大公ハイゼン・マーキス・アルベイルと始まりのかけそば(3)

「………………のう、アダマントよ」

 ぼうぜんとして謎の店を見つめたまま、ハイゼンはおもむろに口を開いた。

「は……」

 ハイゼンの前に佇むアダマントも静かに口を開く。

「これは確かに奇妙だな」

「で、ありますな」

 同意してアダマントも頷く。ハイゼンほどではないにしろ、アダマントもまた博識な貴族。この店の異質さはハイゼンに言われるまでもなく理解している。

「アダマントよ」

 もう一度ハイゼンがそう呼んだところで、アダマントは向き直って首を横に振った。

「いけませんぞ、閣下」

「おいおい、まだ何も言うておらぬぞ?」

 そう言って苦笑するハイゼンに、アダマントもまた苦笑を返す。

「ここに入ってみたいとおっしゃられるのでございましょう?」

「うむ」

「いけません。まだ、何があるか分かりません。まずは我らが……」

 と、アダマントが最後まで言う前に、ハイゼンはあることに気付き、カッと目を見開いて店の中を指差した。

「お! アダマント、見よ、人がおるぞ!」

「え?」

 アダマントも慌てて店の方に振り返る。

 いつの間に現れたものか、確かに店の中に一人だけ人がいた。

 見たところ、人種はハイゼンたちと同じヒューマン。

 恐らくはちゅうぼうの中にいたか、二階から降りて来たのだろう。見たこともない珍妙な服装、恐らくは異国のものだろうが、それを着た青年が、ガラスケースのものと同じ器に盛られた料理を食べている。

 武装はしていないようだし、殺伐とした雰囲気もまとっていないことから盗賊ではないだろう。

 彼はこちらに背を向けているから器の中身も表情も分からないが、それにしてもすごい勢いで食べている。見ているだけで、あの料理はいのだろうな、と、そう思わせる食いっぷりだ。

 空腹も手伝ってか、思わずゴクリと喉が鳴る。

 青年が美味そうに料理をがっついている様子を黙って見つめるハイゼンの一団。

 ややあってから、ハイゼンは静かに口を開いた。

「…………なあ、アダマントよ」

「は」

「これは、危険はないのではないか?」

 歳若い騎士たちはそうでもないだろうが、ハイゼンやアダマントは戦争を経験した世代だ。ハイゼンよりも年上のアダマントなどは、実際に戦場すら踏んでいる。キナ臭さが漂う場所ならば多少は鼻が利くのだが、今のところ、この場所からはそんな殺伐とした空気は感じない。それどころか、とても穏やかな、心安らぐ雰囲気すら感じる。

「一見すると、そう思えますな」

 アダマントもハイゼンの言葉に同意するよう頷いているが、しかし騎士団長としての責任感から警戒を解いてはいないようだ。

 相変わらずの堅物っぷりだと苦笑してから、ハイゼンは彼に向き直り店を指差した。

「入ってみぬか? 人がいるのだから事情をいてみればよかろうて」

「いや、しかしですな……」

 彼も感覚的にはこの店に危険がないことを理解しているのだろうが、しかし万が一のことを考えて難色を示しているようだ。

 だが、こういう時のハイゼンは悪い意味で行動的だ。

「そう言わず入ってみよう。私はあれを食してみたい。貴公もそうであろう?」

 青年が美味そうにがっついていた謎の料理。王族として、そして大公として各国の様々な美食を口にしてきたハイゼンではあるが、あの料理は食べたことはおろかこれまで見たことすらもない。実に興味深いことである。ごく単純に、あれを食べてみたい。

 アダマントも似たようなことを考えているのだろうが、役目柄簡単には頷けないらしい。

「ですが、まずは念入りに調べてみぬことには。毒を盛られる可能性もあるのですから、軽々に閣下を入店させることは出来ません」

「ならば調べてみるか。どれ……」

 と、ハイゼンは唐突にアダマントよりも前に出て、右てのひらを店の壁に押し当てた。

「あ! 閣下!!」

 罠などあっては一大事だと、アダマントは慌ててハイゼンを止めようと動くのだが、その前にハイゼンが自ら右手を下げる。

「…………ふむ。大丈夫だ、アダマントよ。ここに『赤』は出ておらぬ。この店は『青』だ」

 ハイゼンが神から授かったギフト『危機察知』。

 このギフトの力は自らの手で触れた物体に、自分に対する敵意や害意、単純に言えば危険がないかが分かるというものだ。危険があれば赤く発光して見え、無害ならば青く発光して見える。ハイゼンの目に、この店は青く発光して見えた。危険はない、つまりは安全だということだ。

「閣下、軽々にそういうことをなされますな。肝を冷やしましたぞ。そういうことは……」

 何事もなかったことにあんしつつも、ハイゼンの突飛な行動に対し、アダマントはたしなめるような言葉を口にしようとした。

 が、ハイゼンはそんなことを気にする様子もなく、好奇心に突き動かされるまま、ずんずんと歩を進めて店の入り口に向かって行く。

「先に入るぞ」

「あッ! もう、閣下!」

 アダマントも慌ててハイゼンの後を追うのだが、ほんの一瞬だけ振り返り、残された騎士たちに指示を与える。

「私が閣下の隣に付く。可能性は低いだろうが、お前たちは決して警戒を解くな。異変があれば即時店内に突入せよ。分かったな?」

「「「「「は!」」」」」

 騎士たちが返事をしたことを確認してから、アダマントも小走りでハイゼンの隣に付く。そうして二人揃って店の入り口に立ち並ぶと、何と手も触れていないのに自動的にガラス戸が開いた。恐らくは魔導具だろう。扉を開く為だけに高価な魔導具を設置するとは何とも豪奢なことである。こんな仕掛けは王城にすらもない。

 ハイゼンもアダマントも内心では驚いていたが、それはあえて顔にも声にも出さず、表面上は平静を保ったまま店内に歩を進めた。

「すまんのだが、よろしいか?」

 店の入り口から一歩踏み込み、ハイゼンが青年の背に声をかける。

 すると、青年は驚いた様子でビクリと肩を震わせてから立ち上がり、何やらぎこちない動作でハイゼンたちの方に顔を向けた。

 黒髪黒目に少し日焼けした肌。ここいらではあまり見ない特徴だが、エルフやドワーフのようなヒューマンに似た人種ではなく、やはりハイゼンたちと同じ純血のヒューマンのようだ。他人種との混血の特徴も見られない。

「え? ん? あれ、いつの間に……?」

 青年はどうやらハイゼンたちが現れたことに戸惑っている様子。店に客が来たというのに、どうして戸惑っているのだろうか。

「「……?」」

 ハイゼンとアダマントが不思議そうに見つめていると、青年はどうもくした様子で静かに口を開いた。

「……も」

「も?」

「も、も、も……もしかして、お客様ですか!?」

 青年が突如大きな声を出したもので、ハイゼンとアダマントは多少驚きつつも頷いて見せる。

「え? あ、ああ……。そう……だな、うむ、そうだ。客だ」

 本当はどうしてこんな場所に店を建てたのか、どうやって巡回の兵に見つかることなく建てたのかなど、最初に事情を訊こうと思っていたのだが、青年の勢いにされてつい頷いてしまった。

 ハイゼンが頷いたのを見た途端、青年はそれまでの様子がうそのようにニッコリと笑顔を浮かべ、姿勢を正して二人の前で頭を下げた。

「いらっしゃいませ、お客様。当店、だいつじそばへようこそいらっしゃいました。うちはそば屋なのですが、今はかけそばかもりそばしかお出し出来ないんです。それでも構いませんか?」

 青年はツラツラと流れるような言葉運びでそう訊いてくる。

 が、しかしハイゼンもアダマントもそれには答え様がない。青年の言う、ソバなるものを二人とも知らないからだ。カケソバとモリソバというのは、多分ソバとやらの種類のことなのだろうが、それらがどう違うというのかも二人には見当が付かない。

 元は王族であったハイゼンをして未知なる料理、ソバ。知らぬとなればぜん興味が湧いてくる。

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