⒏章野の考え

 やるべきことは尽きたかのように思われた。

 現場確認は昼休みに済ませたし、パソコン部の関係者全員に話は伺った。

 章野さんは先ほどから、顎に手を添えて、思索に耽っている。

 時折小さく唸っているのが愛らしい。

 俺はメモ帳をパラパラとめくってみる。

 情報は出揃ったと考えていいはずだ。

 あとはこれを踏まえて推理すれば、その先に答えが見えてくるはず……。

「どうだ? 調査は首尾良く進んでるか? 絢佑ならもう犯人がわかったりしてな」

 明るさを取り繕ったような様子で、隼が廊下に出てくる。

 内心良い気分ではないはずだが、進捗を気にかけているんだろう。

「こうなんじゃないかっていうのは、なんとなくだけど浮かんできてる。もう少しだけ時間が必要かな」

「そのメモ、俺にも見せてくれないか?」

 こちらの出方を伺うように、隼が手の平を向けてくる。

 だが俺の脳内には、どうしても払拭し切れない懸念があった。

「…………」

「無理だよな。わかってるさ。多分それで正解だと思うよ」

「勘違いしないでくれ、別に隼を疑ってるわけじゃない。不確かな情報を広げたくないというか……。とにかく、この事件は必ず解決するよ。だからもう少し待って欲しいんだ」

「元々俺が頼んだ調査なのに、当人は蚊帳の外ってか……。この状況じゃ、致し方ねーのかな」

「ごめん、隼……」

「謝るなよ。むしろ謝るのは俺の方だろ。……悪いな絢佑。損な役回りを押し付けちまって。章野も……ホントすまねぇ」

「別に構わないわ。好きでやってるんだから」

 章野さんは表情を柔らかくする。

 気を使っているわけではなく、本心からそう思っているようだ。

 それを見て、隼は荷が下りたようで、

「うし。じゃあ容疑者は大人しくしてるとするか。小説は五冊でも十冊でも読んでやっから……まあなんだ、あとのことはよろしく頼むぜ」

「おう、最初に約束した通りだ。必ず真相を突き止めてやるよ」

 隼は小さく頷くと、室内へと戻り、相棒の――二宮のとなりに腰を下ろした。

 ノートパソコンがないため、今日は彼の手伝いをするようだ。

「ねぇ九条君。ちょっと話があるのだけど……」

 章野さんが提案するので、人気のない階段の踊り場に移動する。

「とりあえずメモを写真に撮らせてもらってもいいかしら? あとできれば連絡先の交換もしたいのだけど、どう?」

「別に構わないけど……」

 到着するなりそんなことを言われて、勢いのままに了承してしまった。

 別にやましいことをしているわけじゃないから、いいか。

「――ありがとう。それと、良かったら私の推理を聞いて欲しいの。見落としていることがないか、確かめたくて」

 どうやら本題はそっちらしい。

 さっきから何か悩んでいると思ってはいたが、章野さんなりの解答が出たということか。

「で、どう思ったの?」

「パソコン部は二つの鍵によって構築された密室だった。犯人は窓か正面ドアから侵入し、ノートパソコンを盗んだと思われる。犯行時刻は昨日の部活終了後から、今朝、左右田君が部室にやって来る間まで。そうよね?」

「うん、そうなるね」

「まず侵入経路だけど、私は正面のドアから入ったと思うの。犯行時刻は部活終了の直後。周りに誰もいないことを確認した犯人は、南京錠を開けることなく、部屋に立ち入ってみせたのよ」

「でも、南京錠にも掛け金にも何の異常はなかったように見えたけど」

「南京錠は鍵を使わないと開けられない。けれど、掛け金ならドライバーを使えば外せるわよね? 犯人は掛け金を外してパソコンを盗んだ後、掛け金を元に戻してその場を去ったのよ」

「なるほどね。面白いやり口ではある。南京錠を無視して侵入したってことか」俺は章野さんの推理を飲み込むように頷いたが、「でもその推理には穴があると思うよ」

「……そう? 具体的にどこがおかしいのかしら?」

「そもそも掛け金には何の異常もなかったんだ。外してから元に戻すって言うけど、日が暮れたタイミングで、そんな精密なことができるかな?」

「それは灯りを使えばできなくはないでしょう?」

「そう、できなくはない。廊下のライトを使うかスマホのライトを使うかは自由だけど、できなくはないよ。けど、見つかるリスクがあまりにも高過ぎはしないかな? ドライバーでネジを外して元あった位置に戻すとなれば、かなりの時間を必要とするはず。犯人はできるだけ早くその場を立ち去りたいはずだ。それなら、わざわざ掛け金を戻したりなんかせずに、そのままにしておくと思うんだ。なんなら壊してもいいくらいだしね」

 章野さんの推理は、現場を見た上でのこじつけにしかなっていない。

「これはあくまで、まだ予想の範疇だけど、犯人はもっとスマートなやり方を取ったはずなんだ。だから、現場が理路整然としているんだと思う」

「じゃあ九条君はどうやって盗んだと思ってるの?」

「それは……まだわからないかな」

 散々章野さんの推理を否定しておきながら、出てきた答えは頼りないものだった。

 しかしながら、ここで見栄を張っていても仕方がない。

「そう……。まあ、一日で犯人がわかれば、大したものよね」

「トリックに関してはもう少しで思い付きそうな気はするんだ。ピースはすべて揃ってる。あとはそれが上手く嵌まらないというか……」

 しばしの沈黙が流れる。

 窓の向こうから、段々と夕日が差し込んできた。

「今日はこの辺でお開きかしらね。私は生徒会室に戻らないと……」

「そっか、会議中に呼び出しちゃったんだったね」

「初めは一人で何とかしようと思ったのだけど、九条君が居てくれて頼もしかったわ。一晩考えてみれば、何か閃くかもしれないわね」

 このまま解散の方向に話が傾いていることを感じた俺は、咄嗟に気になったことを投げかけていた。

「章野さんは、どうしてこの事件を解決したいと思ったの? 言ってしまえば、これは平凡な盗難事件。金額が大きいとは言え、そこまで躍起になる必要はないと思うけど……」

「おかしなことを訊くのね。九条君こそ、何かメリットがある訳でもないのに、そこまで一生懸命になれるかしら」

「俺は……友達にあそこまで頼まれたらね……。無視するのも辛いからさ」

「そう……」

 章野さんは夕日に染まるグラウンドに目を移すと、遠いところを見るように言った。

「この学校は思ったよりも問題事が多いのよ。備品の盗難なんて別に初めてじゃないし、生徒間の揉め事もよく耳にするわ。表には出て来ないけど混沌としている――人が集まるところってそういうものじゃない?」

「章野さんはそれを全部解決してきたの?」

「いいえ、私の力じゃどうにもならないことはあったわ。私はただ……自分に胸を張れるようになりたいだけ。困っている人を助けたいだけ。そういう意味じゃ、九条君と似ているところがあるのかもしれないわね」

 それにね――と、章野さんはさらに言葉を続けた。

「盗難事件だろうと、犯罪は犯罪よ。戦争も殺人も盗難も、等しく誰かを悲しませるもの。左右田君の話を聞く限り、ノートパソコンには色々な人の思いが詰まっているようだったわ。同時に、今後の彼らの未来を担うようなピースでもある。それを放って置くなんて、私にはできないわ」

 夕日が章野さんの背中を照らす。

 彼女の言葉は、とても輝かしく聞こえた。

「そっか……うん、俺もそう思うよ」

「さすがに話し込み過ぎたわね……。そろそろ行かないと……」

「俺の方も生徒会長がとなりに居て心強かったよ」

「ありがとう、九条君。また明日ね!」

 章野さんは満面の笑みで手を振ると、階段を駆け上がって姿を消した。

 心地良い感覚が、胸の中心で温かさを放っている。

 ありがとう……か。感謝の言葉があるから、俺は頑張っていられるんだ。

「犯人、早く見つけないとな」

 彼女の役に立ちたい。

 自分を鼓舞するように、俺はそう言い聞かせた。

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