⒊過ぎ去るひと時
ピークタイムに入る前の準備は、なんとか時間前に済ませることができた。
単にレジでの接客をやるだけなら、章野さん一人でもなんとかなることが多く、その分、俺はレジ内作業に手を費やすことができたからだ。
それにしても、章野さんの覚えの良さには目を見張るものがある。
これならば、多少はレジ外の作業を教えても大丈夫だろう。
「章野さんにゴミ出しのやり方教えてくるわ」
「わかりましたっ!」
ちょうどレジ内に居た橘に、一時的にレジの様子を見てもらう。
「外に出るから、付いて来て」
「はい」
敬語になった章野さんを連れて店外に出る。
客とすれ違った際には、先輩風を吹かすためにそれらしく挨拶をした。
出入り口の横には三つのゴミ箱が並んでいる。
「夕勤は大体十九時前後に、ゴミ出しをしなくちゃいけないんだ。毎日ね。この時間になるとゴミがパンパンになってるから。――こっちはそんなでもないみたいだけど」
俺は、まずはカン・ビンのゴミ箱の扉を開いた。
「袋が何重にもなってゴミ箱に掛けてあるから、一番上の袋だけ取ればいいんだ。こんな風にね」
箱からちょろっとはみ出ている袋の端っこを一か所に集め、引き抜く。
章野さんにわかるように、ゴミ袋を固結びするやり方を丁寧に教えた。
「――で、ゴミ捨て場はこっち」
ゴミ袋を片手に、コンビニの裏手に移動する。
壁面の一部に、納戸のように引き戸になっている部分があるので、それを両手で開いた。
「とりあえずゴミはこっちに捨ててくれれば良い。ただペットボトルは回収する業者が違うから別の場所なんだけどね……。一旦戻ろうか」
さっきから章野さんは無言のまま俺に付いて来てくれる。
何か質問があってもいいだろうとは思うのだが、熱心にメモを書き留めているところを見ると、気にするだけ野暮なのだろう。
ゴミ箱の前――出入り口まで戻ってくると、今度は燃えるゴミの扉を開いた。
「あ、そうだ。ゴミ出しをするときは、周囲に落ちてるゴミもできるだけ拾ってね。俺は素手でやってるけど、気になるならレジにある使い捨ての手袋を使ってもいいから」
店前に散らかっている、ホットスナックの袋、タバコのフィルム、家庭ゴミらしき割り箸を拾い、袋の中に放り込んでいく。
手は汚れることになるが、後で念入りに洗えばいいだけだ。
何よりこれの方が効率は良い。
「九条君。こんなものも捨ててあるのね」
突然、後ろから章野さんの声が聞こえて、思わず「うん?」と素っ頓狂な声が出た。
章野さんは親指と人差し指で、一つの雑誌を摘まみ上げていた。
表紙の漫画調のキャラクターが、グラビアのような際どい格好をしている。
「ゴミを漁るなよ!」
「知らない言葉がたくさん書いてあるわね。結構股を開いているけれど、少年雑誌って、こんなものなの?」
それはエロ……ああもう、今は少年雑誌でいいよ。
天然無垢な章野さんは、あくまで好奇心を刺激されただけ。
ある意味での先輩は、冷静な態度で、章野さんの意識を仕事に戻した。
「とにかく、袋の中に戻して」
とそのとき、店内の方に視線が移ると、レジに客が並んでいることに気付いた。
橘は慌てているのか、先輩をヘルプに呼ぶ余裕もなく、接客に躍起になっている。
「ごめん、ちょっとレジ行ってくるね。わかるところまででいいから、やってくれるかな? 終わったら言いに来て」
「わかったわ、やってみる」
袋を固結びしようとする章野さんを見届けて、俺は駆け足で店内へと戻った。
弁当の温め待ちをしていたお客さんに商品を渡す。
怒涛のようにレジで接客をしていると、あっという間に時間は流れていった。
「――うし、これで一旦落ち着いたな。橘、並んだらすぐに呼んで。お客さんを待たせるなよ」
「ごめんなさい、わかりました……」
疲れ切った様子で落ち込む橘。
予想外の客の波に、俺の方まで手を焼いてしまった。
時計を見ると、章野さんにゴミ出しを教えてから十分が経っていた。
結構、経ってるな……。まだやってるのかな……?
てっきり途中で「終わったわ」とか言って、戻ってくるのを予想していたのだが。
もしや俺の教え方が悪かったのだろうか。
章野さんともあろう人が、新人だからと言って、ゴミ出し程度に時間が掛かっているとは思えない。
あるいは不測の事態が発生したとか……。
「橘、ちょっと章野さんの様子を見てくるわ」
「あ、はい、わかりました」
レジ外の作業に逃げようとしていた橘が、足を止める。
俺は改めて店外に出たが、ゴミ箱の前で作業をしているはずの章野さんの姿はなかった。
「……あれ?」
続けてゴミ捨て場に移動するが、これも同じように人影はない。
「章野さん、どこ行ったんだ……?」
大通りまで続く目の前の道路を見据える。
人が歩いている姿は一切として存在せず、空虚な静けさだけが漂っていた。
途端に、遠山の意味深な言動がフラッシュバックする。
――ヒーローは必ず悪を成敗する。じゃあな、生徒会長。
……いや、待て。なんで急にそんな考えになるんだ? 仮にそうなったとして、章野さんが一方的にやられるもんなのか? ひったくりを軽々と投げて見せたのに?
自問自答して納得のいく答えを導こうとするが、思い付くのはネガティブなものばかりだった。
一昨日の終業時に話した先輩の冗談が追い打ちをかける。
……ストーカー……惨殺死体。まただ、嫌な予感がする……。
闇の中に目を凝らすと、道端に何かが落ちていることに気付いた。
それは章野さんのメモ帳だった。
そう言えば、この先には、方向的にあの公園があるはずだ。
真っ暗闇で、静かで、周囲とは隔絶されたかのような、近寄りがたい公園が――。
「――クソッ!」
ようやく疑念が確信に変わった俺は、石火の如く駆け出した。
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