⒌誰がために
俺は遠山の背中に思いっきり体当たりした。
運動はしていない方だったが、不意打ちであれば、それなりにダメージは入る。
「――うぐっ」
遠山は嗚咽を漏らして倒れ込む。
章野さんはケガ一つない様子で、呆然としていた。
……良かった! 間に合ったみたいだ!
闇雲に探し回るよりは、可能性のある場所を当たった方が良い――その考えは功を奏していたのだ。
「クソッ!」
だが安心するのも束の間、遠山はナイフを放しておらず、気力を振り絞ったように立ち上がると、章野さんの体を引き寄せた。
腕を首に回して拘束し、首元にナイフを当てる。
「邪魔するなよ、九条。最高の瞬間が待っているんだ。九条なら僕の気持ちもわかるだろ?」
「遠山、いい加減止めるんだ。それ以上は引き返せなくなるぞ」
「引き返す? 何格好付けてるんだよ。僕が間違ったことをしてるって言いたいのか?」
遠山の意識がこちらに向いているうちに、ナイフをロックオンして奪おうとする。
「チッ、クソッ!」
「ぐぐぐぐぐ!」
遠山は咄嗟にナイフを突き刺そうとするが、俺はそれを抑え込んだ。
だが、ナイフを遠ざけようと奮闘していると、遠山の腕が章野さんの首を絞めることになってしまう。
「あっ……かっ……かっ……」
章野さんが白目を剥いて悶絶する。
別の手段で章野さんを解放しないと……!
焦っていても状況は好転することもなく、とうとう章野さんは気絶してしまった。
「痛ってぇな!」
遠山はナイフを取りこぼすと、章野さんを放り捨て、俺の腹に蹴りを入れてくる。
そのまま前屈みになって突進してくると、
「お返しだ!」
俺たちはもみ合うようにトイレの外を転がっていった。
痛む体に鞭を打って立ち上がる。
それは遠山も同じだった。
――街灯のない夜の公園の真ん中で、素手一本で対峙する。
「お前も騙されてるんだよ。なあ、九条? 一緒に薫を説得しよう。会長は悪い奴なんだ」
「俺は悪い奴にはならないのか?」
「ははっ、何を言ってるんだよ。僕たちは『同じ』だろ?」
「俺とお前は違う……。同じなんかじゃない!」
目の前にいるのはあくまで遠山だ。生き写しなんかじゃない。
俺は自分に言い聞かせながら、虚像を消し去るために、拳を振りかぶった。
遠山はパンチをするりと躱してみせる。
「こう見えて体力は付けている方なんだよっ!」
カウンターに、左頬にきつい一撃を食らう。
全身に勢いが伝播して吹き飛ばされた。
……ぐ、痛ぇ……。
「なるほどな。僕にとっての薫のように、九条にとっての会長ってことか。だからそんなに必死なんだな。やっぱり僕たちは同じだよ」
遠山はすべてをわかりきったように俺のことを見下ろしている。
俺たちが同じ……? 同じだと……? 俺が頭のイカれた奴だって言うのか?
ぐるぐると嫌な気持ちが心の中で渦を巻く。
「なんで盗難事件を解決した? なんでストーカー事件を暴いた? なんでそこまで会長に肩入れする?」
「俺はただ……誰かの役に立ちたくて……」
そうだ、あの温かい気持ちが欲しいだけだ。
そのためにも早くこいつを倒して、章野さんを助けるんだ!
「……だよな。じゃあ同じだろ」
「違うっ! そんなんじゃない!」
かぶりを振ってもう一度体当たりする。
……遠山の言葉を聞こうとするな。こいつは精神的な攻撃を仕掛けているだけだ。
与太話に付き合う必要はない。
俺は勝たなくちゃいけないんだ!
エネルギーを全身に漲らせて、遠山の懐に入り込む。
すると当然のように遠山は抵抗し、俺の背中を殴りつけ、俺の腹を蹴りつけた。
「……ぐっ、ぐっ!」
「放せよ! 九条ォッ!!」
「うおらぁあああ!!!!」
俺は構わずに遠山の体を浮かせると、全体重をのしかけるように、潰すようにして押し倒した。
地面でぐったりする遠山。
馬乗りになって、このまま追い打ちを掛けようとする。
遠山は息を切らしながらも言った。
「……気持ちよかったんだろう?」
「……は?」
「事件を解決して、感謝されて……それを生きがいに感じてたんだろう?」
「……それの何が悪いんだ?」
戸惑いを気取られないように切り返すと、遠山は嬉しそうに口元を歪めた。
「『何が悪い』……? 後ろめたいことがある奴の台詞だな。九条、お前は誰のためにじゃない。自分のために、それをやっていたんだ。そうなんだろう?」
「そんなことない……俺はただ、ただ……」
言っていて、章野さんの家での会話を思い出す。
俺はあのとき、言うべき言葉をちゃんと言わなかった。
彼女を独占しようと思ってしまった。
助けたいとか、そういう考えよりも、『あの感情』をくれることを優先していた。
「『手段が違う』ってだけで、目的は同じなんだ。僕たちは独りよがりなんだよ」
独りよがり……?
そんなことを言われたのは初めてだった。
俺は……俺は……。
ただ誰かの役に立ちたくて……。
でも、それはそうじゃなかった……?
『当たり』……『外れ』……。
ああ、そうかもな……。
そんなことを考えている時点で、俺は駄目な奴なんだ。
やらない善よりやる偽善。
たしかにそういう言葉も存在するが、自分の信念が違ったものだと突き付けられたのが、俺はひたすらにショックだった。
「予定を変更する。まずは九条から排除するよ」
一転攻勢。遠山は起き上がると、俺の首を両手で掴んで地面に抑え込んだ。
真っ暗闇な公園のはずなのに、遠山の瞳は光り輝いて見えた。
「遠山君」
次の瞬間、何者かによって遠山の襟首が引っ張られると、一瞬にして姿が消え失せた。
「ぜぇえええい!」
横を見ると、意識を取り戻した章野さんが、見事な背負い投げを決めている。
受け身を取る余裕もなかった遠山は、今度こそ起き上がる体力は残っていないようだった。
「独りよがりで良いじゃない」
「……え?」
「生きがいってそういうものじゃない? 重要なのはむしろ『手段』の方でしょう?」
章野さんは俺のことを見ながら微笑んだ。
そして続けて、遠山のことを睨み付ける。
「遠山君。たとえあなたにどんな事情があろうと、少なくともあなたよりは――」
「九条君は立派な人よ」
次の瞬間、目頭に熱いものを感じた。
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