

「そばが出来上がるまで、もう少々お待ちください」

 そう言って青年は再び厨房へ戻る。今度こそカケソバを作るのだろう。

 アダマントが呆然と青年の背を見送っていると、不意に、横から「うむ!」と声が洩れた。

「美味い!」

 何と、アダマントが目を離した隙にハイゼンが毒見前の水を飲んでしまったのだ。

「何をしておられるのですか、閣下!」

 アダマントが慌てた様子で声を荒らげると、ハイゼンは、してやったり、といったふうにニヤリと唇の端を持ち上げた。

「毒はないようだぞ、アダマントよ。安心して飲め。実に上質な水だ。真冬の清流が如くキンキンに冷えておるわ。いや、甘露、甘露」

 そう言ってクツクツと笑うハイゼン。普段はこんなに陽気な様子を見せない彼である、王都での鬱憤もあって、今は本当に楽しいのだろう。

「全く……。閣下が毒見をしてどうするのですか?」

 はしゃぎ過ぎだと呆れるアダマントの肩を、ハイゼンは楽しそうにポンポンとたたく。

「この分だとカケソバの毒見もいらんだろうよ。な、アダマント?」

「そんなわけがないでしょう?」

 そんなふうにあいのないやり取りをしていると、青年が盆にどんぶりを二つ載せて戻って来た。

 どんぶりから立ち昇る湯気が鼻孔をくすぐり、ふんわりと良い匂いがこうに満ちる。どうやら今度こそ料理が完成したようだ。

「お待たせいたしました、こちら、かけそばになります」

 ゴトリ、と重量を感じさせる音を立てて二人の前に置かれるカケソバ。

 ハイゼンとアダマントは同時にどんぶりを覗き込んだ。

 茶色いのに濁りなく澄んだスープに沈む、等間隔で細切りにされた灰色の麺。そして麺の上に載るのは薬味であろう何かの野菜を薄く輪切りにしたものをひとつまみと、黒っぽいような深い緑色をたたえたペラペラとした何か。

 アダマントはこの緑のペラペラが何なのか分からなかった。が、ハイゼンは恐らく、漁師町のごく一部でしか食べられていないとされる海藻のたぐいだろうと見立てている。

 表のガラスケースに置いてあった蝋細工と寸分たがわぬ謎の料理、カケソバ。実にシンプルな、しかして妙に食欲を誘う料理だ。

「おお、これが……」

「カケソバか……」

 ハイゼンとアダマントが同時に感嘆の声を洩らす。

 アダマントは純粋に美味そうだなと思っているのだが、ハイゼンはこの麺がスパゲッティではないことを見抜き、それに驚いていた。

 確かに小麦以外の穀物でも製粉は可能だし、実際にトウモロコシやライ麦、えんばくなどを粉にしたものは存在している。だが、それでも小麦粉以外の麺というのは、少なくともこの大陸には存在していない。仮に大麦やライ麦の粉を使ったとしても、ここまで見事な灰色に発色することはないだろう。しからば何の粉を使っているのかというと、そこが謎なのだ。

 更に言うと、麺をスープの具にする料理というのもカテドラル王国には存在しない。麺はソースを絡めて食べるものであり、何かの具になるものという認識ではないからだ。

 このカケソバ、一見するとただの麺料理でしかないが、深く鋭い洞察力を持ったハイゼンからすると、現物を見てその謎は更に深まった。元は王族であり、数々の国の料理を口にしてきたハイゼンですら知らぬ、未知の穀物が使われた料理。これは実に興味深いものだ。

「店主、フォークもスプーンもないようだが?」

 ハイゼンが考え込んでいる横で、どんぶりから顔を上げ、アダマントがそう青年に質問した。青年がカトラリーの類を持って来るのを忘れたのだと、そう思ったのだ。

 すると、青年は何かに気付いた様子で「ああ……」と声を洩らした。

「当店のそばは割り箸を使って食べるものなのですが、お客様、お箸は使えますか?」

 青年が微笑を浮かべたままアダマントに質問を返す。

「オハシとは何だろうか?」

 察するに、オハシとはカトラリーの類、それも料理と同じく異国のものなのだろうが、しかしアダマントはそんなもののことは全く知らない。ナイフでもフォークでもスプーンですらもないものなど存在するのかと困惑するばかりだ。

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