第4話「はぐれ魂案内所」私は目を疑った。幽霊が、働いている!!
日頃からとんでもない目に遭っている私にとっても、かなり特殊な出来事だった。これは私のとある一日の、忘れられない体験談。ちょっとだけ、話を聞いてもらえますか?
***
その日はなんと、猫の幽霊が憑いてきてしまった。右肩に猫チャンが捕まって、腕が上がらなくなった。しかも耳元でずっとシャーシャー威嚇してくるのだ。
悪かったとは思うよ? その子の縄張りであるらしい牛舎を通りかかったこと。こちらこそ、たまたま「視える」人間だっただけ、なんですけどね……。
大学生になったから実家から出て寮生活、もちろん、学生生活はキラキラで、満喫している。高校と違って大学は、自由にできる時間が多い。寮生たちもみんなすっかり顔見知りに。付かず離れずの大人の友人関係で、何かと言うと軽く集まり、騒いで過ごしている。
でも、いくら生活が明るいものだとしても、切っても切れないのが私のこの霊感体質というやつだった。大学の建物はほぼほぼ新しいのだけれど、この辺りはかつて、第二次世界大戦において日本各地へ空襲が行われていた頃、傷病施設があったらしい。
私にはそれが構内のどの辺りかが分かってしまう。施設群の最奥、サークルや部活で使われている武道場だ。入部するサークルを見学する流れで、その場所に近づいたことがあるけれど……強すぎる霊の気配、私はその姿を目にする前に、気を失ってしまった。
明らかに防衛反応だった。もしもその霊、あるいは霊たちと向き合ったとき、正気で居られる自信が無い。私は自分が倒れた本当の理由は口外しなかったけれど(そういう話をしてしまうと、必ず何人かから、嘘吐きのレッテルを貼られてしまうのが、しんどいからだ)、元々いわくがある場所として、有名だったようだ。見えない人々にとっても、いろいろと奇妙な現象が起きる場所だという共通認識はあったらしい。そこで私がぶっ倒れてしまったがために、けっこうな騒ぎになった。それからはその場所へ近づかないように、気をつけている。
幼少の頃からそういう体験には慣れっこだから、ふつうを装ってはいるけれど。こうして突然遭遇する恐怖体験に怯えながらの生活は、ふと思い出した時に憂鬱な影を落とすのだ。
それで今回も、ちょっと厄介なことに巻き込まれたわけだ。友人たちは肩をまったく動かせない私を見て、「四十肩かよ!!」って大笑いする始末。
そりゃあそうだろう。みんなに猫チャンは見えないのだから。右上半身を動かせずにぎこちない私は滑稽だろうさ。唯一良心的な友人だけが、「脳梗塞じゃないか?」と本気で心配してくれた。「呂律は回ってるし多分そういうのじゃないので……。心配させてゴメンね!」そう言ってなぜか謝る私。シャレにならない。こちとら猫チャンのシャーシャー声をずっと耳元で聞かされながら、まるで箱に押し込められたみたいな動きを一日中、なのだ。
「知り合いに電話してみるから祓ってもらいなさい」
電話で助けを求めた相手は、母親だった。手慣れた様子で彼女は、こういう時にお世話になっているその手の人に連絡を取った。つてを辿り辿った先に、最寄りのそういう人物を捜しだしてくれた。さっそく私は休講の時間にお祓いに向かう。
こじんまりとしたマンションの一室で、少々儀式めいたマントラを唱えてもらうと、途端に私の肩は軽くなった。あっけないものだ。猫チャンはきっと自分の縄張りに帰っていく。あそこももう二度と通るまい……。懲りた私は決意を新たに、決して安くないお祓い料を払ってお礼を言い、マンションを後にする。
はぁ——っ。と、長ーい、ため息を漏らした。
仕方がないのだ。霊感があることをいわくある「相手」に気付かれ憑いてきてしまうことは。そのおかげでこうしてお祓いのつてもずいぶん増えた。そんなもの、縁がない方が良いに決まってる……。急に疲労感に襲われ、物悲しい気分になった。
私のじめっとした気持ちとは裏腹に、秋の空はカラッとしている。日差しが強く眩しい。少しでも日陰の多いところを通りたいと思い、大きな公園の、参道に入っていく。木漏れ日の下、犬の散歩をする人や、にこやかな顔でジョギングやウォーキングに勤しむ人たちでとてもにぎやかだ。死の気配とは無縁の人々が、羨ましくないと言えば嘘になる。
ふと、視界に入ったのは、休憩用のテーブルとベンチ。まとまって座っている三人組だった。初老に差し掛かった男性が二人と、私とさほど歳が変わらないであろう女の子が一人。そういう奇妙な組み合わせの彼らは、この悠々たる公園という場所で、なにやら熱心に話し合っている。
「なんでわたしばっかり仕事しなきゃいけないの!?」
文句を言ってる女の子は、上下ジャージで、半世紀前かと思われる、控えめに言ってもダサいメガネをかけている。化粧っ気のかけらもない。せめてものお情けみたいに、ひとつ結びにした長い髪の毛で、性別を主張しているみたいだった。たぶん、身なりを整えるのが面倒なタイプで、髪の毛も伸びるままに放置しているだけなのだろう。
「まあまあそう言わずに。君だって趣味を謳歌しているでしょう。一昨日でしたっけ、大好きな漫画の新刊発売日は?」
その男の人は、頬が痩けていて、一見してくたびれた空気を纏っている。しかし相手の女の子に向けた鋭い視線には確かな意志が光っており、ピリピリとした空気を漂わせていた。もう一人の、甘い顔をした細身のおじさんは、ポケットから櫛を取り出して、前髪を整える。櫛の先端に結ばれた金色のリボンがキラキラと光った。口笛を吹き始めてもおかしくないような、まったり穏やかな印象だった。
「ぐっっ。なぜそれを、ご存知でっ!?」
女の子が大仰にのけ反った。部下への鋭い指摘が成功したらしいくたびれたおじさんは、ニヤリとほくそ笑んだ。能天気にかっこつけてるおじさんの方は、脇目もふらずに髪を櫛で梳かしつけている。
……ああ、やだなあ。また、「見えて」しまった。わたしはがっくりと肩を落とした。
そうだ。あまりにも明るくはつらつとしたその空気。そもそも「彼ら」がグループを作ること自体、稀なのだ。私は最初、生きている人間だと錯覚してしまった。
でも、彼らは、幽霊だった。
わたしは出来る限り知らないふりをして、そこを通り過ぎようとしていたのに。頭の中では気になって気になって、モヤモヤが止まらない。
なんだろうこの人たち? 幽霊のくせに、めちゃくちゃ生き生きとしている。そして何よりも……
「というわけで、君も元気良く出勤したまえ。私は閻魔にアポ取ってるんで。謁見してくるから」
くたびれおじさんは落ち着いた物腰で、腕時計をちらりと見やった。
「きい——っ! 行けばいいんでしょっ! ピンチな誰かを見守りに! はいはい! わかりましたよ——っだ!!」
女の子は金切り声をあげて髪を振り乱すと、その怒りの勢いのままでどこかにすっ飛んで行った。私は想像以上のキンキン声に、思わず両耳に手をやっていた。
「彼女の扱いも慣れたもんだな」櫛おじさんがつぶやいた。前髪は梳かしすぎてぺったりしている。
「あ。閻魔とのアポイント一時間先だった。嘘ついちゃったな。斉木さんごめんなさい」くたびれおじさんは手帳をめくっている。そして既に飛び去った部下に対して気持ちの込もっていない謝罪をした。
「なんだこいつら!?」
私は周りのことなど気にも留めずに、心の声を、口に出して叫んでいた。
幽霊が、チームを組んで仕事をしている。
二十年くらい生きてきて、初めて見る光景だった。度肝を抜かれた。
「かわいい子、見つけた!」
突然立ち上がったのは櫛のおじさんだった。まっすぐこちらへ歩いてくる。なんてうれしそうな顔をしているんだ。しまった。大声で引きつけてしまったらしい。逃げたかったのに、足が動かない。これは恐怖というよりも、困惑だ。仕事する幽霊って、何??
「ハァハァ。かわいい子のお尻ぃ……」
そして櫛おじさんに、突然お尻を撫でられた。幽霊の手は、ひんやりしている。全身が粟立った。
「んきゃ——!!」
私が遠慮なく上げた悲鳴で、顔は良いのに助平丸出しのおじさん幽霊が、驚いて飛び退いた。
「おや?」
スケベじゃない方のおじさんが、私の方を見て首を傾げた。
「み、見えてるのか……!!」セクハラ親父がダラダラ汗を流しながら、それでも悔しそうに顔を歪めて、言った。「ご、ごめんね…」
見られたから謝ったってこと? 見られなきゃいいと思ってんのか? 最低な幽霊もいたもんだな??
「見えなきゃやっていいのかよ!!」
私はふつふつと湧いた怒りに任せて、幽霊にしか通じないツッコミを入れていた。
大きな声に、道行く人が振り返る。
「しかも我々の声が、聞こえているときた。霊感が強いのかな?」
反対側にまた首を傾げるおじさんは、騒ぎ立てる私とそれで泡を喰うヘンタイのやりとりを前にして、あまり動じていないようだった。
「我々だってねえ、見えない、聞こえないのが当たり前なんだ! それを突然責められても、困惑致しますよ!」
スケベ親父はあろうことか開き直って熱弁をふるった。
しかし私もここは引き下がるわけにはいかない。
「一体なんなんです、あなたたちは!?」
二人のおじさんはいったん顔を見合わせると、一度、頷き合った。そして揃って私の方に向き直る。ピカピカの革靴で、砂利をじりりと踏み締めた。
「我ら『はぐれ魂案内所』、就職希望者募集中! 死後の世界で、待ってるよ!」
二人揃って『月に代わっておしおきよ』みたいなポーズと共にキメ顔して言うではないか。バチバチーン!! Wウインク付きだった。
「はあ。なぜ私がこんな茶番を……」
くたびれおじさんが斜め下を向いてぶつぶつ文句を言っている。
「勧誘も大事でしょう。Tik●okみたいなものだと思えばいいじゃないか。ていうかそんなに嫌ならやらなくても良かったのに」
スケベ親父はヘラヘラしている。
「いや、無理矢理練習させられたものをそのままお蔵入りというのも、癪でな……」
くたびれ上司が苦々しい顔をした。
「誰が……」
私は握りしめた拳をワナワナと震わせた。先だっての猫チャンの件もあって、もはやストレスマックスだった。
「誰がっ! 幽霊といっしょに、働くかー!!」
私の叫びがこだまする。
公園にいる人たちは、ヒソヒソと耳打ちし合っていた。彼らの目には、二人のおじさんが映っていないのだから。誰もいないところで独り言を叫びまくる変な女を、いよいよ通報しようかと、迷っているのだろう。
「ゴホン。」
スッ……と、キメポーズを解いたくたびれおじさんが、咳払いをした。
「実際問題、君のような人材は貴重なので。もしよければウチに来てくれると助かる」
私が戸惑う理由は、彼らが幽霊にはあるまじき活力で溢れているからだった。これまで出会ってきたのは、泣いているか、怒っているか、悲しみに沈んでいるか、そういう陰鬱な幽霊ばかりだったから。怯えた目をしているか、怒りに満ちた恐ろしい瞳で睨みつけてくるか。そういう出会いの方が圧倒的に多いのだ。
あるいは生きている人間以上に生き生きとしている彼らを、得体の知れないものとして捉えてしまう。明るく元気なのはいいことだが、その訳の分からなさが、かえって怖い……。というか、いろいろ思うところがありすぎて、罵詈雑言が止まらなくなりそうだ。
「さっきここにいて喚いていた冴えない女の子。あの、見るからにオタク気質のあの子ね。ああ見えて、生前はサイキックだった。その能力を活かして、今ウチでいちばん働いてる。斉木さんていうんだけど」
(え……サイキック? 斉木さん?)
思いの丈を叫んだ後で、多少スッキリしていた私は、今度はなるべく声に出さないように、気をつけた。
(報酬とか、出るんですか?)
心の中で、おじさんに話しかけるようにした。興味本意の質問だった。
「お給料は無いけど、閻魔に逐一報告は入れている。ここだけの話だが……」
くたびれおじさんが急にヒソヒソ声になった。私は興味を引かれて、おじさんの近くに寄る。スケベ親父ももれなくついてきたので、肘で脇腹をド突いておく。「ぐえっ…」えづくスケベ。肘がら伝わる冷気にぞぞぞと肌が粟立ち、私は身震いする。
おじさんは、スケベのことなどそこに居ないかのようなふるまいで、話を続けた。
「生前の彼女は自分の好きなことばかりやっていて、親孝行もろくにせずに考課が微妙だったんだけどね。ウチに来てからの働きぶりで、評価が爆上がりなのさ。『サイキック斉木』としてこの業界では有名人」
そんなに大きな業界なの? 絶対、盛ってるでしょう? 妙にサラリーマンじみたこのおじさん。要するに仕事大好き人間なのだろう。
「逆にこの人は当然低評価」
おじさんは隣のスケベを顎でしゃくった。スケベはその甘い微笑みを少しも崩すことなく口を開いた。
「私はわかっていてそうしている。あんな老害に媚び売ってるヒマは無い。閻魔の評価よりも、女の子の方が、重要だ!」
堂々としている。この人が口を開けば開くほどに、私は絶望的に軽蔑した。白目になりそうなほどに目をすがめる。
(ねえ、仮に私が一緒に働くなら、あなたのこと全力で止めるけど、いいの?)
スケベは途端に甘い顔つきを鬼の形相に変えた。そして口を開きかけて、それを遮るようにして、上司のくたびれおじさんが、言った。
「構わない。たまにはお灸が必要だ。むしろ助かる」
スケベは上司の言葉に血の気が引いて真っ青だ。
「さあ、君もそろそろ出掛けたらどうだね」
上司に促されたスケベは、一目散に、どこかへ飛んで行った。
「さしずめ、咎められないうちに遊んでおこうという魂胆だな」
くたびれ上司が彼が去った方向を見やり、残念そうに、ため息をついた。そして再びベンチに腰を下ろす。
とんでもない男が一人視界から消え去ったことで、私はだんだんと心の平穏を取り戻す。……なんだか疲れてしまった。足がふらふら力が入らない。一人残ったおじさんの、向かい側のベンチに腰掛ける。
(おじさん、ふつうの幽霊じゃ、ないね。なんで、こんなことやってるの?)
ひとつ、深呼吸をしてから、私はおじさんに話しかけた。
「あの世とこの世の狭間で生き甲斐を見出してね。楽しくやっているのさ」
そう言っておじさんは気怠げにベンチで脚を組む。
(お仕事好きなんだね)
「そんなわけだ。もしも気が向いたら、私たちに協力して欲しい」
(ええー……)
嫌だよそんなの。私はかなり引いていた。
「君のような『視える』人間からすると、いつまでもこの世に残り続ける幽霊たちのことを、どう思っているんだい?」
不意打ちの質問に戸惑いながらも、ちょっと興味をそそられて、しばらく考えた。
(……かわいそう。つらそうなんだよね。それから、怖い。っていうのも、その、怖く感じるのだって、幽霊たちがどうしていいかわからずに、私みたいな人間を頼るしかないから、なんだろうな。私には見えて、聞こえるから。彼らの姿や、声が。思いの丈を仕方がなく、私にぶつけているんだろうなって)
するとおじさんは穏やかな顔で一度頷いた。
「本当は君ではなくて、特定の誰かに聞いてもらいたい『声』があるとしたら?」
(そりゃ、そうかもしれないけど。でも、ふつうの人に、幽霊の声は聞こえないよね?)
不思議なことを言い出すものだ。時折目の前に現れる、どちらかというとちょっと怖い存在である幽霊について、そんなにじっくりと考えたことはなかった。ふつう、そんな余裕ないからね。この幽霊はおとなしいやつかな? それとも凶暴なやつかな? なんていう具合に。出会った瞬間、お互いに探り合い、牽制し合うようなものなのだ。まるで野良犬や、野良猫同士みたいに。
「その通り。ただし、本当に聞いてもらいたい『声』は、届く場合もある。そしてそれが出来たとき、彼らはこの世から完全に立ち去ることが出来る」
(……ふーん。ちょっと、待って。それじゃあ私には、幽霊の相談に乗ったり、道案内のようなことをさせたいってこと?)
「その通りだ。事によっては、その幽霊を救うことにも繋がる。徳の高い行いは閻魔も評定に考慮してくれますよ。つまりwin-win」
(……。へえー……)
私は気の無い相槌をうった。
死後の世界に「はぐれ魂案内所」のメンバーが待ち受けていると考えるだけで、私は生きる気力がとめどなく湧いてくる。出来る限り長生きしよう、と。残念ながら、この人たちに協力する気は無い。ケツ触られてんだこっちは。
ところで。その、団体の名称についてはだいぶ、思うところがある。これははっきりと言った方が良いと思う。
(ねえおじさん。あなたのその……会社? の名前の件なんだけど)
「ん?」
突然の話題に、おじさんもちょっとだけ目を見開いた。
(正直に言って、「はぐれ魂案内所」はないわー。そんなダサいところ、私だったら就職したくないよ)
幽霊に辟易させられてきた私は所属する気など毛頭無かったが、どこか常識人を感じさせるこのおじさんには、伝えておきたかった。
(「メッセンジャー」。おじさんたち、そう名乗りなよ。幽霊の「声」を届けるお手伝い。どう?)
「なるほど。大事なイメージアップ、だな。変なポーズやるよりよっぽど効果的だろう」
くたびれおじさんはポンと手を打った。疲れた顔つきに浮かんだ微笑が、貴重なものに感じられた。つられた私も自然と口角が上がったように思う。
「それではお互い、あの世とこの世の狭間で、がんばって『活き』ましょう」
おじさんの独特な労いに私は吹き出してしまった。
私たちは手を振り合って、別れた。公園の参道をしばらく歩いて振り返ったとき、そこにはもうおじさんの姿は無かった。
***
その後、私がこの印象的なくたびれおじさんと再会したかどうかについてはご想像にお任せするけれど。この出会いは私にとても重要な意味を与えた。
私は生きている人間でありながら、とある見方をすれば彼らと同類、なのかもしれない。ふつうの人には、見えない、聞こえないものを介して、狭間の世界を「活きて」いる。
——仲間がいる。
それを知った私は、その日を境にしてぱったりと、幽霊を憐れんだり、怖がったりすることは、止めたのだった。
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