⒊楽しい放課後

 前面を窓ガラスで覆われた機械の箱の中に、それは横たわっていた。

 クロネコのキャラクターらしいが、目元は赤黒く充血しており、全身に痛々しいほどの傷を負っているせいで、別の生き物のように見える。

 前の水浦さんの話曰く、『グロネコ』は若い女性に人気だと言うが、例に漏れず、章野さんもそのぬいぐるみに夢中になっていた。

 クレーンゲームの筐体に釘付けになっていた章野さんは、意を決したように、内ポケットから財布を取り出した。

「私、これに挑戦してみるわ! 九条君は上手く行くように祈っておいてくれるかしら?」

「うん、わかったよ」

 章野さんが二つ折りの革財布から、綺麗な百円硬貨を取り出して、スロットに投入する。

「――んー。んー? ――縦位置はこの辺で!」

 グロネコを凝視しながら、優しく押下した手元のボタンをパッと放す。

「九条君、奥行きで丁度いいと思ったらストップって言って!」

 え? 祈るだけじゃないのか? とは、楽しそうな章野さんを前に言うことはできず、

「わかった、任せてよ」

「――んーっと……」

「――ストップ!」

「……よし、ここね!」

 再び章野さんがボタンから手を放すと、クレーンが大きく開いて下降を始めた。

 二本のアームがそれぞれ、右手と頭の間、両足の間に食い込む。

 そのままグロネコは宙に浮かび上がり、

「――よし、よし、よし! よーし! きた、きた、来たぁ!」

 テンションが高まりまくっている章野さんの元に向かうようにして、グロネコは取り出し口へと下りてきた。

「やったぁ! 取れた! ありがとう、九条君!」

 グロネコの顔に頬を埋める章野さん。

 訊くまでもなく、嬉しそうで何よりだった。

 さて、落ち着いたところで説明しておくと。

 俺たちは放課後、帰宅することもなく、駅前のADOREZへと足を運んでいた。

 どういう意図で提案したのかわからないが、遊びに行かない? という章野さんの要望に応えるため、無難な選択をした結果がこれだった。

「私、ゲームセンターに来るのって初めてなの! ゲームセンターってこんなにワクワクするところなのね! このぬいぐるみ、一生大事にするわ!」

 章野さんの笑みを際立たせるように、煌びやかな照明が輝いている。

 周囲のクレーンゲームには、流行のアニメ・漫画のフィギュアやら、無駄に装飾の凝った安っぽい腕時計、何に使うのかよくわからない調理器具が陳列され、それら碁盤目の筐体を縫うように店員と客が行き交っている。

 そんな中でも、章野さんの笑顔は飛び切りだった。

 章野さんでも、こんな風に喜んだりするんだな。

 本来の目的を忘れていそうな気はするが、これもボディーガードの一環。

 今はこの時間を楽しむことにしよう。

 その後も、章野さんが気になったゲーム機や、俺が個人的に気になったゲームをいくつか遊んでいると、なんとなしにこんなことを言ってきた。

「……私、いつも勉強のことしか考えてなくて、生徒会の業務に追われてて……。高校生って、こんな風に放課後を遊んでいるのね」

「まあ、大体はそんな感じじゃない? 章野さんさえ良ければ、ゲームセンター以外にもどこか行ってみる?」

「本当に? 付き合ってくれるの? 九条君!」

「今日は休みって言ったでしょ。こうなったらとことん遊ぼうよ」

「えぇ、そうね!」


 それからの時間はあっという間だった。

 カラオケ、本屋をハシゴし――果てにはショッピングモール『ALINAS』四階にある映画館で、俺たちは観る映画を選んでいた。

「時間的に丁度いいのはこの二つだね。恋愛映画か、パニックものか。章野さんはどっちが良いと思う?」

 近日公開されたばかりらしく、受付の横には、二つのパネルが並べられていた。

 片や、二十代の男女がキスを交わしており、その中心部が満月で光っているパネルで。

 片や、巨大化したエビの化け物から、筋肉マッチョが全力で逃げているパネルだ。

「気を使っても仕方がないし、まずはせーので指を差すのはどうかしら」

「いいね。それじゃあ、やってみよう。せーの!」

 提案を快諾し、俺の掛け声で二人同時に肘を曲げると――。

 直後、エビに二票が入っていた。

「あら、気が合うのね。私、この作品のことは気になっていたの。生徒会でも、面白いと評判で」

「へぇ、じゃあ、こっちを観てみよっか」

 ……というか、カップルでもないのに、恋愛映画を観るのもどうかと思うしな。

 章野さんも同じように考えたのだろうか。

 ちらりと顔を伺ってみると、小学生のようにうきうきした様子で受付に並んでいる。

 どうやら好みは完全に合致したようだ。

 ドリンクを二つと、ポップコーンはシェアするので一つ購入し、チケットに書かれたスクリーン7へと向かう。

 間接照明で仄かに照らされた通路。

 すると、トイレがある方向から見覚えのある女の子がやって来た。

「……あれ? 九条君と会長ではないですか」

 俺たちと同じく制服姿のままの、水浦さんだった。

 目を見開きながら、こちらを交互に見つめている。

「……まさか、二人で映画館に来たのですか?」

「えぇ、そうよ。そんなに驚くようなことかしら」

「まあたしかに、男女二人きりってのは中々だと思うけど、章野さんがどうしても行きたいって言うからさ」

「そう、これも一種の社会勉強よ。生徒会長たるもの、生徒間の流行には敏感になっておかないとね」

 得意気に語っているが、そういうことにしておこう。

 水浦さんの中で何か合点が行ったようで、表情がいつものフラットな状態に戻る。

「……そうですか。ちなみに何を鑑賞されるんですか?」

「えっとね……これよ」

 長いタイトルを覚えていなかったのか、章野さんがチケットを取り出して見せる。

「……はぁ、エビですか。良いセンスしてますね。お二人に極上の百分が訪れると、わたしが保証しておきましょう」

 と言って、水浦さんがサムズアップをする。

 なるほど、段々と理解してきたが、機嫌が良いときの癖なんだろうな、これは。

「そう言う水浦さんは何を観に来てるの?」

「……わたしはこっちの満月の方を……。おっと、わたしは予告も欠かさず観る派なので失礼しますね」

 時間のことを思い出したのか、水浦さんは言い残すと、スクリーン3の中に姿を消した。

 というか……冷静になると、思うこともある。 

「一人で観るのかな、あれ」

「いいえ。きっと彼氏が一緒なんでしょう。それなら何もおかしくないわ」

「なるほど。いいなぁ、そういうの」

「…………私と一緒じゃ退屈ってこと?」

 章野さんがジト目で覗き込んでくる。

「違うってば! 悪いように取らないでよ! ほら、行こ! 極上の百分が待ってるってさ!」

 俺は逃げるようにスクリーン7へと急いだ。

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