⒏選択肢の狭間
渡り廊下から少し離れ、校舎内に入った俺たちは、近くに遠山がいないか伺ってみた。
……よし、ここなら人目に当たらない。二人きりで落ち着いて話せそうだ。
「今の話、章野さんは知ってたの?」
「えぇ……まあ……。たしかに薫が統合失調症を患っていた話は、本人から聞いたことがあるわ。ご家族は、中学時代のストレスが原因だと言っていたわね。けど、彼氏ができてからは快方に向かっていたはずよ。まさか悪化していたなんて……」
「そっか……。気になることがあるんだ。ストーカーがすべて妄想だとしたら、昨日の手紙も、当然作り物だったってことになるよね。あれは誰が書いたんだろう?」
「簡単よ。薫本人が書いたんでしょう」
「まさか……」
それを玄関でばら撒いて、自分で拾っていたって言うのか?
俺がその場に居合わせたことで、ストーカー事件の存在が第三者に広まっていったが、それがなければ、水浦さんはどうするつもりだったんだろう。
……特に意味なんてないってことなのか?
統合失調症がどういうものか、俺は詳しいことは知らない。
だが、その症状に『妄想』があるんだとしたら、もはやまともな考え方で事件に取り掛かるのは無謀な気がしてくる。
俺は遠山から手に入れた情報を眺めながら、頭を抱えていた。
「何か思うことでもある?」
「遠山のことが気になってさ。あいつは俺たちと話すとき、一度も目を逸らさなかったんだ。これはただの直感だけど、違和感があるんだよ。あれだけ胸が苦しくなるような話をしておきながら、どうして遠山は俺たちを見続けていたのかなって」
「それだけ薫を心配しているんでしょう。たしかに頼りない印象は否めないけれど、彼の薫に対する愛情は本物よ」
「……と言うと?」
俺が遠山について訊ねると、章野さんは思い起こすように遠くを見つめた。
「薫って、いつも青いリボンを前髪に結んでいるでしょう? あれは一年生のとき、彼氏がプレゼントしてくれたものらしいのよ。付き合って一カ月の記念にね。「薫は表情を隠しているから、上手くコミュニケーションが取れないんじゃないか。これで表情を見せるようにすれば、きっとみんなと仲良くなれる」って、そんなことを言ってね」
「遠山がそんなことを……」
「実際、効果は多少なりともあったのよ? 私と薫が初めて会話するきっかけになったのが、そのリボンだったんだから」
友達一号であることを自慢するように、章野さんは懐古の表情を浮かべた。
「九条君は、薫のために、遠山君を疑おうとしているのかしら」
「遠山の言い分を信じるなら、水浦さんが噓を吐いていることになるからね……」
少なくとも二人の主張は矛盾している。
どこまでを事実として容認するのか、線引きが難しいのだ。
「考えられる可能性は二つあるよ。一つ目、水浦さんは統合失調症で嘘を吐いている。つまりストーカーなんて存在していない。その場合、俺たちの調査は無意味になるね」
……だが、統合失調症だからと言って、水浦さんの話を聞き流してもいいのだろうか。
水浦さんは、たしかに表情の変化が少ない女の子だ。
それでも会長に対する尊敬や、客人に対するもてなしなど一貫していて、何より時折見せる笑顔だったり怒りだったりに人間らしさを感じられた。
俺も章野さんも、水浦さんを信じたい気持ちは同じだった。
「ただ面倒なのが――二つ目、遠山が嘘を吐いている場合だ。水浦さんは統合失調症じゃないし、ストーカーも存在しているってこと。俺たちは事件を調べる必要があるんだ」
「そうなると、遠山君が嘘を吐いた理由が気になるけれど……」
遠山のことも信じたい――後に続く言葉は訊くまでもなかった。
章野さんは、どの立場でいればいいのか、迷っているようだった。
「九条君はどっちを信じる? 薫と遠山君、どっちが正しいと思う?」
「…………」
俺は今までの出来事を思い返しながら、問われた二択について考えてみた。
どうにかして、両方の主張を信じることはできないのか?
どちらかの主張を疑うべきか?
あるいは、両方の主張を疑った方がいいのか?
……ここで悩んでいても仕方ないか。俺は、俺にできる精一杯のことをしよう。
「少なくとも、個人的な感情で物事を決めちゃ駄目だ。とりあえず今は調査を続行しよう。無駄なら無駄でも構わない。最悪を想定して動かないと」
「私もそう思うわ。……それで真実に辿り着ければいいけれど」
「辿り着いてみせるよ。この二択の間の、細い道を抜けた先に……真実はきっとある」
格好つけた言い回しをする俺だったが、章野さんは澄ましたように切り返した。
「結局のところ、もう少し情報が必要ってことかしら?」
「まあ、そうなるかな……」
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