第7話 あの時

「久々の地上だぜぇ!」

「お空が見えるッス!」

「いやぁ、遠吠えせず済みましたね」

「ついたー!団子食べよう、団子!」

「お前、どんだけ甘いもん食いたいんだよ。まずは俺からな」

鬼たちは、仲間たちの帰還を喜んだが、ひとたび狸の姿を認めるとその全身をギロリと睨んだ。

「...」

犬は気まずそうにうつむいて、尻尾を垂れる。狸はそれに気付いて、兎にすこし肩を寄せ、兎はそれに対して距離をとった。

「なんか、ギスギスしてる」

「気にするだけ無駄だ。強いて言うならお前も悪い」

「なんか日本語おかしくない?ウサギさん、僕のこと擁護してくれるわけじゃないんだ」

「甘えんなよ。そうやっていつまでも飄々としてるお前にだって責任はあるだろ」

「...」

兎が思いの外辛辣な言葉を浴びせてきたことに傷つき、狸はわざとらしくとんがらせていた唇を噛んで、拳を握った。それを見た兎はやれやれと言った顔と手のしぐさを見せ、狸の表情を伺うことをやめた。

「調子狂うからそのしょぼくれるのやめろ。飯食って寝れば忘れる」

その晩は、静かに事が運んだ。重苦しい空気の中、誰も喋ろうとしないのを気にかけた犬が必死に話題を振ろうとして、その手の会話に不馴れな犬が冷や汗をかきながら次の話題に移ろうと努力する姿が一層空気を重くした。そして、誰も会話をしないまま、夜は更ける。

「就寝は、こちらです。簡易的なものですが、今できる最大限をご用意しました」

「ありがたい。おい、クソ狸。明日もやることあんだろ。寝るぞ」

「うん」

藁を編んで作られた簡易的な寝具を重ね、生き物たちはその上に寝転がる。

「おやすみ」

「応。おやすみ」

「ああ、えっと。寝る前に聞きたいんだけど、小便ってどこ?」

「今日は...あの、ろうそくがたってる辺りですると決めてます」

「わかった。いってくる」

「ふん。せわしねえやつ。俺は寝るぞ」

兎は足を組み、曇り始めた夜空を見上げながら呟く。

「今夜、降るかもな」

満月に限りなく近づいた月が、細くかかりはじめた雲の隙間から、まるで地上の生き物たちを睨むように輝いている。

「恐ろしいもんだぜ」

そう言って大きく深呼吸すると、兎は眠りについた。そして、その月では。

「かぐや様。いったいどうしてそのようなお姿を!」

緊急で召集された月世界の兵たちが薄着になったかぐやの前に膝まずき、その異常事態の発端を知るべく質問をしていた。かぐや姫は燐とした声でそれに応えた。

「蓬莱の、乱れです。感じとることができたのです。何か大きな闇が、これから地上で動こうとしている」

ざわざわと、兵士たちはお互いの顔を確認したが、イザナギが手を仰ぐと二秒もしないうちに彼らは押し黙り、寸分たがわぬ姿勢でまた、かぐや姫に向かってひざまずいた。イザナギは眉間にシワを寄せ、かぐや姫とは目線をあわせずに渋い声で唸る。

「蓬莱。願いの実、でございますか。もとより、かぐや様が地上に置いていかなければこのようなことには...」

「ええ。本当に、そうね」

かぐや姫もまた、長い髪の毛を垂らして、手元に握った弓矢を握りしめてすこし震えた。

「私のあのときの記憶のことも。蓬莱のことも全て、決着をつける」

少し雲がかかった富士の山を見上げ、かぐや姫は呟く。

「降りそうね。」

そして、その小さな声が嘘のように、今度は広い空間の一番後ろまで届く大きな声ではっきりと喋る。

「私の呼び掛けに応えてくれたこと、感謝する。出発は明日の夜。あの、富士の山の頂上へ向かうぞ!!」

兵士たちはその呼び掛けに応え、

「応!!!!!!!!!!!!!!!!!」

寸分たがわぬ返事をして見せた。そして、時は流れ、地上。

「おい」

何処かへと立ち去ろうとする狸を兎が諫めていた。

「起きてたんだ。もう夜中だよ」

「言ったろ。あんま寝ないんだよ、俺は。...どこへいく」

兎は狸に向けていた背をひっくり返し、それからぴょん、と空中に飛んで、姿勢をたて向きに直した。狸は兎からの視線を切ったまま、ゆらゆらとした口調で質問に応える。

「どこって、小便だよ」

「便所は反対側だ」

「あっ!ああいや、ここで泊まるのはじめてだから」

「お前寝る前に便所いってたろ。誤魔化すの下手くそか」

「...」

「お前。もしかしてここを立ち去ろうとか思ってんじゃねえだろうな」

「君も見たでしょ?あの鬼との会話。僕はここにいるだけで不和を呼ぶんだ。僕は...僕が、どれだけ今頑張ったところで、誰も認めちゃくれない。過去の亡霊が、いつまでも付いてくる」

「亡霊だか幽霊だかしらないが、いいか、よく聞け。お前がここから離れたところで、徒に戦力が下がるだけだ。留まれ」

涼しい夜風が二匹の間に吹いて、静寂を産む。その寒さに狸は震えたが、流れが硬直する前に心の中のモヤモヤとした淀みを口に含ませたまま、喋りだす。

「あのさ。うさぎさん。もしかして昨日の話、聞いてた」

「なんだよ唐突に」

「どうか、応えてください。お願いします」

兎は、唐突な敬語に狼狽しつつも、少々高圧的な口調を保ったまま応える。

「あのな。何度も言うようだが、うさぎってのは眠りが浅いものなんだよ。捕食者に襲われる方だから」

「やっぱり、聞いてたんだ」

「ああ。悪かったな。人のプライベート盗み聞きして。俺は薄々感づいては居た。お前、あの時俺を助けた『兎』だな」

「なんだ、それもバレてたんだね」

「その通りだ。やっぱお前、変身下手だよ。うさぎってもんをわかっちゃいねえ。目が見えなくたって違和感バリバリだったぜ?」

その煽りとも取れる語りかけに狸は応えないで、かわりに、半ば吐き捨てるように言葉を繋いだ。

「良かったよ。目が治って」

兎は、はっと目を見開いて、それから、狸の方を睨むように喋りかけた。

「ああ。お陰さまでな。その事についてはな、本当に...本当に感謝してる。なのに何故、おばあさんを怪我させるような真似をした」

淡々と吐き出されたその言葉には怒りが混じっていた。狸は気圧されながらも、半笑いで応じる。

「昨日、僕の話を聞いてたんならわかるでしょ?どうして聴くんだよ」

「お前の話を聞いたからだ。あれだけ良くしてくれたってのに、どうしてだ。どうして!」

「どうしてもこうしてもない!これが僕なんだ。今さら気付いたって遅い」

狸はすっかり朧月となった夜空を背景に、無理やり笑顔を作った。その笑顔を見た兎は気味悪がったり嘲笑をすることもなく、ただ、呆れ顔で返した。

「なんだ。その張り付いたような笑顔。それで許されるとでも思ってんのか?」

一瞬笑顔がひきつる。しかし、狸はその笑顔を崩さず、兎に話続けた。

「思ってるかもよ?僕は君のことを助けたわけだしさ」

「てめぇ、ふざけるのもいい加減にし...」

「今は夜だ。みんな寝てる」

狸が、ともすれば怒号に繋がりそうな兎の叫びに無理やり蓋をする。

「ちっ...」

兎は完全に臨戦態勢となっていた体を戻し、再び寝床に座り込む。どすん、という気遣いのない音からは、彼の心中がよく感じられた。狸はそれに背中を震わせた。

「僕がいなければ、君は幸せだった」

「なんだ、藪から棒に気色悪い」

「だって、事実じゃないか。僕がいなければおばあさんは怪我をしていない。君の拠り所は失われていない」

「けどお前は俺を助けた。話が合わない」

「失敗だったね!!君を助けたのはさ。こんなことになるくらいなら、あのまま殺しとけば良かったよ!!!」

「んだと...?」

兎は体を跳ねるように浮かせ、凄まじい勢いで狸に迫った。兎の顔が狸の作る笠の影の下に来るほど、二匹は接近する。兎の荒い息遣いが、狸の鼻先を撫でた。

「もう一回言ってみろや」

狸は泣きそうになりながらも、それでも強がりを貫く。

「何度でも言うね!!失敗だったよ。うさぎなんか助けなきゃ良かったんだ!生真面目の果てに自分の命まで失うなんて、そんなバカな生き物の子供なんてさ、助けた僕がバカだったんだよ!」

バキッ!!!鈍い、痛ましい音がした。周囲の地形に反射して、遥か遠くの街に届きそうなほどに、その音は反射して何度も何度も鳴り響く。兎は、狸の頬を本気で殴打していた。

「いっ...痛い」

骨の芯まで届いたかと思うような打撃に、狸は頬を押さえた。その瞳からは、涙が溢れている。兎は、心底不快といった顔で地面に倒れ伏した狸を見下ろし、首根っこを掴む。

「泣くな。泣いて逃げるんじゃねぇよ。撤回しろ、今の発言。すぐに」

「するもんか。君の父親は、僕の家族を奪った。全て...君のせいだ」

兎は首根っこを掴んだまま狸を睨み付けていたが、視線を落とし、それから、歯が折れたり削れたりしてしまいそうなほど激しく、歯軋りをし、再び狸を睨む。

「なんの話だ!まさか...てめぇは」

兎の瞳孔が、激しく揺れる。

「君のその瞳。桜色の、宝石のような。あの日も見た。人間を先導したあの兎が、炎の中で、笑いながら!!」

息を詰まらせる兎が、狸を掴む手を緩める。

「君もその事を知っている、そうでしょう?『燃えっ子のユキ』」

掴んだ手は離し、兎は怯む。

「その名で俺を呼ぶな。そいつの事を覚えているやつはもう居ない」

「いいや、ここにいる」

「なら忘れろ。不快極まる」

「忘れるものか。忘れようとしたって、忘れられない」

「俺はあのクソ親父とは関係ねえ。いっしょくたにするな」

狸も兎も、互いに唾を掛け合うほどの近さにいたが、二匹は一度、距離をとった。火照る体を夜風に当てながら、兎は俯き、狸は、ぶたれた頬を撫でた。

「...もういい。やめようよ、こんなこと」

「なんだよ畜生。スッキリしねぇな」

兎は、はぁ、と大きくため息をついて、起こしていた上体をばたん、と、寝床の上に倒した。

「わかったよ。帰るなら好きにしろ。俺はもう知らん」

狸は、目をはっと見開いて、けれどすぐにうつむいて、まぶたを落として、溢れていた涙を地面に溢した。

「わかった。...ばいばい」

「ああ。さっさと帰れ。お前の面なんざ、拝みたくもない」

狸は、背中を丸くして、兎ち反対方向に歩きだす。だが、三歩ほど歩いたところでぴたりと止まり、問いかける。

「ねぇ、うさぎさん」

「............何だよ」

「あのさ。その...何も、身に付けてないんだね」

「言ったろ?ボロ笠被るよりマシだって」

「これは母ちゃんがくれたものだ。バカにするな」

「そりゃあ、悪かった。言いたいことはそれで全部か」

「あぁ、うぅ...うん。じゃあね」

そして、狸は再び歩みを進めた。その背中が遠退いて見えなくなってようやく、兎は無視を決め込んでいたのをやめて振り返った。

「あいつ...」

兎が、苦虫を噛み潰したような顔で狸の行った方向を睨むのを見て、ワン吉は優しく声をかけた。

「追わなくてよかったのですか」

「なんだ犬。お前も起きてたのか。いいさ、追わなくて。あいつは必ず帰ってくる」

ワン吉は口をパクパクと動かし、なにかを言おうとしてやめ、それでもやはり何かを言いたげにした後、覚悟を決め、遠くを眺める兎に、静かに話しかけた。

「あの。不躾ではありますが、貴殿方が出会った日のこと、教えていただけますか。気になってしまったのです。先程の話を、その、聞いてしまって」

兎、肩を落とし、拳を見つめた。先程の狸に対する一撃で、皮がめくれている。

「あーあ。あれだけ騒いでたら、聞かれちまうよな...どこから聞いてた?」

「割と、最初から。も、申し訳ない。語りたくなければ、どうか語らないでください。無理を言いました」

「いや、いい。もうこうなったら、隠す必要もねぇか。教えるよ」

すっかり見えなくなった月の下。明かりもつけず、兎は、ゆっくりと昔を語りだす。

「もう言った通り、俺はかつて、亀との競争に負けた」

兎の頭の中の時計が、徐々に針を戻していく。その様子を、犬は無言で見守った。

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