第5話 夜
「ん...ここは...どこでしょう」
目覚めたワン吉は回りを見渡し、続いて自分の体を見た。身体中あらゆるところが、包帯でぐるぐるまきにされている。ためしに体を大きく動かすと、閉じた傷口が開きそうになる痛みを感じたので無理はやめることにした。そして意識があったときには昇っていた太陽は沈んで、かわりに満点の月がぽっかりと浮かんでいる。
「ここはまさか、あの世!?」
時間のほかに、激しい戦いで地面が吹き飛び景色は様変わりしていたことも、ワン吉を慌てさせた要因だった。しかし体の焼けつくような痛みの現実感は現世のものに間違いなく、周りで緑鬼をはじめとする仲間たちが寝ていて、ひとまず安心はした。そこにやって来る、彼にとって見知らぬ影がひとつ。
「おー、起きちゃったんだ。はじめまして」
ピョンピョンと跳ねながら楽しそうに、狸がワン吉に声をかけた。
「たっ、狸!そうか、やはりここは現世ではないどこかで、これは全てまやかしなのか?」
「やだなあ、そんなわけないじゃん。もしかして君、今がどういう状況にあるのかわかってないんじゃない?」
「一体、君は何者なんだ?いや、よく見たら隣に兎も寝ている...?」
「ふふん、よくぞ聞いてくれた!僕はその兎の付き添いでここに来たんだ。それで、鬼にであったんだけどね。僕もちょうど眠れないんだ、ちょっと付き合ってよ」
それから数分に渡って、狸とワン吉は話し合った。狸がこのような旅に至ったいきさつや、鬼たちと合流するに至った経緯などの話しを怪訝そうな表情で聞いていた犬も、徐々に事情を飲み込んできたようで、後半は頷きながら話を聞いていた。
「...で、一緒に団子を食べたりして、今に至るってわけ。」
「なるほど、事情はわかりました。しかし、なんと言いましょうか。今回のこと、あなたのせいじゃないですか?」
初対面の犬に事情を話したところ、自分のしたことを一番最初に指摘された狸は、わかりやすく表情をゆがめた。なんかこいつ、嫌な感じ。その気持ちが口に出るより先に、それを噛み潰した言葉を出しておく。
「うーん、まあそうだね。」
「お話の中にでできた、地面に埋まったからくりを踏むと紐が出て来て人を転ばせるという道具、実に不謹慎。川縁へ続く道にそんなものを置いたら、結果はどうなるか見えていたでしょう?」
「いきなり説教されるなんて、困ったものだなあ」
苦笑いを浮かべながら、狸が反応する。
「しかしあなたからは、罪悪感や自責の念などがまるで感じられません。」
それを聞いて、狸の表情は何かを考えているような複雑な表情に変わり、口をぎゅっと結んだ。
「...」
「どうしたのですか?」
「ああ、いや、やっぱりそう見える?」
苦笑いを浮かべたまま、狸がワン吉から目線を反らす。
「そう見えるもなにも、そうではないのですか」
ワン吉が、少しきつめに問い詰める。
「ま、最初はそうだったんだけどね」
「最初は?」
「ボク、人間が嫌いなんだよ」
夜風が二人の間に吹いて、わずかばかりの静寂を生む。しかしそれはすぐワン吉によって崩される。
「なるほど。出会って数分だが、僕と貴方とは意見が合わなそうだ。」
狸を見据えながら、ゆっくりとワン吉がしゃべる。その声は夜の冷ややかな中に、透き通るようであった。
「もう満足?君は怪我をしているし、はやく寝たらどう」
「あなたから話を始めたんでしょう?それに私もあいにく眠たくはありませんし、もう少し話を聞かせてください。」
「何の?」
狸が僅かに苛立ちを含む口調で返すがワン吉は構わず質問を続けた。
「どうして人間が嫌いなのですか?」
「じゃあ君は、どうして人間が嫌いじゃないのさ」
狸に質問返しを喰らい若干狼狽したが、人間好きなワン吉は素直な気持ちを返す。
「私を導いてくれた方、桃太郎に惹かれたからです。あの方は鬼ヶ島の鬼を退治した後、自ら鬼と人との交流を活性化させようとしたのです。当然、様々な困難がありましたが...あの方はめげずに続けた」
「それが人間が好きな理由にはならないよ。それ、桃太郎のことを好きなだけじゃん」
「では、あなたが人間が嫌いな理由もよくわかりません」
狸は俯いたまま何かを考えた。考えて、ワン吉に向き直る。その顔を月の光が照らしたとき、彼は今までになく真剣な顔をしていたが、すぐ表情を崩して、哀しそうな笑顔になった。
「ボクの父ちゃんは、兎に殺されたんだ。」
ワン吉が息をのむ。優しく吹く夜風の音がはっきりと聞こえるほどのしずけさが、再び二匹の間を通り抜けた。今度ばかりはワン吉も、すぐには反応できなかった。
「少し長くなりそうだし、火でもつける?」
「え、ええ。そうしましょうか」
先程との飄々とした態度と打ってかわって沈んだ表情をみせる狸に若干たじろぐワン吉だったが、すぐ岩肌に座ると、焚き火を挟んで狸に向かい合った。狸は火打石を使って、器用に火をつけた。
「よし。火がついたね。」
気まずい沈黙を埋めるように、立ち上る炎がパチパチと音をたてている。暖かくなった空気を吸って一呼吸置き、そして何かを迷うような顔をしてさらにもう一呼吸おいた後、狸が口を開いた。
「ボクの父ちゃんは、悪戯好きだったらしいんだ。人間に里を追われてからは、人間への悪戯に精を出してたみたい。仲間からの称賛もあってその愉悦から、内容は日々エスカレートしていったとか。そしてあるとき、人を殺した」
「人を?」
「そう。ある家のお婆さんだったらしい。それを汁にして、その家のおじいさんに喰わせたんだって」
「な、中々えげつないですね」
鬼ヶ島という血みどろの戦場をくぐり抜けてきたワン吉でさえも、頭のなかで想像してすぐにそれを躊躇った。狸は続ける。
「でも父ちゃんは、そのおじいさんの弔い合戦を勝手に引き受けた兎によって殺されたんだ。具体的には、背中に火をつけられたり、泥舟に載せられて沈められたり」
「やり返す方も、やり返す方ですね...」
「その時ボクを身籠っていた母ちゃんは、ほうほうのていで里から逃げた」
「一体何故逃げたのでしょうか?」
「どうも、この一件で怒り心頭になった人間たちが山ごと焼き討ちにしたらしい。そして、人間と僕たちの溝はより一層深まった」
「...」
最初は何か反応を返していたワン吉も、徐々に言葉を失っていった。狸は淡々と続ける。
「だからボクは、母ちゃんの人間に対しての恨み節をたくさん聞いて育った。人間をはめる罠を考えたとき、母ちゃんは誉めてくれた。ボクが変身苦手でも、叱ることは一度もなかった。それが幸せな時間だった。間違いなく。だから人間が嫌いなことも、特に自覚せず育った。人間は酷いやつらで、貶めるのが当然なやつらなんだって」
狸は空を見上げて大きく息を吸い、満月が浮かぶ晴れた空に語りかけるように話を続けた。
「でも、母ちゃんは死んだ。猟師の流れ弾に当たって。もう罠を作っても、誰も誉めてはくれなくなった」
「それは...ご冥福をお祈りいたします」
「良いよ、気を遣わなくて。その事はもう、ある程度整理できたしさ。もちろん、悲しいけどね。そんなある日、ボクは風の噂で、孤独な生き物たちを引き取っているおばあさんがいることを知った。そしてそこで幸せそうに暮らしているという、兎のことも」
狸が兎のほうをチラリと見やる。
「それがあの、今寝ている白兎なのですね」
目線の動きを察知したワン吉が小さな、しかしよく通る声で返す。
「母ちゃんが死んでから、ボクはずっと独りだった。それは森じゃ良くあること...そう割りきろうと思ったのに、なんだかモヤモヤしたんだ。人間のところにいて幸せだなんて、バカバカしい。そんな話があるわけないって」
「それが、おばあさんを罠にはめようと思った理由?」
「うん。本当は、ちょっと怪我をすればいいと思ってた。けど、僕の考えが甘かったんだ」
相づちも返すことばも、ワン吉のなかでは無くなっていた。鬼ヶ島に出掛ける前から周囲の犬たちのリーダーであり、村のために尽くしたいと思って桃太郎に従事した彼と狸ではあまりにも経験に重なるところがなかったからだ。
「当たりどころが悪くて、おばあさんは重症を負った。でも相手は人間だったし、罪悪感は薄かった。むしろ、天国の母ちゃんが誉めてくれたかなーなんて思って、ボク喜んでたんだ。そしてある時、あの兎がボクの住みかを特定して荷物もちとして旅に連れていった時も、ホウライなんてないじゃないかってバカにするくらいの気持ちで着いていったんだ。でも...」
徐々に狸の語気が荒くなって、切なさを増していった。
「でもあいつは、あの人間を本当に愛していたんだ。僕はだんだん自分の気持ちがわからなくなった。誰かの大切な生き物のの命が消えかけてるんだって、ちょっとずつ肌で感じるようになって。なんだよあいつ、あのお婆さんのことを幸せそうな顔して語りやがって。そんなにあの人間のことが好きなのかよ。クソッ!」
薄汚れた小さな手を、強く握る。焚き火の音を越してもなお、ぎゅうぅぅっという音が聞こえてきそうなほどだった。その様子を、ワン吉は黙ってただ見つめる。
「父ちゃんや母ちゃんを殺したのは兎と人間なんだ。それなのに、僕は、」
荒げられた声が、少しずつ減衰していく。
「僕は.....」
狸は声を出しすぎたことに気付いて、左右をちら、ちらと見て、ふぅ、と小さくため息をついた。横では兎や鬼たちが、寝息をたてている。
「...ああ。ごめん。うるさかったかも。そろそろ寝なくちゃね」
水をかけて火を消し、狸が寝床へと歩いていく。その背中に、ワン吉が一言問いかける。
「ええ、おやすみなさい。その、最後に一つ聞いて良いでしょうか」
「なに?」
「なんでそんなことを話してくれたんですか?何の縁もゆかりもない、私に」
「さあ。なんでだろ。縁もゆかりもない奴だったからじゃないかな。ホントは誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ...」
あまりにも印象的な体験に、思わずお休みを二回、しかも敬語で言ったワン吉は、一人空を見上げ続けた。体は軋むように痛むし、先程の会話は頭のなかをぐるぐるとめぐるしで、
「眠れないなあ」
簡易的な寝具に身を委ね、姿勢を替えてみるが目は見開かれたまま、落ちることはなかった。
雲一つない空にぽっかりと浮かぶ月が、地上を明るく照らす。
「桃太郎さま、私、また一つ賢くなりましたよ」
ワン吉は疲労の中にもどこか満足そうな表情でそう呟いて月を見上げ続け、しばらくして眠りに落ちた。そしてその夜はもう、誰もしゃべることはなかった。
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