⒍悪い奴ら

「……九条君、ありがとうございました。まさかストーカーの正体が、遠山君だったとは思いませんでした。優しい人っていう印象だったもので……」

 水浦さんがお手前の姿勢で深々と頭を下げる。

 お節介なことをしたように感じていたが、こうして感謝の言葉を貰えるとなると、結果的には首を突っ込んで正解だったのかもしれない。

「けど、問題はまだ残ってるよ。遠山が完全にストーカー行為を止めるとは限らない。あいつの言葉がどうにも気になるんだよ」

 俺は生徒会室の戸を見据えた。

 放たれてはならない人間が、部屋を出て行ったように感じる。

 それに関しては章野さんも思うことがあったようで、

「どの道お灸を据える必要はあったのだから仕方ないわ。自分に不利益が及ぶとわかれば、さすがに諦めるはず。ひとまずは様子を見てみましょう」

「会長……それで乱暴されたりはしないですよね……」

「大丈夫! 薫のことは私が守るわ! 彼が手を出そうものなら、私が投げ飛ばしてやるわよ!」

「……ほぉお! さすがです! 心強いです」

「…………」

 柔道の形を演じる章野さんに対して、水浦さんは楽しそうに拍手する。

 だが、そんな二人とは打って変わって、俺はまだ事件を解決した気がしないでいた。

「どうしたの、九条君? まだ真剣そうにして」

「……少なくとも、今後の対処法はわかったんです。お手柄ですよ。今はだらしなく喜んでも良いんじゃないですか?」

 …………だらしなくってなんだ。

「そんなに彼の言葉が気になるの?」

「……最後の捨て台詞ですか? ベタな悪役みたいな台詞じゃないですか。恐れるに足りませんよ」

「……そこじゃなくて、もっと前の言葉だよ」

「どれに対して言っているのかしら?」

 俺は遠山の言葉を反芻していた。

 ――いや、待て! 待ってくれよ! 悪い奴は本当に居る! 僕がそいつを見つけるんだ! 虚偽を言ったことは謝る! だから薫のために九条たちも……。

 追求の終盤、遠山は自分の虚言を認めていたようだった。

 だがそれと同時に、『悪い奴は本当に居る』と、その主張を変えることもなかった。

 長机に広げたメモ帳を確認する。

 ……悪い奴は本当に居る? ……まさか、そういうことなのか、遠山?

「二人とも、もうちょっとだけ付き合ってくれないかな。放課後に行きたいところがあるんだ」

 二人は顔を見合わせたが、俺の真剣な頼みに、すぐに了承してくれた。


 放課後の二年七組では、いつものように右代のグループが談笑していた。

「右代よぉ、高校生にもなってこんな消しゴム使ってんのかよ。だから彼女ができないんだぜ?」

「うるせ、返せよ。妹が余ったからってくれたんだよ」

「その割には大事そうに持ってるよなぁ~」

「ぶはは、シスコンって奴じゃねぇの?」

 相も変わらず他愛のない会話をする四人組。

 今は右代が持っている消しゴムについて、イジっているようだった。

「いいから返せよ! あぁったくよぉ、お前らの汗が付いちまったじゃねぇか……」

 なんとかして消しゴムを取り返した右代は、ワイシャツの袖で表面を拭き、手の中でそれを転がし始めた。

 ああしていると、心が落ち着いたりするんだろうか。

「――それ、誰の消しゴム?」

 四人組の様子を伺っていた俺は、ここぞとばかりに先陣を切った。

 突然話に割り込んできた存在に、グループは呆然としている。

 ただ、右代だけは何か挙動不振だった。

「なんだよ、急に……!」

「若い女性を中心に人気の、クロネコのキャラクターらしいな。俺のセンスで語るのもどうかと思うが、まあ若い女性に限れば、人気でもおかしくないって感じだ」

「小学生が使ってそうだよな~」とグループが色めき立つ。

 正直、俺もテレビCMで見たことがあるだけだったのだが、今の補足情報のようなものは、ついさっき水浦さんに教えてもらった。

「なんでそんな消しゴムを右代が持ってるんだよ?」

「るっせーな。部外者が口出しすんじゃねぇよ! お前もオレを馬鹿にしてんのかよ!」

「水浦薫から盗ったんだろ? お前の天使の水浦さんから。だから大事に持ってるんじゃないか?」

「はっ、何を馬鹿なことを言って……」

 言葉に詰まる右代。

 その背後で、静かに動く影があった。

「――ねぇ右代君。これは何かしら?」

「なっ、会長! いつの間にっ! おい! 勝手なことしてんじゃねぇぞ!」

 章野さんが机に並べた筆記用具を見つけるや否や、右代の怒気が増していく。

 右代の注意が俺に向いているうちに、章野さんが右代の鞄から筆記用具を引っ張り出したのだ。

 となりに居る水浦さんは目を見開きつつも、静かなトーンで、

「……右代君。これ、わたしの筆記用具ですよね。シャーペンもボールペンも消しゴムも。定規と蛍光ペンも盗っていたなんて……」

「わーお、一式盗ってんのかよ」とグループは先ほどから楽しそうだ。

「水浦さんは、私物が盗られていることに悩んでいたんだ。それがお前だったんだよな? この期に及んで、まったく同じものを持っていたなんて言わないよな?」

「……ちっ、クソ……」

 否定の言葉を発さない右代。

 その態度は、もはや肯定の意味を表していた。


 続けてグラウンドにやって来た俺は、それとなく左岸先輩を呼びつけた。

 今日も女子テニス部が鍛錬に励んでいる。

「やぁ、またボクと話したくなったのかい? 今回はどんな要件かな?」

「今だっ! 章野さん!」

 いつものように左岸劇場を繰り広げようとしていたところを好機と捉え、同行していた章野さんに声を飛ばす。

「わっ! なんのつもりだい二人とも! じゃれている場合じゃないんだけど!」

「すみません、左岸先輩。どうしても確かめたいことがあって……」

 章野さんが背後から腕を組みながら、ガッチリとホールドをする。

「水浦さん? なんで君がここにっ?」

 ここからはスピード勝負。

 今度は水浦さんが、正面から左岸先輩の胸元の缶バッジに手を伸ばした。

 手早くピンを外し、缶バッジの下の名前刺繍を確認する。

 そこにはたしかに、『水浦』の文字があった。

「……本当にそうだったんですね。左岸先輩、貴方がわたしの体操着を……。もしかして上履きを盗んだのもそうなんですか?」

 右代のことがあったからか、水浦さんは落ち着いていた。

 その寒気を感じるほどの冷静さに、対照的な左岸先輩が取り乱す。

「い、いや、これには深い事情があるんだよ! 話せばわかる! そう怖い顔をしないでおくれ!」

 章野さんが拘束を解くと、左岸先輩の全身は、汗まみれになって火照っていた。

「……あのな、水浦さん、これは誤解だよ。ボクはちょっと君の体操着を借りただけ。盗んだなんて、人聞きの悪いことを言わないでくれよ!」

 必死に弁明する様を見ていられなくなったのか、水浦さんは斜め下をしばらく見つめると、そのまま目を合わせることなく、背中を向けた。

「……もういいです。それ、差し上げますよ。気持ち悪くて着る気にはなれないので」

 その場を立ち去ろうとする彼女を、俺と章野さんは小走りで追った。

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