異世界の名は【アーレス】

 異世界への転生について一通りの説明を終えると、神は苦笑しながら腕を組んだ。

「しかし、君は随分と不思議な子だね。今まで何人も異世界人を私の世界に転生させてきたが、そば屋をやりたいと言ったのは君が初めてだよ」

 ゆきも神がそう言うのは分かる。

 普通の人、若者あたりは勇者か権力者、あるいは資産家あたりになりたいと望むのだろう。

 若者よりももう少し年齢を重ねて落ち着いた年代ならば、のんびりとした生活、所謂いわゆるスローライフが送りたい、といったところか。

 ともかく、雪人が選んだ道はそのいずれでもない。

 つじそばであくせく働く道だ。

 自分から進んで労働したいと願う者を見るのは、神にとっても珍しいことなのだろう。

「ただのそば屋じゃないぞ、だい辻そばだ。辻そばじゃなければ駄目なんだよ」

 念押しするように雪人が言うと、神は若干苦笑しながらもちろんだとうなずいた。

「分かっているとも。名代辻そば。そんなに何度も聞いていれば嫌でも覚える」

「確認するが、本当にあんたの世界でも俺は辻そばが出来るんだな?」

 神によると、雪人には異世界で辻そばを営むためのギフトが与えられるらしい。

 だが、その詳細はまだ雪人にも知らされていない。

 内容をたずねても「後のお楽しみだから今は内緒」とはぐらかされてしまうのだ。

 相手は神、全知全能の存在。

 だから雪人も基本的には神のことを信じてはいるのだが、しかし彼が細部まで辻そばのことを理解してくれているのか、そのことだけが気がかりだった。

 そんな雪人の不安を見て取ったのだろう、神は自信あり気に頷いて見せる。

「君の記憶を基に作ったギフトだから問題はないと思うが、十全に店を営む為にはギフトを使い込んでレベルを上げる必要がある」

 レベル上げ、という不穏なワードを聞いた途端、雪人は思わず驚きの声を上げてしまった。

「え!? レ、レベル上げだって? そんなゲームみたいなことしなきゃいけないのか? 魔物と戦うなんて御免だぞ? 自慢じゃないが、俺はケンカとかはさっぱりなんだ!」

 雪人は完全な文系で、武術は全く習ったことがないし興味もなく、また、幸いにして暴力とは縁遠い人生を送って来た。

 それ故、戦いというものを全く経験したことがない。

 魔物のような恐ろしい存在とたいしたところで、恐怖に震えているうちにわれるのがオチだ。

 神はまたしても苦笑して「大丈夫だよ」と言いながら雪人の肩をたたいた。

「君のギフトは戦闘向きじゃないから、ちゃんと別の方法でレベルが上がるように調整してある」

「そうか、ならいいんだ……」

 あんして胸をろす雪人を見ながら、神はうんうんと頷く。

「詳しいことは現地に到着してからゆっくり確認するといい。ステータスオープン、と唱えればギフトの詳細も分かるよ。口に出して唱えても、心の中で唱えてもいい」

 ステータスオープン。

 雪人の勘が間違っていないなら、恐らくはそれでロールプレイングゲームのように自分のステータスを確認することが出来るのだろう。

 神がくれたギフトの使い方やレベルを上げる方法なども、そのステータスを見れば分かるはずだ。

「分かった。しかし、現地ねえ……。俺はあんたの世界で赤ん坊から人生をやり直すのか?」

 そう雪人がくと、神は「違う違う」と首を横に振った。

「地球で亡くなった時の姿のままやり直すんだよ。私の力で肉体を現地で再構築してから、魂を肉体に転送する。君は、人生の続きを私の世界で送るのだと思えばいい」

 それは転生と言うよりも転移に近いんじゃないか、と思ったが、実際問題雪人は確かに死んでいるので、これも転生と言うのだろう。

 過去にプレイしたゲームでもこういう描写は見たことがある。

に送られるのか知らないけど、なるべく治安が良くて人が多い地域にしてくれよ? 目覚めたらいきなり魔物に囲まれていた、なんてのは勘弁だからな」

 せっかく転生したというのに、早々に危機的状況の中に放り込まれるなど御免被りたい。

 月並みな願いではあるが、次の人生では出来るだけ長生きしたいのだ。

 長生きして、ずっとやりたかった辻そばをやる。

 異世界の人たちが相手であろうと、きっと、雪人の愛する辻そばは受け入れてもらえる筈だ。

 いものに国境はない。世界の隔たりすらも関係ない。

 辻そばは必ず異世界の人たちにも愛してもらえると、雪人はそう強く信じている。

 雪人の懸念を否定するよう、神は首を横に振った。

「魔物はダンジョンにしか生息していないから、その心配はしなくてもいい。肉食の野生動物とか山賊とかはいるけど、そういうのも心配しないでいいよう、なるべく安全な場所に送るから」

「そうしてくれると助かるけど、でも山賊とかいるのか……」

 山賊。現代日本にはまずいない存在だが、異世界の山賊とはどのような者たちなのだろう。

 やはり、いのししか熊の毛皮でも着て、大きなおのを持っているのだろうか。

「不安だなあ……」

 神はもう一度「心配しなくていいから」と言うと、右手を上げててのひらを雪人に向けた。

 見れば、その掌が白く発光している。

「では、そろそろ送るよ。準備はいいね?」

「全然良くないけど、それでも送るんだろ?」

 雪人が訊くと、神は、ふ、と苦笑しながら頷く。

「まあね。じゃ、行っておいで、地球の子よ。我が世界、アーレスでの人生を楽しんでおいで」

 神がそう言い終わるや否や、雪人の身体からだまばゆいばかりの白光に覆われた。

 熱さなどはないが、目もくらまんばかりの強い光だ。

 発光はしばらく続き、やがてその輝きがせると、雪人の姿もその場から消えていた。

 神の力によって異世界に送られたのである。

「願わくばアーレスに新たな風を吹かせておくれ、地球の子よ」

 残されたのは自分だけとなった天界で一人、神は届かないと分かっていつつも、下界に向かった雪人に最後の言葉を送った。

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