大公ハイゼン・マーキス・アルベイルと始まりのかけそば(1)

 一般に旧王都と呼ばれる大公領の領都アルベイル。

 当時、第二王子であったハイゼン・マーキス・カテドラルは、兄ヴィクトル・ネーダー・カテドラルが王位に就くと同時に降臣して大公位を賜り、ハイゼン・マーキス・アルベイルと名を改めた。

 そしてハイゼンが大公として与えられた領地は、旧王都と呼ばれるアルベイル一帯であった。

 旧王都という呼び名の通り、アルベイルはかつてこのカテドラル王国の王都であった。

 だが、五〇年も続いたウェンハイム皇国との戦争によりアルベイルの地は大いに荒れ、結果として王家は新たな土地に遷都することとなったのだ。

 ハイゼンが大公位を賜った時点で終戦から一五年が経過していた。

 降臣の際、兄王からハイゼンに与えられた使命は、アルベイルの立て直しである。

 ハイゼン青年が大公となってより早三〇年。

 かつての青年も今やかんろくある壮年となり、今日においてはアルベイル大公ここに在り、とまで言われるようになっていた。

 この三〇年、ハイゼンはともかく旧王都の復興に尽力してきた。

 ウェンハイム皇国との戦争に手を取られ、満足に修繕されることもなく放置され続けてきたかつての王都アルベイル。

 王家は遷都して新しい王都を築き、アルベイルを見放したと国民は誰もが思っていた。

 王家に置き去りにされたアルベイルの民は当然のことながら怒りや不安、不満といったネガティブな感情を抱き、ともすればそれは爆発して矛先が王家に向くことすらも考えられたが、それを阻止して荒れた旧王都を立て直したのが他ならぬハイゼンである。

 王家はアルベイルを見捨ててなどいない、王弟ハイゼンが領主となったのがその証拠だと言わんばかりに、ハイゼンは粉骨砕身アルベイルのために働いた。

 自身の生家でもある旧王城の修繕は後回し、まずは民家や教会、官営施設の修繕及び復旧から始まり、遷都と同時に流出した領民の数を回復させる為の施策の数々、戦後や遷都の後も残ってくれた領民へのケア等、私事は後回しにし、最後に行ったのが旧王城の修繕だった。

 旧王城の修繕が終わったのは、ハイゼンが大公となってから二八年後、今から僅か二年前のことである。

 ハイゼンにとって、この三〇年間は長いようで短いものであった。

 寸暇を惜しみ、妻すらめとる暇もなく滅私奉公し続けた。全てはアルベイル領民の為、カテドラル王国の為、そして何より王となった兄の治世を支える為。

 その結果、アルベイルは三〇年前とは見違えるような活気あふれる街となった。

 人々には笑顔が戻り、街はふうこうめいな古都として名声を取り戻したのだが、それに反比例するようにハイゼンの顔からは年々笑顔が消えていった。

 私心を殺して三〇年間も民の為、国の為と常に気を張って働き続け、心癒やされる家庭を作る暇すらもなかった故だろう。

 気が付いた時には眉間に深いシワが刻まれたまま戻ることがなくなり、その心楽しまぬ険しい表情も相まってか、いつからか王都のほう貴族たちから「憤怒の大公」などと陰口を叩かれるようになってしまった。

 別に怒っている訳ではない。ただ単に気を抜く暇もなく張り詰めているだけで、本人は大公として私心抜きにごく真面目に公務に取り組んでいるだけなのだ。

 が、それがどうも周りからすると怒っているように見えるらしく、うわさばなしが好きな口さがない貴族たちの間では、ハイゼンはボロボロになったアルベイルを国王から一方的に押し付けられたことに怒っており、今でもその怒りの炎は鎮火していないと、そう言われているらしい。

 ハイゼンも貴族なので、一年のうち数ヶ月はどうしてもアルベイルを離れて王都に滞在する。

 そして、王都に行く度に自らに関する先の噂話が耳に入るのだ。本人は別に怒りなど感じていないのに、大公閣下は国王陛下の沙汰に対してお怒りだと。

 当初は馬鹿な話だと一笑に付していたのだが、その噂話があろうことか兄である国王の耳にまで上るようになると、そういう訳にもいかなくなる。ボロボロになったアルベイルを押し付けたことで弟が自分のことを恨んでいる、まさかふくしゅうたくらんでいるのではないか、何か理由を付けて弟を抹殺すべきではないか、などと兄に思われてはたまったものではない。

 ハイゼンには他意など一切ない。なのに国王に対して自らの潔白を証明する羽目になったのだ。

 自分は怒ってなどいないし、国王に翻意を抱いたこともない、そもそも復讐などという物騒な考えに至ったことすらもない、お疑いなら誰か監視をしてくれても構わないと、ハイゼンはわざわざ王都に赴き、そう王の前で弁明した。

 我がことながら、実にむなしい口上である。

 結果として、国王はハイゼンの忠誠を疑ったことは一度もない、むしろその献身に対し深く感謝しているとまで言ってくれたのだが、当のハイゼン本人の心労は筆舌に尽くし難いものがあった。

 わざわざ確認したことなどないが、恐らくは王の息がかかった者が配下に紛れ込み、逐次王都に情報を届けられているだろうから、言葉の裏は取れているはず。故にハイゼンが罰せられることもなかったのだろうが、疑心暗鬼や不幸が重なれば、最悪の場合、血を分けた実の兄に手を下されることもあり得たのだ。

 夜会において噂話に華が咲くのは貴族の常だが、その無責任さには憤るばかりである。

 実の兄に対する虚しい弁明を終えた帰り、王都から領都アルベイルに帰る道中、ハイゼンは馬車の中でずっと意気消沈してため息をらしていた。

 昔はこんなことなどなかった。ハイゼンと兄は同腹の兄弟、しかも双子だ。腹違いの者も含めて弟妹は何人もいたし、仲も悪くはなかったのだが、ハイゼンと兄のきずなの強さとは比べものにならないと、当時は本気でそう思っていたのだ。

 まだ若かったあの頃、降臣したところでその絆の強さは変わらないだろうと、ハイゼンも兄も笑い合っていた。それが今やはるか大昔のことのように感じてしまう。

 国王と家臣の関係と考えれば今現在のそれが適切な距離なのかもしれないが、双子の兄弟としては隔絶されてしまったと言っても過言ではない。

 ハイゼンはもう五〇を超えた壮年だが、それでも今回のようなことがあると言い様のないさびしさが心の中に去来する。昔のような関係に戻りたい、仲の良い兄弟、お互いに温かな家族であったあの時間に戻りたいと、そんならちもない考えが頭の中をグルグルと渦巻くのだ。

「………………ふう」

 こんな心持ちで、これから先も大公としてやっていけるのだろうか。

 そろそろ国王に暇をいただいて、か静かな田舎いなか町にでも引っ込んで、世俗から距離を置いた方がよいのではないだろうか。

 長い間ずっと頑張り続けてきたのだから、ここいらでもう肩の荷を下ろして、後は若者にでも任せてホッと一息つきたい、兄もきっとそれくらいは許してくれるに違いない。

 そんな弱気なことばかり考え、いや、まだ自分は頑張れる筈だと重い息を吐く。今日だけでそんなことを何度繰り返しただろうか。

「閣下……」

 対面に座る中年の護衛騎士、アルベイル騎士団の団長アダマントが、何か言いたそうな顔をしているが、しかしハイゼンの眉間に刻まれたシワが普段より一層深いのを見て黙り込む。

 いらぬ心配をさせたかな、と、ハイゼンは思わず苦笑してしまった。

「案ずるな、アダマントよ。別にな、何でもないのだ。いつもの気鬱だ。王都からの帰りはいつもこんなものであろう。な?」

「は……」

 アダマントは静かにうなずくが、行動に反して納得している様子はない。

 彼とは王族時代からの長い付き合いである。きっと、ハイゼンの内心を見抜いているのだろう。

 そういう彼にもう一度苦笑してから、ハイゼンは口を開いた。

「それよりも腹が減ったな。貴公はどうだ、アダマント? 何ぞ……」

 簡単につまめるものでもなかろうかと、ハイゼンがそうたずねようとした時、だか急に馬車が停止した。領都アルベイルはまだまだ先で、付近に村や町もない筈だ。

 急停止による馬車の揺れに耐えてから、一体何事だとアダマントと顔を見合わせる。

「何事だ!?」

「どうしたというのだ!?」

 何か緊急事態でも生じたのだろうかと、二人は慌てて声を上げた。

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