五話 宵闇の後に①

⒈虫の知らせ

 セントイレブンの事務所内。

 夜勤メンバーとの引継ぎを済ませた俺たちは、各々が帰りの支度を進めていた。

 いつものように最初に着替えた先輩が、珍しく世間話を振ってくる。

「橘、帰り道には気を付けろよ。朝のニュースで通り魔事件をやっててさ。女性がストーカーに刺されたらしいよ」

「えぇ~。それは怖いですね」

 スマホを弄りながら適当に答えている。

 せっかく先輩から話題を振ってくれたんだ。もっとまともな返事をしたらどうなんだよ。

 不憫に感じていた俺だったが、先輩は言うだけ言って、さっさとスイングドアの向こうに姿を消してしまった。

 せっかくなので、無意味に投下された話題をそれとなく処理してみる。

「そう言えば、この近くに、真っ暗な公園があるよな。日中はそれなりに人通りがあるけど、夜になると周囲の灯りがなくなるのも相まって、異様なほどに暗い公園が」

 橘を脅すつもりで、冗談めいた感じで独り言ちる。

 と言っても、内容に関して嘘はない。

 それ自体は、店を出て程なく歩いたところに、実際に存在するのだ。

 まるで周囲とは隔絶されたかのような、近寄りがたい公園が。

「だったら九条さん。家まで送って下さいよ」

「橘って駅二つ分離れてるんだろ? それ本気で言ってる?」

 橘がわざとらしく非力な女を演じてくる。

 いや、橘が本当に不安だって言うなら、付いて行かないこともないが……。

 ――まあどうせ、冗談で適当なことを言っているだけだろう。

「明日のニュースにマユの惨殺死体が載ることになりますよ? 九条さんはそれでも良いんですか?」

 ほら、やっぱりな……。

 時間は夜遅くとは言え、一切の人が居なくなっているわけではない。

 人通りの多い道を選べば、先輩が言っていたような事態にはならないだろう。

「もしそうなったら目一杯泣いてやるよ」

「フフッ、そうですか。それじゃあマユも上がりますね」

「ああ、お疲れ様」

 橘は上機嫌でスイングドアの向こうに姿を消した。

 

 他の夕勤メンバーは帰宅することになり、事務所に一人になった俺は天井を仰いだ。

「……はぁ」

 回転椅子に背中をもたれながら、ため息交じりの深呼吸をする。

 隼のパソコン部で起こった『ノートパソコン盗難事件』。

 水浦さんの身辺で起こった『ストーカー事件』。

 二つの事件を解決してから数日が経っていた。

 バイト先に残ったところでやることなんて特にないのだが、それらに付随して、どうしても気になることがあったのだ。

 ……俺はどこかで調子に乗っていたのかもしれない。

 頭の中には、バイト中の出来事についてが浮かんでいた。

 ――九条。こう思ったことはないか? 『大切なものを守るためなら、どんなことをしても許される』って……。

 ――……愛する人を守ること。それが生きがいなんだ。九条も同じだろう?

 ――どうかな……そうは思えないけどな。

 ――ありがとう、九条。バイト、頑張れよ。

 ……まさか、またもやバイト中に遠山と遭遇するとは思わなかった。

 あいつの態度を素直に受け取るなら、盗難事件において二宮を唆したのは遠山だということになる。

 そしてストーカー事件の犯人は説明するまでもなく遠山だ。

 これで一件落着――そうは思えなかったのだ。

 遠山の言動を思い返していると、引っ掛かる言葉があった。

 ――……はははっ。いいさ、今回は身を引いておくよ。けどヒーローは必ず悪を成敗する。じゃあな、生徒会長。

 遠山の行動は、水浦さんのために悪を排除することに起因している。

 杞憂で終わるならそれで構わない。

 俺は一抹の不安を払しょくしたい思いで、章野さんに連絡してみた。

「――もしもし? どうしたの? 九条君?」

 コール音が2回鳴ってすぐに、聞き慣れた声で安堵する。

 こちらの態度が気取られないように、通常の雰囲気を装った。

「ちょっと用があって。今どこに居るの?」

「家に居るけれど。直接聞きたいことでもあるのかしら?」

「……えっと、水浦さんの様子はどうなのかなって思ってさ」

「それなら、自分から聞いてみればいいのに。薫は今日も彼氏の家に避難しているはずよ。念のためにね」

「……そっか、なら安心だね」

 これに関しては紛れもなく本心だった。

 よし、一旦別の話で誤魔化すのはこれくらいで十分だろう。

 問題なのは章野さんの今の状況に関して、だ。

 今の遠山が何をしでかすかわからない。

 水浦さんのときのように度を越した行動に出るとなれば、章野さんの家まで押し入ってもおかしくはなかった。

 とにかく今は章野さんの無事を知りたい。

「章野さん以外に、家に誰か居る?」

「え…………」

 デリカシーのない質問に、当然の如く章野さんは沈黙した。

 ……やべ、早まったな。

 思いが強まり過ぎたせいで、勢い余って直接的な訊き方をしてしまった。

 しかしながら、電話越しに聞こえた章野さんの声は、羞恥や怒りとも違うものだった。

「……いいえ、ひとりだけど……」

 突如として発せられた悲しみと寂しさの言葉。

 章野さんはそれを包み隠すように言葉を続けた。

「もしかして、九条君が来てくれるの?」

「…………」

 『らしくない台詞』に、返す言葉が見つからなくなる。

 まるでその言い方だと、俺に『来て欲しい』言い方だよな?

 俺が情けなく返事に迷っていると、電話越しにインターフォンのチャイムが鳴った。

「……あ、誰か来たみたい。九条君、それじゃあね、また明日」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ! 今十時過ぎだよ! こんな遅くに来客なんてあるの? 不審者だったらどうするんだよ」

 一人きりの事務所で、思わず立ち上がる。

 それこそ、遠山が章野さん宅までストーカーしているかもしれないんだ。

 焦る俺だったが、それとは違って、章野さんは小さく笑っていた。

「大丈夫よ。ちゃんとモニターで確認してから出るもの」

 だとしてもだ!

 章野さんなら、相手が顔の知った人物だとわかれば、躊躇なくドアを開けてしまうかもしれない。

 遠山ともなれば尚更で、説教をするつもりで、外に出てしまうかも。

 先刻、先輩と橘と交わした世間話を思い出す。

 ……ストーカー……惨殺死体。嫌な予感がする……。

「待って! わかった! 俺がそっちに行くから! だからドアは開けないで!」

 必死の言葉も空しく、電話の向こうからドアを開ける音がする。

 続け様に消え入りそうな声で「お父さん、お母さん……」と聞こえてきた。

 予想していた展開とは違うが、電話越しに異様な空気感が伝わってくる。

「ごめんなさい、九条君。そろそろ切るわね」

「あ、待っ――」

 俺がおやすみの挨拶をする暇もなく、電話はブツリと途切れた。

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