第2話「オタクの斉木さん」同人作家が突然他界して阿鼻叫喚な話
ドンッ。
凄まじい衝撃だった。信号の無い横断歩道を歩いていたわたしは跳ね飛ばされた。内蔵がふわり、浮いたな、って思った。
それで、落ちて、終わりだった。
打ちどころが悪かったらしい。呆気なく、わたしは死んだ。
それなりに楽しかったんだけどなー。
ちゃんと働きながら、並行しての作家活動。家族には内緒だったんだけどね。だから今、わたしの部屋は大騒ぎ。
「あの子こんなの描いてたの!?」
突然すぎる娘の死に憔悴しきっていた母は、3ヶ月が経ってようやくわたしの部屋に入った。少しずつ、少しずつ、片付けをコツコツと進めていった。ある日、ついに問題の作業机に手をつけた。
そう、生前のわたしは、兼業同人作家だった。
「こんなの」とは失礼な。確かに男の子同士がいろいろな行為に及ぶだいぶセクシャルな内容だけど、わたしは誇りと愛を持って同好の士の手元に、送り出していたのだから。
「こんなに、たくさん……」
机のそばの本棚の、十数冊並べられた成人向けBL同人誌を前に、母親は呆れ半分、それから、感心半分、といった感じだ。
「絵は、得意、だった、もんね」
母はそれきり咽び泣いてしまい、その日はもう片付けはやめてしまった。
なんだか申し訳ない。
しかし、わたしが描いたあられも無い体位で絡むかわいい推したちのページを見開きにしたまま、どこかへ行ってしまったのはどうかと思う。
死んだのに冷や汗が止まらないわたし。
勘弁して。せめて本を、閉じてください……。
「終活しておけば良かったですね」
「うへあっ」
突然、おじさんが話しかけてきた。気配もなく現れたから、ちょっとびっくりしてしまった。この人も、わたしと同じ幽霊ってこと? 頬がこけていて、目が落ち窪んでいる。不健康な印象だ。
「おじさん、ダレ!?」
「おじさんは、おじさんだ。あれ片付けるお母さんも、なかなか大変そうだな」
おじさんがしみじみとした感じで言う。
「そんな、急に死ぬなんて思わなかったし」
書店委託した本ってどうなるんだろう。まあいいや。こうなってしまった以上、成り行きに任せるしかないじゃないか。ごめんなさいお母さん。処理とか処分、よろしく……。
「君、サイキックなの?」
「え?」
急に何言ってんだ?
「見えるんでしょう。先のことが。だから二次創作漫画でヒットを飛ばしていた」
「……確かに、勘はかなり当たるけど。サイキックって、超能力者のことじゃないの?」
「そのとおり。君は軽度の超能力を持っていた。その力、死後の世界で活かしてみないか?」
死んだわたしはスカウトされた。
二次創作よりも奇妙な展開だ。もとよりわたしが創る漫画というのは、定型のストーリーに既存のキャラクターを借りて当てはめるだけなのだ。そこに原作ならではのエッセンス、例えば特殊な世界観の設定だとか、その二人ならではのちょっとクセのある関係性を表すセリフなどを足してやれば、安定の萌えを演出しつつ、ほどよく個性のある本が出来上がるってわけだ。
人と違ったのが、原作の新刊が発売される前に、なんとなく、先のストーリーというか、キャラクターの動きが分かってしまうことだった。確信とは違うけれど、こうなるんじゃないかなというのが必ずそのとおりになるのだ。
それらを予想する考察をSNSで投稿すれば、ぜんぶ当たる。仲間に持ち上げられるし、信者みたいなファンもついていた。漫画を描くのは大好きだから、同人誌を頒布すれば完売するのが当たり前だった。
「箸にも棒にもかからない平凡なものばかり作ってるくせに」
「どのキャラ当てはめたって成立するストーリーばかり」
妬み、やっかみ、他の創作者からぶちぶち文句を言われようが、ぎりぎり赤字の運用で、楽しくコソコソと活動していた。だって、所詮は趣味なんだから。わたしの好きにさせろって感じ。
そんなこんなでわたしはおじさんに言われたとおり、自分の勘を頼りに、アンテナをめぐらせた。そして、ある女の子に狙いを定めて観察することに決めた。
ほんとうに、なんとなく、でしかない。
おじさんからは「ピンときたら呼んでね」と言われている。
なんのことだろう???
残念ながら、わたしは危険に反応するアホ毛みたいな便利なものを持っていない。だってそれが出来ていたら、今頃事故になんか遭わずにピンピンしていただろうよ……。所詮は、爆速二次創作活動に活かせる程度の、妙〜な、予感のみ。
観察する相手は、典型的なガリ勉タイプの女子高生だった。お勉強にあまり価値を見出せずに大好きなマンガばかり描いて読んでいたわたしとは、まったく違うタイプの子。わたしなりに楽しく生きていたわけだから、羨ましい、とまではいかないけれど。こうして親や先生に勧められたこと、つまりお勉強に、一生懸命取り組めるわけで、彼女の周りの大人たちは機嫌がいい。
勉強やりなさい。
険悪な口調でそう言う大人がいない。
しかし一見順風満帆に見える彼女ではあったが、少し事情があるようだった。
父親が、いない。
事故か、病気かはわからないが、数年前に父親を亡くした母子家庭で、小学生になる前の、幼い弟が一人。進路指導ではハッキリと、
「安定した高収入が見込める仕事に就きたいから、国家資格を取ります」
と宣言していた。
しっかり、しすぎている?
果たしてそれは彼女の、夢、なのかな?
家族のために、将来を決めているように感じられた。まるで大黒柱だ。そんな彼女の立派な志しに、わたしは目が眩みそうだった。
彼女はそれで、
楽しいのだろうか?
自分がやりたいことしかやってこなかったわたしは、ついつい、彼女についてそんな的外れな想いを抱いてしまった。
彼女にとってみれば余計なお世話だろう。何をがんばるかなんて、個人の、彼女の自由なのだから。
テスト期間も真面目一徹。人差し指のペンだこなんか少しも気にしない彼女は、毎日何時間も、ずっと机に向かっていた。
わたしは不思議な気持ちでそんな彼女をぼけーっと眺めていた。
とある朝のこと、わたしはなんとなく違和感を持ち、おじさんを呼んだ。
その日の朝は、雨が強く降っていた。
「バスで行きなさい」
制服のリボンを結ぶ娘に向かって、母親が言った。
「うーん、どうしよう」
彼女は上の空で答えた。
「どうしようも何も、こんな土砂降りの中、学校まで歩いて行ったら……」
母親は、娘の無関心な態度に少し腹を立てた様子である。
「はいはい、分かったよ」
母の苛立ちを感じ取った彼女は、面倒くさそうに返事をした。
「テストの結果、楽しみにしているからね」
母が優しい笑みを浮かべているのを横目で確認しながら、返事をしないで家を出た。
いろいろな感情が絡まり合う雑音の中で、わたしはとあるはっきりとした答えを一つ、確信してしまった。幾多の砂つぶての中で一粒だけキラリと輝く、砂金のよう。
「たまたま今日雨が降っていて、ふだんあまり乗らない路線バスに乗る」
それが彼女の不運なのだ。
たったそれだけ?
何を根拠に?
大胆に足を踏み入れた水溜まりで、飛沫が跳ねる。靴の中も、靴下も、ぐしょ濡れだろうに。まったく構わないようなその動作は、どこか投げやりだった。彼女は苛立っている。
どうしたのだろう。もしかしたら、母親が、テストの結果を楽しみにしているから、かもしれない。わたしだったらそう思う。……いや、彼女の気持ちが分かるだなんて、おこがましいのはわかってる。でも。雨の心配と一緒に、だよ? 彼女が一生懸命勉強しているのはやっぱり、家族のためなんだ。見返りも求めずに、お父さんの代わりになるために。
そして母親に対して彼女が反感を持つところを見たのは、それが初めてだった。
よりによって、今日の朝だなんて。
こうして言葉にすると余計に根拠としては弱すぎるけど、わたしにはそれだけで充分だ。だって感じるんだ。「バスに乗ってはいけない」と。
「うえあぁっ!!」
わたしは思わず声をあげてしまった。だって隣にいつの間にかぜんぜん知らない男の人が突っ立っているんだから。
わたしは気付いた。その人は、あの女の子に、顔立ちがよく似ていた。
他界した、父親なのだろう。
わたしが呼んだおじさんがさらに呼んだのに違いない。
その人は気遣うようにちらりと私を見た。わたしは軽い会釈をする。おじさんは一度頷いてから、彼女の方へ歩いていった。そして耳元に、口を寄せる。
「バスに乗ってはいけないよ。今日は歩いて行きなさい」
優しい、温かい口調だった。
女の子は振り返った。けれどもそこには誰もおらず、女の子はずいぶん長い間、立ち止まっていた。
彼女の父親は、パッ、と消えた。
「ご苦労様。」
代わりに現れた自称「ただのおじさん」が、わたしの隣に立っていた。相変わらず、顔色が悪いなあ。
「……まだ、終わってないよ。だってあの子、バス停に向かってる」
そうなのだ。彼女は気を取り直したように、再び歩き始めたのだった。
「やることはやった。あとは、あの子が決めることだよ」
「そんな……」
女の子は、停留所で姿勢良く待っていた。やがてバスがやってきて、列に並んだ人々は、順番に乗り込んでいく。乗車口が閉まって、バスはタイヤで水飛沫をあげながら走っていった。
乗っちゃダメだったのに。そのバスに乗ってしまったら……。
ちゃんと見守ったし、それで必要と思ったからおじさん呼んだよ。わたしは言われたとおり、やったんだよ? なのに、こんな結末になるだなんて。
うな垂れるわたしの肩を、おじさんが叩いた。
「見てごらん」
その低く落ち着いた声に促されて、わたしはハッと顔を上げた。
バスが通り過ぎた後で、あの子が背筋を伸ばして歩いていた。
バスに、乗らなかったんだ!
学校から帰宅して夕食を食べている最中、彼女の母親はテレビのニュースを見て涙ぐんだ。もしも自分の娘がこのバスに乗っていたらと。彼女を愛するが故の涙に、彼女は少し驚き、母親の顔を直視できないようだった。
テレビ画面を、母親と二人で食い入るように見つめていた。わたしも一緒にガン見する。
事故を起こしたのは、通学と通勤ラッシュに加えて悪天候の影響で超満員の、まさに彼女が乗るはずだった路線バス。大雨により発生した渋滞に焦った運転手が、通行量の少ない路地に入った途端スピードを上げた。左折時の路面スリップによる横転事故で、けが人は重軽傷あわせて十五人に上ったという。
テーブルに置かれた、赤ペンで3位と書かれたテストの成績表は、彼女の手からじわり滲み出た汗で、しっとり湿っていた。
嫌な予感がどうやら当たってしまったこと、わたしはまったく嬉しくなかった。しかしそのおかげでオーライになった結果に安堵したのも確かで。親子が抱擁する場面を見て私も、ぽろりと涙をこぼした。
「どうだろう。君の力、役に立ててみないか? 人の運命にさりげなく手を添えて、導く。なかなか粋な役割だと思わないかい」
おじさんはあごに手を当てて、妖しげに微笑んでいる。
複雑な気持ちだった。たぶん、わたしの嫌な予感は今後も当たるだろう。わたしはそれと向き合わなければならない。他人の不運な未来を知った上で、見守らないといけないのだ。そんなの、怖いよ。でも……。
「今更だけどさ。おじさん、何者?」
わたしは鼻を啜って、言った。
「おじさんはただのおじさんだけど。あえて言うなら、あの世とこの世の狭間のスカウトマンさ」
おじさんは、楽しげですらある。
「ふん。かっこいいね」
わたしは膨れっ面で言って、目元をゴシゴシ擦った。
ふと、女子高生が父親から掛けられた言葉が思い出された。
「バスに乗ってはいけない」
それは確かに彼女を救う一言だった。でも、
「自由に生きなさい」ではなかった。
とにかく、生きて欲しい、父親の祈りが込められた一言なのだ。
命さえあれば。
あの子が選んだ道ならば。
わたしが心配したところで、あの子はどうにか生きていくのだ。
わたしは自分の母のことを想った。母は目を腫らして、暗い顔をしている。
声を掛けたくてたまらないのに、たった一言を何にするべきかがわからない。
それでも母は、生きている。わたしが死んで悲しいかもしれないが、淡々と、生きてくれている。
それならばひとまずはいいのかもしれない。いつか、本当に必要な一言が見つかるまで。わたしはわたしに与えられた役割を果たしてみようかな?
「次の、危険が迫っている人を、見つければいいんでしょう?」
わたしはおじさんに、尋ねた。
「やる気がすごいな。是非とも、お願いしたい」
おじさんは、笑顔を浮かべた。頬がこけて、ちょっとくたびれた感じはするけれど、生前はそれなりにモテたのかも、しれない。そんなことを思わされる素敵な微笑だった。
「……それに、気付いちゃったんだけど」
「? なんだ?」
もしかして。推しマンガの続きは、これからも読めるのでは? それを読んでる誰かの肩越しに、覗き見できる! 最終回までは見届けたい。私はオタク魂で、別の決意を新たにした。それでいつか、推しの物語が終わったとき、私も家族にさよならを言って、去ろうかなって。たった今、思いついたところ。
「なんでもない!」
死後は、マンガよりも、奇なり。
わたしはワクワクしてしまった。
その後、わたしはもう一度だけ、見守りの役目を終えた彼女のところへ様子を見に行った。やっぱり勉強を頑張っていた。それでいいんだ。だって彼女はそれを、やると決めているから。ついつい声を掛けたくなったけれど。
「頑張ってね!」
今それを口にすると、きっと心からの渾身の一言になってしまいそうで。それではわたしはさっさと成仏してしまい、楽しみにしている漫画の続きが読めなくなっちゃうからね!!
だから労いのつもりでポンッと肩を叩いて、それきり去ったのだった。もちろん彼女は気付かない。はずなんだけど。チラッとこちらを見た気がするのは……気のせいに決まっているのだ。
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