大公ハイゼン・マーキス・アルベイルと始まりのかけそば(2)

 すると、外にいた一人のとし若い護衛騎士が馬車の扉を開けてその場にひざまずく。

「ご報告いたします! 街道の脇に、往路では見なかった不審な建物を発見いたしました!」

 その報告を聞いた途端、ハイゼンとアダマントがそろって首をかしげる。

「不審な建物とな?」

「は! これまで見たこともない様式の怪しい建物でございます!」

「見たこともない様式? どうにも要領を得んな。怪しい建物とは何か、具体的に説明せよ」

 アダマントがそう言うと、騎士は少し困った様子でゆっくりと答え始めた。

「それが、その……如何いかんとも形容し難く、実際に見ていただいた方が早いかと…………」

 どうも歯切れの悪い言葉である。

 この騎士は普段から何事もよどむことなくハキハキと答えるのに、それが言葉に詰まっている様子。ということは、くだんの建物とやらはそれだけ言い表すのが難しいものなのだろう。

 アダマントは顎に手を当てて「ふむ……」とうなり、考え込んだ。

「……そんな奇妙な建物が、こんな何もない草原の真ん中にあるのか?」

「は! 左様にございます!」

「アダマントよ。我らがアルベイルを発ってより……」

 言いながらハイゼンが顔を向けると、アダマントがゆっくりと頷く。

「は。約二ヶ月でございます」

 たった二ヶ月の間に、何もない場所に建物を建てる。

 掘っ建て小屋のような粗末なものならば可能かもしれないが、しっかりとした建物であるならばそれはいささか難しいだろう。

 地盤を固め、基礎を築き、骨組みを作り建物にしていく。これを僅か二ヶ月でやったというのなら名工も仰天の早業だ。

「こんな目立つ場所に盗賊の拠点……ということもなかろうな」

「巡回の兵もおりますれば、可能性は低いかと」

 街道はアルベイルの兵士が巡回しているので、誰かが無断で建物を建てていればそれを見逃す筈もない。ハイゼンの覚えている限り、官の側でこんな場所に何かを建設する予定はなかったし、民の側からもそういう届け出はなかった。仮に盗賊が勝手に拠点を建設しているのならば、なおのこと見逃される筈がない。ないとは思うが、万が一、巡回の兵士が盗賊から袖の下を受け取って見逃していたのだとしても、街道を通る一般市民が通報する筈だ。

「ふむ。まあ、民家や商店の線も薄かろうな。とすれば、何だ?」

「こんな場所で勝手に農家や牧場をやるとも思えません」

 税金が高いから、都会の生活にへきえきした、あるいは人間関係に疲れたからと、都市の暮らしを捨てる者は一定数ではあるが存在する。そういう者たちは、普通であれば村か町へ移り住む。人里から離れた場所で暮らしていると、盗賊や野生動物などに襲われる危険性が高まるからだ。いくら牧畜に適しているからと、街道からも外れた草原に家を建てて暮らすなど恐れ知らずが過ぎるだろう。

「何だか妙に気になってきたな。どれ、ちと見てみようか」

 そこに住んでいる者もさることながら、言葉として表現するのも難しい建物というのも気になる。

 ハイゼンは孫がいてもおかしくない老成した男性ではあるが、持ち前の好奇心は衰えていない。そして今、その好奇心が大いに刺激されている。その建物とやら、是非とも見てみたい。

 だが、腰を上げようとしたハイゼンをアダマントが慌てて制止した。

「閣下! 何があるか分かりません! ここは我らにお任せを!」

 アダマントの心配は護衛としては当然のことだし、本来ならばありがたいことなのだが、いささか過保護が過ぎるのではないかと、ハイゼンはそのように思う。

「そう堅いことを言うな、アダマントよ。何も入りたいと言うのではない。遠目に見てみるだけだ」

「そうは言われますが、しかしですな、閣下……」

 それでも弓矢なり遠距離攻撃魔法などで攻撃されれば危険だし、何かわなを仕掛けられている可能性も十分にある。

 だが、それを言ったところでハイゼンの好奇心がとどまることはない。長い付き合いのアダマントだから分かることだが、これは正直彼の悪い癖だ。

 言葉にこそ出さないものの、アダマントは露骨に渋面を作ってハイゼンに無言の抗議をする。

 が、やはりそれで止まるハイゼンでもない。

「貴公より前には出んようにする。それでどうだ?」

 護衛騎士たち、特にアダマントの顔を潰す訳にもいかず、ハイゼンはそう譲歩案を出す。

 すると、アダマントは深いため息をついてから渋々といった様子で緩慢に頷いた。

「…………はぁ。いざとなったらすぐにお逃げくだされよ?」

「心得ておる。さ、行こう」

 そう言って揚々と馬車を降りるハイゼン。

 アダマントはもう一度深くため息をついてから、少し遅れて馬車を降りた。


   ◇◇◇


 ハイゼンはカテドラル王国で唯一大公位に就く貴族だ。

 若い頃はきらびやかな王族の生活も体験したし、公務でいくつかの外国に赴いたこともある。世界有数の大国と言われるアードヘット帝国の帝都にさえも行ったことがある。だが、そんなハイゼンをして、目の前にたたずむ謎の建物はこれまで見たこともない異質なものだった。

 建物の規模自体はそこまで大きくもない。民家にしては大きいかもしれないが、商家や宿であればこのくらいの大きさは珍しくない、妥当というところだ。

 だが、前面がガラス張りになっており、しかも一切濁りもゆがみもない透明な板ガラスなのだ。

 ガラスというものはここ数十年で製法が発見された、希少で高価なものである。少しくらい濁りやと歪みがあろうと、その価値はいささかも揺らぐものではない。

 しかも、ガラスはそれそのものが一種の芸術品として扱われており、ごくごく一部の王族や上位貴族の屋敷、都会の大きな教会くらいでしか目に触れる機会はない。平民の中には、そもそもガラスというものを知らない者も多いだろう。

 そんな貴重なガラスが惜しげもなく使われたこの建物。ここまでの精度のガラスは、若き日に赴いた帝都ですらも見たことがない。このガラスを製作した職人は神域に達した名工だろうか。

 そして、建物の前に設置された、これまた見事なガラスケースに鎮座する謎の料理。表面がテカテカと輝いているから恐らく本物の料理ではない、ハイゼンの見立てではろうざいだろうが、これも精緻ここに極まれりといった見事な出来栄えだ。蝋でこのような精緻な細工をする職人など、博識なハイゼンをして一人として知らない。ギフトの力によるものだろうか。

 また、建物に掲げられた大きな看板も見事なものだ。大陸の共通言語を含め、五ヶ国語を話すハイゼンですら知らぬ謎の文字が記されているのだが、これは恐らく店名と思われる。

 にわかには信じ難いことではあるが、この建物は食堂であり、ハイゼンですらも知らぬ異国の料理を提供している。そうと見てまず間違いない。

 こんな場所に異国の食堂とは、何と妙な光景なのだろうか。

 今現在、騎士たちが油断なく建物を囲んでいるが、食堂側に特に変わった様子はない。

 店内から誰かが出て来る気配もないし、そもそも内部に人の気配が感じられないのだ。ガラスからのぞく店内には誰の姿も見受けられない。中から謎の音楽に合わせた歌声がかすかに聴こえてくるのだが、これもやはりハイゼンの知らぬものである。曲調からしてもカテドラル王国の音楽とは大きく異なっている。これも異国の音楽だろう。だが、妙に耳みのいい歌だ。店内に歌手や楽隊がいる訳でもないので、多分、音を記録して流す魔導具を使っているのだろう。何ともごうしゃなことだ。

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