ギフト【名代辻そば異世界店】(2)

 そう唱えた次の瞬間である。

 まるで魔法のようにボフンと音を立てて、それまで雑草しか生えていなかった場所に、いきなり名代辻そばの店舗が出現した。

「お、おお……ッ!? すごい、本当に水道橋店だ!」

 興奮のあまり、雪人は思わず感嘆の声を上げてしまった。

 眼前に突如として出現した、見慣れた辻そばの店舗。

 それが思った通り、自分が店長として切り盛りしていく筈だった水道橋店の店舗そのものだったからこその興奮である。

 これで、この異世界でも辻そばをやることが出来る。

 この未知の世界で、本来は死んでしまったあの日から始まる筈だった、名代辻そば従業員としての人生第二幕を開始することが出来る。

 最初は、こんなへんな場所に送りやがって、と、ちょっと憤っていた雪人だったのだが、今はむしろ神の粋な心遣いに感謝していた。

「どれ、早速……」

 いつもは従業員用の裏口から店に入るのだが、今回は堂々と表から入る。

 雪人が近付くと、一体何処から電力が供給されているのか、人感センサーが反応して自動ドアが開いた。

 誰もいない店内だが、天井のスピーカーから流れる、聞き覚えのある演歌が雪人を出迎える。

 辻そばと演歌は切っても切り離せないもの。

 この演歌がなければ辻そばの落ち着ける雰囲気が出ないのだ。

 まさか異世界でもこうして演歌が聞けるとは思っておらず、自然と目頭が熱くなった。

「へっ、神様も粋なことなさるね」

 この場に一人きりだというのに、雪人は照れ隠しのように鼻の下をこする。

「しかし、本当に寸分違わず水道橋店だな」

 店の中央に位置する特徴的な細長いU字のテーブルと、スクエア型のテーブル。

 奥はちゅうぼうになっており、その厨房の更に奥に従業員用のバックルームがある。

 店の隅には男女兼用の手洗い用個室。

 その個室の横にある階段は初めて見るものだが、恐らくはこれが居住スペースになっているという二階へ続く階段なのだろう。

 本来なら入り口付近に券売機が設置してあるのだが、それは見当たらない。

 代わりに会計用らしきカウンターと古めかしいレジスターがある。

 異世界では食券というものが浸透しないと考え、神が券売機を排除したのだろうか。

 卓上のメニューを手に取って見てみると、日本語のメニュー表記の上に、解読不能な謎の文字で何か書かれていた。

 恐らくではあるが、これがこの異世界で使われている文字なのだろう。

 地球の、少なくとも雪人の知る限りの文字とは全く共通点がない。

 今のところメニューに載っているのはかけそばともりそばのみ。

 これはやはり、ステータスの説明文通り、ギフトのレベルを上げなければ増えないのだろう。

 かけそば、もりそば、値段はどちらも三四〇コルとなっている。円ではない。

「ん? コル? この世界の通貨単位のことか?」

 辻そばのかけそばともりそばはどちらも本来三四〇円。

 こちらの世界でも同じ三四〇だということは、一コル一円と考えて良いということだろう。

 円とコルとのレート差を考えるような面倒なことにならず、雪人としてはありがたいのだが、実に奇妙な一致である。

「ま、いっか。早速厨房をのぞいてみよう」

 二階がどうなっているのかも気になりはするのだが、やはり最も気になるのは厨房だ。

 ここがちゃんと本来の辻そば式になっていなければ話にならない。

 カウンターの脇から厨房に入ると、見慣れた道具の数々が雪人を出迎えた。

 大きなずんどうの中で湯気を立てる温かいほうじゅんな香りを漂わせるかえし、棚に並んだ食器、バットに盛られた薬味のねぎ、巨大な業務用冷蔵庫。

「ああ……これだ…………本当に辻そばだ………………」

 異世界でも変わらずそこにある、名代辻そばの厨房。

 雪人の身体は感動で小刻みに震えていた。

 そして何より、寸胴から漂う出汁の香りがこうを満たし、あらががたいほどの郷愁をてる。

 もう辛抱たまらんと、雪人は早速生のそばをひと玉手に取り、大鍋でで始めた。

 数分茹でてからてぼを寸胴から取り上げ湯切り、そばつゆを注いだどんぶりにさっとそばをあけてねぎとわかめをひとつまみ。

 長年の手癖でささっと作ってしまったが、ともかくかけそばの完成だ。

 熱々のどんぶりを手に持ってテーブル席へ。

 パパッと七味をかけてから割り箸をパキリと割り、一息にずぞぞ、とすすり込む。

「ああ、ああ、い……。これだよ、これ、うん、うん…………!」

 そのまま一気にそばをらい、つゆまで飲み干す雪人。

 ギフトによって生じたものなので少し不安だったが、これは見事に名代辻そばのかけそばだ。

 心地よいコシのある七三のそば。

 かつおと昆布の合わせ出汁と特製のかえしを合わせた薫り高いそばつゆ。

 ぴりりと辛味が利いたねぎ、わかめ、そして七味唐辛子。

 この温かさも、喉を通る感覚も、胃にまる感覚も、全てが本物。

 そこにうそは、作りもの、偽物だという感覚は何もない。

 これならば大丈夫だ。この異世界でも辻そばをやっていける。

 雪人がそう確信し、思わず笑みを浮かべたところで、不意に、店の自動ドアが開いた。

「すまんのだが、よろしいか?」

 驚いて雪人がどんぶりから顔を上げると、店の入り口付近に一人の男が立っているのが見えた。

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