⒉気も漫ろな時間

 売り場に出てから三十分が経った。

 いつものように俺はレジ内の作業をこなし、橘はレジ外の作業をこなしている。

 うむ……これがいつも通りのバイトだ。

 この一年間、度々新人が入ったり飛んだりすることはあったが、あれほどの衝撃は初めてだった。

 バイトは始まったばかりで、ピークタイムに入るにはまだ時間的にも余裕がある。

 手持ち無沙汰なこの状態が、俺にある雑念を与えていた。

 店長は五時で上がりだったのだが、面接があるとのことで、章野さんと一緒に事務所に引っ込んでいる。

 俺が売り場に出てから三十分ということは――同じく面接も三十分に及んでいるのだ。

 ……気になる。章野さんと店長は一体どんな話をしてるんだろう。

 もしや、学校での話でもしているのだろうか。

 それで話題が俺の方に及んでいたりとか……。

 別に章野さんや店長の前で、醜態を晒したことがあるわけでもないのだが、気にし出したら最後、様子を確認するまでは、まともに手が着かなくなってしまった。

 オリコンを運ぶ橘が目の前を通ろうとしていたので、一声掛ける。

「ごめん、レジ見てもらってもいいかな。ちょっと裏の様子見てくるわ」

「はいっ、いいですよ」

 快諾する橘に感謝しながら、スイングドアの近くに立って聞き耳を立てる。

 ――二人の会話が聞こえてくる。

「へぇ、生徒会長をやってるんだ。凄いね。それじゃ頭も良いんだね」

「比べたりしないので、あまり考えたことはありませんが……」

 語気が弱い章野さん。

 相手が自分の倍以上も生きているおじさんともなれば、いつもの調子が出ないのだろう。

 恐縮するな。定期テストで学年一位を総なめにしているのは、結構有名なんだ。

 蛍雪高校のトップとして、外でも堂々としていればいいのに。

 ちなみに俺は244人中の44位である。

「勉強の時間とか足りなくならない? 学校の方でもやることがあるわけでしょ?」

「それに関しては迷惑を掛けるつもりはありません。応募したからには、完璧に両立する覚悟はできています」

「おっ、それは良い心掛けだね。そう言ってくれるとこちらとしては助かるよ。実はね、私も高校時代は生徒会に入っていたことがあってね、会計をやったことがあるんだよ」

「…………」

 急に過去を語り出す店長。面倒な癖が出てしまったようだ。

「まあ殆どそれらしいことはやらなくてさ、放課後の集まりだって碌に行ってなかったんだけどね、がはは!」

「…………そうなんですね」

「そうそう! けど章野さんは、しっかりした生徒会長だって、話して伝わってくるよ」

「困っている生徒を見過ごすことはできない性格で」

「大事です。そういう考え方は本当に大事! 働いてもらう以上はお客様に満足してもらうことが第一で。生徒会長ってリーダーシップが必要な仕事でしょ? 章野さんなら、私の考えもわかってくれると思うんだけど……」

「…………」

 終始言葉数の少ない章野さんだったが、とうとう押し黙ってしまったようだ。

 愛想笑いは時折聞こえるが、その表情は決して笑顔ではないことが、容易に想像できた。

 なるほど……店長の長話コースに入ってしまったか。こりゃ大変だな……。

 これも一種の社会勉強。

 章野さんにはそう思ってもらうことにして、そろそろレジの業務に戻ることにした。


「お疲れ様でした」

 それから十分後――面接を終えた章野さんが、ぺこりとお辞儀をして、店を出て行った。

 涼しい顔をしていたが、俺と一言しか交わさずに帰ってしまったところを見ると、内心では相当に疲れてしまったのだろう。

 一方、朝と昼続けて働いている店長は、四十代とは思えないくらいに、疲弊した様子は一切見せない。

 原色大目の派手なファッションに、真っ黒なリュックを背負った、若作りした店長が、レジ内までやって来る。

「あの子、九条はどう思う?」

「どう思うって、どういうことですか」

「ちゃんと働けると思う? 採用してもいいと思う?」

 店長が珍しく真剣な面持ちになっている。

 いや、そもそも『店長』なのだから、新人採用に真剣になって当然ではあるが。

「章野さんはしっかりしているし、何も問題はないと思いますけど」

「九条はそういう風に見えるんだ」

「…………?」

 まるで自分には、それとは違って見えるような言い方をする。

「あの子、見た目よりも無理している子だよ。今まで色んな奴と話してきたおれにはわかる」

 それは、店長の長話のせいもあると思うが……今は口を挟まないでおこう。

 過去を思い返すような目つきだった店長が、ちらりと俺の方を見た。

「ま、最悪九条に何とかしてもらえばいいか。学校同じなんだしな」

「それはまあ……できる限りのことはしますよ」

「おっけー。じゃあ採用の方向で考えておくよ」

 店長はレジ内に置いていた1.5Lの緑茶をリュックにしまうと、それを背負い直して、出口へ向かった。

「じゃ、お疲れ様。お客さんへの挨拶欠かすなよ!」

「はい、お疲れ様です」

 目立つ格好をしたおじさんが、夜の闇に消えていく。

 章野さんが無理をしている……か。店長はどうやってそれを見抜いたんだろう。

 今までの人生経験故のものなのだろうか。

 色々不満はあるけれど、店長のこういうところは素直に尊敬できた。


「ありがとうございました! またお越し下さいませ!」

 大きな袋を二つ抱えた常連の主婦が、慣れたように店を出て行く。

 弁当、グラタン、サラダ、カップ総菜……。

 たくさんの食べ物を買い込んでいたが、果たしてあれらをどうしているんだろうか。

 単純に冷蔵庫にストックしているとか? スーパーで買った方が安いのに。

 レジ内で余裕をかましていた俺は、客のプライベートを想像して時間を潰す。

 ……否、こうでもして余裕な風にしていないと、疲れがダイレクトに蓄積されるのだ。

 カウンターの清掃、レジの両替、タバコの補充をしていると、刻々と時間は過ぎて行った。

「九条さん、さっきの面接の人って――」

 俺に話しかけようとしていた橘を遮るように、男子高校生がレジに立つ。

 さすがに接客が優先なので、橘にはステイしてもらった。

「いらっしゃいませー」

「……あれ? 九条ってここでバイトしてるんだな」

 急に名前を呼び捨てされ、相手の顔を見てみると、なんと水浦さんの彼氏の遠山だった。

 そっちこそ、なんでこのコンビニを引き当てるんだよ。

 一度家に帰った後なのか、グレーベースのラフな格好に着替えている。

 章野さんならまだしも、同じ高校の生徒に出くわしてしまい、敬語と溜口が反復横跳びする。

「……まあね。袋ご利用ですか?」

「いや、いらない。飲み物だけだし」

「366円頂戴します。画面から支払い方法を選択してください。水浦さんは今どうしてるんだ?」

「ああ、それなら安心してくれ。この後、薫の家で勉強会をやることになったんだ」

「勉強会?」

 しかも水浦さんの自宅で……って、相当心を許しているんだな。

 遠山は500ml缶のレモネード二つを、器用に片手だけで掴んだ。

「そう。一人きりじゃ不安だって言うからさ。あんまり遅くなる前には帰るけどな」

「そうか……」

「んじゃありがとな! バイト頑張れよ」

「ああ、そっちもな。ありがとうございました! またお越し下さいませ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る