⒍恋する男女

 二年生の右代サクは、学年の中でも陽気な生徒として有名だった。

 俺も右代のことはある程度知っており、放課後の教室に残って仲の良い友人と談笑しているところを見たことがある。

 不良生徒のような雰囲気を醸し出しているが、青春を謳歌していると思えば、聞こえは良い。

 七組の教室に向かってみると、右代を含め四人の生徒が会話に花を咲かせていた。

「ぎゃはは、それは犯罪者のやることだって!」

「いや東棟の階段はマジで穴場だから! 彼女待ってるふりして一階に立ってみな。パンツ見放題だぞ!」

「うわぁ、彼女いない奴はプライドがねーんだなぁ。童貞お疲れ様でーす!」

「ナマの女を知らない奴はこれだから駄目なんだよ……だはは!」

 うわぁ……最低な話をしておりますね。

 前言撤回。何故陽キャというものは、こういう見境ない奴らが多いのだろうか。

 クズ男子の猥談に、章野さんは物怖じせずに割って入った。

「ちょっといいかしら?」

「――なんだよ? ああ、会長じゃん」

「うわぁ、えっろォ。何々? オレらの話に混ざりたいわけ?」

「いえ、それには一切興味がないのだけど……右代君、話があるの」

「おお? ついに右代にも春が来たかぁ」

「バッカ、そんなんじゃねぇだろ」

「で、どうなの? 来てもらえる?」

 右代は手中で何かを転がしながら、三人の友人をちらりと一瞥する。

 大切そうに握っているのは消しゴムのようだ。

 三人は、「行けよ」と言わんばかりにニヤニヤを増長させた。

「わかった。行くよ。めんどくせぇな……」

 廊下まで連れ出すと、右代はポケットに手を突っ込みながら言った。

「――で、会長様がオレに何の用?」

「単刀直入に聞くわ。右代君、最近、水浦薫って子に告白したわね?」

「う……なんでそれを。それがなんだってんだよ」

 態度を大きくすることに気を使っていた右代が、急に隙を見せる。

「どういう経緯でそうなったのか、教えて欲しいのよ」

「は、はぁあ……? 会長にそれを教える意味があんの? 水浦から何か言われたのかよ」

 どうも右代は状況を飲み込めていないようなので、少しだけフォローを入れておく。

「章野さんと水浦さんは、同じ生徒会の生徒なんだよ」

「それが……何だって言うんだよ。てかお前だれ?」

 ……まあ同学年とはいえ、右代が俺のことを知らなくてもおかしくはない。

 一組と七組じゃ教室が離れてるからな。

「私たちの話はどうでも良いのよ。右代君と薫が、どんなやり取りをしたのか知りたいの」

「ああ、そっか、そういうことか……。水浦がチクったんだな? キモい男に告られたって……。だから会長が、これ以上近づかないように念押しに来たわけだ? ……うわ、マジ最悪……」

 勝手に盛り上がる右代に、章野さんは呆れている。

 俺もこの反応は予想外だった。

「その様子だと、ちゃんと好意はあったってことか?」

「あったりまえだろ! 水浦はあんなに可愛いんだぜ! 初めて見たとき、オレは天使かと思ったよ! 蛍雪に舞い降りた一人の天使だ! ……だけど、オレじゃ水浦には釣り合わない。この一年間、ずっと近づかないようにしてたんだ……」

 そこで右代は握りこぶしを作って、

「ただ、今年になって、オレは一大決心をしたんだ! このままじゃ青春時代が勿体ない! 残りの二年を水浦と幸せに過ごそうって! ……クソッ、それなのに……」

「フラれたのね?」

「ああ、そうだ。水浦にはもう彼氏がいたんだよ。あいつのとなりに立つ夢は叶わなくなったんだ」

「ちょっと待ってくれ。水浦さんに彼氏? それは本当なのか?」

「えぇ、本当よ。私も本人から聞いたことがあるわ。あまり人には教えたくないみたいで、顔を見たことはないけれど」

 そうだったのか……。てっきりそういうのは作らないタイプかと思ってた。モテはするって話だし、水浦さんと合う人がいれば、普通に付き合ってもおかしくはないか……。

「一足遅かったんだろうな。だけど水浦がそれで幸せだって言うんなら、オレはそれでも構わねぇさ。大人しく身を引くことにしたよ」

「意外とそこは素直なんだな」

「意外とってなんだよ。会長のオマケが調子に乗んなよ。どうせ馬鹿にしてんだろ」

「そういうつもりはないけれど……校内に残って、ああいう話をするのは頂けないわね」

「るせー。放っといてくれや」

 バツが悪そうに、右代が語気を弱くする。

「ありがとう、十分よ。戻ってくれて構わないわ」

「話は終わりか……? 結局何が訊きたかったんだ……」

「右代君の恋心についてよ」

「……ぐ、もう勘弁してくれよ」

 章野さんはニヤリと不敵な笑みを見せて、本来の目的を誤魔化した。

 さすがだ。最後まで主導権を握り続けてみせた。

 これが上に立つ人間かと、まざまざと見せつけられた気分だ。

 俺一人じゃ、喧嘩騒ぎになってただろうな。


 三年生の左岸リツコは、校長に表彰状を納めるほどの名プレーヤーだった。

 テニスの全国大会には二年連続で出場しており、全校集会で左岸先輩が登壇しているところを何度も見たことがある。

 キリッとした目鼻立ち、さっぱりとした雰囲気で満ち溢れていて、男女問わず人望がありそうな先輩だった。

 ちょうどグラウンドでは、女子テニス部が鍛錬に励んでおり、左岸先輩を見つけることは簡単だった。

 一人だけ体操着姿をしており、胸元の名前刺繡を隠すように、テニスボールをデザインした名入れ缶バッジを留めている。

「会長にご指名されるなんて光栄だね。ボクと何が話したいのかな?」

「部活中に申し訳ございません。できるだけ早く済ませますので」

 部員がネットを挟んで、ひたすらボールを打ち合っている。

 俺たちはそのコートの端の方で、話を訊いてみることにした。

 それにしても、男子に引けを取らない発声と激しい打ち合いだ。

 さすが結果を残している部活というだけはある。

「構わないけど……それならせっかくだし、部員の練習に付き合ってくれよ。文武両道の会長なら、みんな喜んで練習に励むと思うんだ」

「えっと……テニスの経験はさすがに……」

「なに、球をラケットで打つだけさ。すぐ慣れるよ」

 さすがに三年生相手と言うこともあり、章野さんが押されている。 

 先ほどは章野さんに頼ってばかりだったので、ここは男の俺が先陣を切るしかない。

 ただ、三年生相手に突っ込んだ質問は控えたいので、一旦遠回りをして、

「……左岸先輩は、生徒会の水浦薫という女の子をご存じですか?」

「うん、知ってるよ。だってボク、彼女にアプローチしたからね。……ああ違うよ。告白したって意味ね」

 左岸先輩は、意外にも自分から核心に誘ってくれた。

「やっぱりそうだったんですね。どういう経緯でそうなったんでしょうか?」

「おやおや……。生徒会でスクープでも出すつもりかな? 変に脚色されると困るんだけど……」

「絶対にそんなことはしません! 独自で調査していることがあるんです。ご協力をお願いします!」

 章野さんが背筋を伸ばしてから体を折る。

 俺もやらないのは失礼に当たるので、同じように頭を下げた。

「誠心誠意な頼み方……。まるで悪いことをした気分になってくるよ」

「いえ! 決してそういうつもりは!」

 章野さんががばっと頭を上げると、左岸先輩は悦に入ったように、

「ふふ、冗談だよ。ちょっとからかってみただけさ。いいよ、隠すようなこともないしね。好奇心で訊いているってわけでもなさそうだ。だったらボクも正直に話すよ」

「ありがとうございます!」

「と言っても、長々と話すこともないんだけどね……。ボクはこの前、テニス部の年間計画書と予算申請書を生徒会に提出しに行ったんだ。そのとき生徒会室で対応してくれたのが水浦さんだったんだよ」

 なるほど、水浦さんは生徒会書記だもんな。

「毅然とした態度で書類を受け取り、交わした言葉は二言くらい。その凛とした佇まいに、ボクは一目惚れしてしまったんだ。見た目のキュートさと内面のクールさ。ボクとは正反対の人間性に憧れを抱いたんだよ」

 左岸先輩が、宝塚みたいな大げさな身振り手振りで動き回る。

「その後も何度かすれ違う度に、彼女とは言葉を交わしたんだけどね。最終的には見事玉砕。ボクは心に傷を負うことになったわけだ。……ああ! なんと悲しい」

「…………」

 左岸劇場を目の前で見せつけられ、章野さんは戦意喪失してしまったようだ。

 仕方ないので、俺が変わって食い入った質問をする。

「ちなみに水浦さんにはなんて言われましたか?」

「彼氏がいるから付き合うことはできない。でも好意は嬉しい……と。彼女、実は彼氏が居たらしくてね。残念だったけど、他人と争ってまで、何かを手に入れたいとは思わなかったかな」

「左岸先輩なら、すぐに運命の人が見つかりますよ」

「ほほう……。果たしてそれはいつになるのかな? もしかしたら、すでに目の前に居たりして」

「え……ちょ」

 猫のように頬を撫でられた章野さんが、ぴくんと体を反応させる。

 顔を紅潮させ、左岸先輩に為されるがままだ。

 ……俺の前でさっきの続きでもやるつもりだろうか。

 呆れていると、不意に左岸先輩と目が合った。

「……ん? おっと。もしかして二人は、もうそういう関係だったのかな? これは失敬。気を悪くさせていたら謝るよ。すまないね」

「そういうわけじゃないんですが……」

 どうやら、これ以上この人から情報を得ることは難しそうだ。

「お話、ありがとうございました。僕たちはこれで失礼します。行くよ、章野さん」

「え、えぇ……そうね……」

「ふふふ。部活の見学ならいつ来てくれても構わないからね」

 左岸先輩は、最後まで底の見えない三年生だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る